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21話

ジャックは剣を構え直しながら、できる限り声音を和らげて語りかけた。

 

「勘違いさせてしまったようだが、俺はアンタを助けに来ただけだ、ミナ・リヴィル殿」

 

「問答無用」

 

ミナの返答は、一言だけだった。

次の瞬間、彼女の身体はすでに動いていた。

踏み込みの速さが、ジャックの予測を遥かに上回っていた。わずか一歩で間合いを完全に潰し、聖剣『グラディア』が銀色の弧を描く。鋭い横薙ぎ――速い、速すぎる。

ジャックは反射的に本剣を横に流し、その一撃を受け止めた。

金属同士が激突し、激しい閃光と火花が夜闇に散る。凄まじい衝撃が刃から腕を伝い、彼の体幹を激しく揺さぶった。

 

「う、嘘ぉ……!?」

 

一瞬、足が地を離れた。

ジャックの身体は真横へと吹き飛び、執務室の強固な石壁へと激突した。壁は人一人の身体が叩きつけられた衝撃に耐えきれず、轟音と共に崩落する。砕けた石材と漆喰の破片が飛び散る中、ジャックはそのまま砦中央の広場へと転がり出た。

立ち込める埃と破片の中で、ジャックは素早く体勢を立て直した。

 

「……なるほど。『剣聖』スキルの通り名は伊達じゃないってわけか」

 

口の端から、ツッと血が滲む。壁に打ちつけた肩が、じんと熱を持っていた。スキルによって強化された肉体でなければ、今の一撃で骨ごと砕かれて戦いが終わっていたかもしれなかった。

ミナもまた、壁に開いた穴から迷いなく中央広場へと飛び降りた。グラディアの切っ先が、静かに、しかし確実にジャックへと向けられる。

主戦場は、外の広場へと移った。


───


執務室の壁には、人間が容易に通り抜けられるほどの大きな穴が開いていた。

リデルは椅子を寄せ、その穴から眼下で繰り広げられる死闘を覗き込んでいた。

銃身を切り落としたフリンテは、すでに彼の膝の上へと戻っている。

目の前の激戦に、自分が割り込む余地はなかった。というより、今のところはその必要性がなかった。

広場での応酬は、熾烈を極めていた。

ミナの剣技は、どこまでも真っ直ぐだった。小細工を一切排した、正面突破の剣。一撃一撃が重く、そして速い。『剣聖』のスキルが、技と力の両面を極限まで引き上げていた。グラディアが空を切って唸りを上げるたびに、広場の石畳に鋭い火花が散った。

対するジャックは、流れるような身のこなしでそれに応じた。

受け、逸らし、横へと滑る。正面から強引に受け止めようとはせず、ミナの圧倒的な威力を別の方向へと巧みに逃がしていく。本剣で攻撃を受け流しながら、隙を見て懐から短剣を抜き放ち、変則的な角度から刺突を差し込もうと試みる。

だが、ミナはそれすらも完全に見切り、グラディアのひと振りで強烈に薙ぎ払った。

火花を散らしながら、短剣が城壁の彼方へと弾け飛ぶ。

ジャックはすかさず間合いを取り、別の短剣を右手へと滑らせた。今度は本剣を主軸にしつつ、投擲用の短剣を織り交ぜる。純粋な剣技では太刀打ちできないと瞬時に判断し、徹底した攪乱戦に切り替えたのだ。

だが、それでもなお、戦況はミナが圧倒していた。

ジャックが距離を取るたびに、ミナはその隙を即座に詰め寄る。一撃を逸らしても、間髪入れずに次の一撃が襲いかかる。放たれた投げ剣は、すべて正確に切り払われるか、最小限の動きで躱されていた。実戦経験豊富なジャックが巧みに時間を稼いでいたものの、じわじわと退路を断たれ、追い詰められていくのは明白だった。

あと数合。このまま打ち合いを続ければ、ジャックは確実に詰む。

リデルは壁の穴から眼下を見つめ、小さく呟いた。

 

「やはり、惜しいな」

 

誰に聞かせる風でもない独り言だったが、彼は純粋にそう感じていた。

あの卓越した身のこなし、冷静沈着な判断の速さ、そして圧倒的な劣勢に立たされながらも決して乱れない精神力。わずか五十の兵で三千の軍勢を退けたという男の実力は、確かに本物だった。

このままここで死なせるには、あまりにも惜しい人材だ。

リデルは、膝の上のフリンテを再びその手へと取った。

 

「リーフィアか」

 

リデルは振り返ることもなく、背後に生じた微かな気配に向けて問いかけた。

 

「はい」

 

聞き慣れた涼やかな声が、暗がりから応じた。

振り返ると、そこにはリーフィアが直立していた。

腕や頬にはいくつかの切り傷が走り、衣服にも血の滲んだ跡が残っている。しかし、その表情は至って平然としていた。呼吸がわずかに乱れている以外、疲弊した様子はほとんど見受けられない。

 

「命令通り、潜入した賊は全員、生きたまま捕縛いたしました」

 

報告は極めて簡潔だった。

 

「ご苦労。よくやった」

 

リデルは短くその労をねぎらった。

それから、再び壁の穴から眼下を一瞥する。広場では、ミナの強烈な次の一撃が、ジャックの剣を大きく弾き飛ばしたところだった。剣が激しく石畳を転がり、ジャックが素早く後退する。もはやあと一合か二合、という決定的な状況だった。

リデルはフリンテの銃口を、夜空へと向けた。

そして、躊躇なく引き金を引いた。

──パン!

激しい轟音が、夜の砦に響き渡った。

ミナの剣がピタリと止まり、ジャックの動きも完全に静止した。

二人の視線が、同時に執務室の壁に開いた穴へと向けられる。

そこにはリデルが立っていた。その銃口からは、まだ細い白煙が立ち上っている。

 

「ジャック・ルード」

 

リデルの声は、どこまでも静かだった。

 

「お前の部下五名は、すでに全員捕縛した。命が惜しければ、武器を捨てて投降しろ」

 

広場に、重苦しい沈黙が降りた。

ジャックはリデルを見上げ、それからミナを見、最後に自分の手元へと目を落とした。


「……はぁ」

 

ジャックは大きくため息をついた。

 

「参ったな。完敗だ」

 

手にしていた短剣が、力なく石畳の上に置かれた。

 

───

 

重い鉄鎖が、六人の手首を固く繋いでいた。

ジャックとその部下五名は、砦の中庭に整然と並ばされていた。

リデルはその前に歩み寄り、彼の両脇にはミナとリーフィアが厳然と控えている。

ジャックは縛られた手首を見下ろしながら、自嘲気味に肩を竦めた。

 

「完璧に罠にハメられたよ。じつに気分が悪い」

 

「一つ聞きたい」

 

リデルが静かに問いかけた。

 

「なぜ一人で逃げなかった。お前の実力なら、十分に可能だったはずだ」

 

ジャックは顔を上げた。

 

「あぁ、可能だったさ」

 

彼はあっさりとそれを認めた。

 

「俺のスキルを使えば、あの混乱に乗じて一人で抜け出すことくらい造作もなかった。だがね」

 

ジャックは縛られている部下たちに視線を走らせた。

 

「自分の命令で動いた連中を見捨てて、自分だけ尻尾を巻いて逃げるような格好悪い真似は、あいにく趣味じゃなくてね」

 

短い沈黙が流れた。

リデルはその答えを耳にし、内心でわずかに満足のいく笑みを浮かべた。

 

「気に入った」

 

「……は?」

 

「私の部下にならないか」

 

ジャックはしばらくの間、リデルの顔を凝視した。拘束された状態のまま、真っ直ぐにその瞳を見つめる。

 

「……正気か? さっきまで俺はお前の首を獲ろうとしていたんだぞ」

 

「知っている。むろん、相応の待遇を用意しよう。お前を領主にしてやる」

 

その一言に、ジャックの目の色が変わった。

 

「領主待遇、ね。だが、バートン伯爵家にそれほど分与できる土地が残っているのか? 俺が調べた限り、伯爵家の直轄領は決して広くはなかったはずだが」

 

「いくらでもあるさ」

 

リデルは事もなげに答えた。

 

「ヴェーデル公領の土地を分与する。それで問題ないだろう」

 

広場に、奇妙な静寂が満ちた。

隣にいたミナがわずかに目を見開き、リーフィアだけは表情を崩さなかった。

ジャックはしばらく呆気にとられたように口を開けていたが、やがて低く笑い出した。

 

「……ククッ、ヴェーデル公の土地、か。まだ切り崩してもいない他国の領地を、ずいぶんと気前よく配るもんだな」

 

「お前の協力さえあれば、一週間で落としてみせる」

 

ジャックの笑いがぴたりと止まった。

 

「一週間だと?」

 

「あぁ」

 

リデルは言葉を濁さなかった。

一週間。そこに誇張も、言い淀みも、留保もなかった。ただ、確定した未来の事実を告げるかのような口調だった。

ジャックは鎖の音を響かせ、腕を組もうとして諦めた。自分が縛られていることを今更ながら思い出したようだった。

 

「……あのな、リデル・バートン。俺はヴェーデル公領の地理も兵力配置もすべて把握している。一週間というのは、いくら何でも現実味がなさすぎる」

 

「策はある。お前と私なら、十分に可能な数字だ」

 

ジャックはリデルを凝視した。

姿形は十三歳の子供だ。だがその瞳は、今夜何度目かになる「常軌を逸した何か」を宿していた。虚勢でもハッタリでもない。緻密に計算し尽くし、確信を得た上で発せられた眼光だった。

 

「……本気で言っているんだな」

 

「あぁ。本気だとも」

 

ジャックはしばらくの間、星の散らばる夜空を見上げた。

それから、ゆっくりと視線を戻して頷いた。

 

「分かった、その話に乗ってやる。ただし、一つだけ条件がある」

 

「聞こう」

 

「ミナ・リヴィル殿のことは、まだ諦めない。いずれ正式な手順を踏んで口説き落とす。それだけは認めろ」

 

横から、ミナが即座に拒絶の声を上げた。

 

「断絶する。願い下げだ」

 

「俺はリデル・バートンに許可を求めているんだがね」

 

「私が断ると言っている!」

 

リデルは、言い合う二人を交互に見つめた。

 

「それはお前たち個人の問題だ。私は関与しないし、するつもりもない」

 

「……はは、それで十分さ」

 

ジャックは再び笑った。

今度は先ほどまでの自嘲とは異なる、憑き物が落ちたようなどこか晴れやかな笑みだった。

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