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2話

夢の中の広場には、果てがなかった。

一糸乱れぬ行進。石畳を叩くブーツの音が、波のように押し寄せる。装甲車の列が広場を埋め尽くし、空では編隊を組んだ軍用機が轟音を轟かせていた。

演壇に立つ「自分」が、腕を挙げる。

湧き上がるのは歓声か、あるいは怨嗟か。どちらでもよかった。

ただ、その顔だけが見えない。

いつもそうだった。権謀術数、軍事力学、粛清の論理、大衆を煽動する演説の手法――70年分の記憶は血肉として蘇っているのに、自分が何者だったのか、どんな顔で何と呼ばれていたのか、靄がかかったように思い出せない。

眼下の兵士たちも同様だ。精緻な隊列も誇り高き軍装も鮮明なのに、顔だけがない。何万もの影が、音だけを立てて行進していく。

名もなき軍勢が、名もなき元帥に敬礼していた。

英雄か、怪物か。夢の中のリデルはぼんやりと思った。どうでもいい、今更だ。

歓声が遠ざかり、広場が白く溶けていく。

目を開けると、天蓋付きの天井と見慣れた木目の柱があった。石の冷気ではなく、蜜蝋と花の香りが漂う。

バートン邸。自分の部屋。12歳の身体。

リデルは一度目を閉じ、再び開けた。

 

「おはようございます、リデル様」

 

カーテンの向こうから、明るい声がした。

メイドのリーフィアが窓際に立ち、鎧戸を開けている。差し込む朝の光が、室内を金色に染めた。洗面台には水が張られ、衣装掛けには今日の外出着が整っている。彼女はいつも、誰よりも早く動く。

 

「夢を見ておられましたか? 少し、うなされていたようで」

 

振り返ったリーフィアが、リデルの顔を覗き込んだ。15、6歳ほどの栗色の髪の少女。生まれは平凡だが、その高い知性からバートン領随一の才女との評判から、リデルの使用人として仕えている。

分別のある人間特有の心配そうな目をしつつも、過剰に騒がない態度をとっており、リデルも彼女のそういう所を気に入っていた。

 

「少し、古い夢だ。昨夜の夜更かしが響いたらしい」

 

身を起こしながら答える。

 

「古い夢、ですか」

 

「ああ。他愛もない思い出だよ」

 

リーフィアはしばらくリデルを見つめていたが、やがて柔らかく頷いた。

 

「お顔を洗われますか。本日はラムズ様たち家老方と、当主代行として臨まれる会合がございます」

 

ラムズ。その名が脳裏を過った瞬間、夢の余韻は完全に霧散した。

 

(そうだ、今日から本番か)

 

昨日の儀式のショックで、父ジョルジュは持病を悪化させて寝込んでいる。

そこで、天啓の儀を迎え、晴れてこの世界の大人の仲間入りをしたリデルが、正式な当主代行として会合に出席するのであった。

だが、段取りは昨夜のうちに決めてある。何を聞き、何を答え、何を悟らせないか。老独裁者が70年かけて磨き上げた技術だ。相手がどれほど老練だろうと、後れを取るはずがない。

リデルはベッドを降り、洗面台の前に立った。

水面に映る顔は、あどけない12歳の少年だ。前世の顔は思い出せなくとも構わない。どうせ、今のこの顔で戦うのだから。

 

「リーフィア」

 

「はい」

 

「今日の私は、どう見える」

 

少しの間があった。メイドらしからぬ、推し量るような間。

 

「……いつもの利発そうな、リデル様に見えますが」リデルは微笑み、静かに水で顔を洗った。


───


格式ある会合の間。リデルは上座から長卓を囲む顔ぶれを見渡した。

筆頭家老ラムズ・ドーヴィルをはじめ、領内の有力家臣が5名。全員が50代を超え、最年少でも自分の4倍は生きている。本来なら父ジョルジュが座るべき椅子に、12歳の「大人」が収まっている。

 

(威厳を誇示するより、無害な子供と思わせる方が都合がいい)

 

老独裁者の記憶が、静かに囁いた。

 

「では、始めましょう」

 

ラムズが咳払いをして書状を広げた。

 

「本日の議題は、ローズヴェル公からの新たな『要請』についてです」

 

命令ではなく、要請。リデルはその言葉選びを頭の隅に留めた。

 

「内容は」

 

「追加軍役です、リデル様。帝都の内紛が長引くなか、ローズヴェル公は隣境のヴェーデル公との戦いに備え、追加の兵を求めてきました。我が家への割り当ては、騎兵10騎、歩兵200名、およびその兵糧と輸送の手配です」

 

沈黙が落ちるなか、副家老のテレンスが続けた。

 

「問題はそれだけではありません。先月、帝室の名代を称する使者から、臨時の貢納を求める要求が届きました」

 

「名代を『称する』、ね」リデルが繰り返す。

 

「はい。現在、帝都は3つの派閥に分かれており、どの派閥の使者かは判然としません」

 

「つまり、派閥によっては貢納の『意味』も変わる、と」

 

テレンスが目を見開いた。12歳の少年が、即座に本質を見抜くとは思っていなかったのだろう。 

リデルは構わず言葉を重ねた。

 

「整理しましょう。ローズヴェル公からの軍役と、詳細不明の帝室からの貢納が重なっている。父上の病で政務が滞るなか、現在の徴税規模ではさばききれないと」

 

「その通りです」ラムズが静かに応じる。


「そのため、私どもは領民に対する増税および、軍役強化もやむなしと判断しております。公への不義理は、バートン家の立場を危うくします」

 

増税。その言葉をリデルは脳内で転がした。

 

(早いな。他の選択肢を検討させる前に、結論へ誘導する古典的な手法だ。前世でもよくやった)

 

「ひとつ聞かせてください、ラムズ。公からの要請は今回が初めてですか」

 

「いえ、昨年も規模はおおよそ半分ですが同様の要請があり、その時は金貨400枚での代納が認められました」

 

「今回は規模が倍だから、単純計算で金貨800枚か。今回も交渉の余地は?」

 

ラムズの眉がわずかに動いた。


「公は実際の兵を求めているようでして……」

 

「ローズヴェル公とヴェーデル公、どちらが優勢ですか」

 

武官のガルヴェが答えた。


「巷の評判では、優秀な戦闘スキル持ちが多数所属する「ルード騎士団」の指示を得たヴェーデル側が優勢です。端的に言えば、ローズヴェル公はその戦力差を埋めるのに焦っておられるのかと」

 

(焦っている者は足元を見られる。前世で嫌というほど利用した隙だ)

 

「ならば、交渉の余地は十分にありますね」

 

室内がしんと静まり返った。

 

「増税と軍役強化は最後の手段です」リデルは言い切った。

 

「まず公に使者を立て、代納を打診します。その際、当主の病、幼い代行者、ついでに私の『スキルなし』も包み隠さず伝えなさい。同情を引くためではありません。組織が混乱していて合意形成に時間がかかる相手だと思わせ、後回しにさせるのです。追加の兵役は、その間に様子を見て決めます。もちろん、通常の軍役は果たす姿勢を見せること」

 

家臣たちは言葉を失っていた。

 

「帝室の使者については、どの派閥か判明するまで保留。今すぐ払う理由はありません。内紛が続く限り、使者の権威も曖昧だ。曖昧なものには、曖昧な返答で十分でしょう。それでも反発するようなら、使者個人が満足する程度の『小遣い』でも渡しとけば良い」

 

リデルは卓上の書状に視線を落とした。

 

「ラムズ、使者の準備を。費用と人選は任せますが、出発前に一度私に通しなさい」

 

「……御意」

 

頭を下げるラムズの顔に、当惑と再評価、そして警戒が浮かぶのをリデルは見逃さなかった。

 

(少し見せすぎたか。警戒されすぎるのは得策ではない)

 

「もっとも」リデルは声を和らげ、子供らしく微笑んだ。


「私はまだ領地の詳細を把握していません。皆さんの経験が頼りです。引き続き、よく教えてくださいね」

 

ラムズの表情が緩んだ。警戒しつつも、安心した笑みだった。

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