1話
天啓の犠の会場の白い石床に、沈黙が落ちた。
神殿の天井から差し込む光は穏やかで、香炉の煙もゆるやかに揺れている。だが、参列者たちの動揺は隠しようがなかった。
「……もう一度、確認を」
神官長が低い声で言った。老いた指で水晶盤の縁をなぞるが、盤面は白いままだ。女神の光が宿る気配は、欠片もない。
「スキルは、ありません。以上です……」
非情な宣告が、広間に波紋となって広がった。
最初は遠慮がちだった囁きが、やがて堰を切ったように溢れ出す。
「バートン家の嫡子が、スキルなしとは」
「……てことは、リデル様は女神に見捨てられた、『背天者』なのか」
「伯爵は病床だし、唯一の後継ぎがこれでは……」
12歳のリデル・バートンは、そのすべてを冷静に聞いていた。
式典用の礼服に身を包んだ体はまだ細く、傍目には途方に暮れた子供に見えただろう。だが、その瞳の奥では静かな野心が燃えていた。
「リデル」
母シャルロットがそっと膝をつき、息子の両手を握った。震える手とは裏腹に、必死で笑みを作っている。
「大丈夫よ。スキルがなくても、あなたはあなた。神官様も仰っていたでしょう、スキルがすべてではないと」
母の目の下には濃い隈があった。十年以上も、病床の父に付き添い続けた結果であった。
(健気な人だ)
少年の姿をした彼は純粋にそう思った。
「ありがとう、母上」
真っ直ぐに見返して答える。そのあまりの落ち着きに、母のほうが呆気に取られた。
少し離れた場所では、父ジョルジュが介添えの者に支えられ、力なく頭を垂れていた。怒る気力すら奪うほどの病状。もう長くはないと、リデルは冷静に判断した。
父は頼りにならない。ならば、いまこの場を支配しているのは誰か。
視線を巡らせた瞬間、男と目が合った。
筆頭家老、ラムズ・ドーヴィル。
五十代半ばの大柄な体躯に、白髪交じりの髭。30年仕えた忠臣らしく、憂いと誠実さに満ちた完璧な表情で進み出てきた。
「リデル様」
ラムズがその場に膝をつく。筆頭家老が自ら臣下の礼をとる姿に、参列者の視線が一気に集まった。
「スキルの有無で家の価値は決まりません。私ラムズ、いかなる逆風が吹こうとも、バートン家に変わらぬ忠誠を誓います。共に、この家を建て直しましょう」
涙すら滲ませた低く落ち着いた声に、周囲からは感嘆の囁きが漏れる。
本来の12歳の少年なら、感動に目を潤ませただろう。
だが、今の彼は違った。
彼はスキルこそ授からなかったが、その代わりに、血と鉄、そして欺瞞に満ちた前世の70年。民を統べ、議会を掌握し、粛清と恩赦で国を操りながら、最後は病に倒れた「老独裁者」の記憶が、今この瞬間に蘇っていた。
前世にスキルなどなかった。それでも自分は世界を動かしたのだ。
使えるものは使い、使えぬものは排除する。恐れず、焦らず、慌てない。それが権力だ。
リデルは、ラムズの目をじっと見つめた。
前世の記憶が告げている。舞台の上で忠義を語りながら、裏で刃を研ぐ男の目だ。
「共に建て直す」――美味い言い回しだ。「お仕えする」ではなく「共に」。主導権がどちらにあるか、言葉が雄弁に物語っている。病床の領主と、スキルなしの12歳。これほど御しやすい獲物はない。忠臣の皮を被った「摂政」になる未来が、男の頭には見えているのだろう。
リデルは穏やかに微笑んだ。
「ラムズ、顔を上げてください」
子供らしい澄んだ声で告げる。
「あなたの忠誠、確かに受け取りました」
顔を上げたラムズの瞳に、安堵と微かな勝利の光が過った。
まだ気づいていない。この子供が、すでに自分を値判みし終えたことに。
(さて、やるべきことは山積みだな)
父の余命、家老の権限、領地の財政と兵力の把握。そして、スキルなしの当主が人心を掌握するための時間稼ぎ。
かつて老独裁者は、何もない寒村から這い上がった。
今度は12歳の身体と、スキルなしの烙印からだ。
(前と比べれば、悪くない条件だ)
リデルは心の中で、静かに不敵な笑みを浮かべる。
若い身体に老獪な精神を宿す少年は、再び味わえるであろう闘争と成り上がりに、心を躍らせた。




