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19話

「敵影、見ゆ」

その報せが届いたのは、翌日の昼頃だった。

リヴィル領郊外の街道沿い、山の斜面に複数の騎影が確認されたという斥候からの報告だった。数は五十前後。ルード騎士団の旗こそ確認できなかったが、装備と身のこなしから、まず間違いないとの判断だった。

リデルの決断は早かった。

 

「ガルヴェ」

 

「はっ」

 

「歩兵二百とフリンテ装備兵三百を率いて、郊外に向かってくれ。敵を捕捉次第、殲滅しろ」

 

「承知いたしました」

 

「ラムズ」

 

呼びかけに、ラムズが静かに頷いた。

 

「歩兵四百を率いて、ガルヴェの後詰めと周囲の哨戒にあたってくれ。敵が分散している可能性がある。街道だけでなく、迂回路にも目を配るんだ」

 

「御意に」

 

二人が部屋を出ると、リデルは窓から外を見渡した。

数百の兵が、砦の外に向けて動き始める。その行軍の姿は、街道からでも十分に視認できるはずだった。

これにより、砦に残る兵力は百名あまりとなり、防備は手薄になる。それはリデルも分かっていた。分かった上で、あえてそうしたのだ。

部屋の隅に控えていたコールが、静かに口を開いた。

 

「リデル様、もしかして」

 

「ああ」

 

リデルは短く答えた。

 

「見せているんだ、向こうに」

 

「……やはり、そういうことでしたか」

 

「郊外に姿を見せた五十騎は、おそらく囮だ。あれを見て、こちらが戦力を郊外に割くのを待っている。その結果、砦の守りが薄くなる――ジャック・ルードが本当に狙っているのは、最初からこの砦の中だ」

 

コールの顔が、再び緊張で強張った。

 

「では、なぜわざわざ敵の読み通りに兵を……」

 

「向こうの読み通りに動いてやることにも、意味はある」

 

リデルは窓から離れた。

 

「ジャックが今夜ここに来るなら、来させればいい。こちらもそれ相応の準備をしたうえでな」


───

 

同時刻、リヴィル領郊外の森の中。

木々の陰から、ジャック・ルードは遠眼鏡を覗いていた。

砦から、大規模な兵の移動が始まっていた。歩兵、フリンテ装備兵、続いてラムズが率いる後詰めの隊。数えれば、ゆうに五百を超えている。

郊外に向かっていくその背中を見ながら、ジャックは小さく息を吐いた。

 

「予定通りだ」

 

傍らに控えた五人の部下が、互いに顔を見合わせた。今日のために選りすぐった、騎士団内でも特に隠密と戦闘に秀でた精鋭たちだった。

 

「砦の守りは百そこそこになったな。暗殺に六人は、過剰なくらいだ」

 

ジャックは遠眼鏡をたたみ、整えられた髭をなでる。

 

「ミナ・リヴィルは砦の東棟にいる。警護は倍増されているようだが、その分、他の場所が手薄になっているはずだ。まずはそちらから入る」

 

「団長、未来の(ミナ)の確保が先ですかい?」

 

「ふっ、そうしたいところだがね。優先順位をつけるなら、リデル・バートンの首が先だ。あれさえ落とせば、後は自然に崩れる」

 

ジャックは外套の内側を確かめるように手を当てた。短剣が二本、確実に収まっている。

 

「俺が直接、首を取る。お前たちはミナのところへ行け」

 

部下の一人が、低い声で問うた。

 

「そのリデル・バートンの居場所は?」

 

「執務室か、あるいは自室だ。夜なら後者の可能性が高い。場所は砦の中央棟、二階の突き当たりだ」

 

「確認済みですか」

 

「この二日間、何のために街に潜伏していたと思っている」

 

ジャックは軽い口調で答えた。だが、その目は笑っていなかった。

 

「一点だけ、念を押しておく」

 

五人の顔が引き締まった。

 

「あの小僧を過小評価するな。年齢で判断するんじゃない。前日に警護パターンを変えてきた、それだけでこちらが潜入済みだと察知できる頭がある。そして、こちらの目的を読んでいる可能性は、常にゼロではない」

 

「では、あれも俺たちを誘い込むための罠かもしれないと?」

 

「その可能性もあるな。だがな」

 

ジャックは、夕暮れに染まり始めた砦の石壁を遠くから見つめた。

 

「読まれていたとしても、俺たちのやることは変わらない。あの守りで俺たちに対応できるかどうかは、また別の話だ」

 

暗くなり始めた空に、最初の星が一つ、瞬いた。

 

「日が落ちたら動く。それまで息を潜めていろ」

 

六人の影が、木立の中に静かに溶けていった。

そして夜が深まる。

 

月は薄雲に隠れ、星明かりだけが石畳を淡く照らしていた。

砦の外壁に、六つの影が音もなく貼り付いた。

ジャックは壁面を見上げ、指で高さを測るような仕草をした。七メートルほど。ロープなしで越えるには、通常の人間には不可能な高さだ。

だが、今夜ここにいる六人は、通常ではなかった。スキル持ちの精鋭というのは、そういう意味だ。

先頭の部下が、助走なしで跳躍した。爪先が壁面を蹴り、指先が縁を掴む。次の瞬間には、壁の上に立っていた。それに続いて、二人、三人。音はほとんどなかった。

ジャックもほぼ同じ動作で、上に立った。

外壁の上から、砦の内部を見渡す。

静かだった。静かすぎた。

 

「……」

 

哨戒兵の姿が、ほとんど見えない。いや、ゼロではないが、遠くの通路の端に二人、別の方向に一人、それだけだ。本来ならば、この時刻のこの場所には、最低でも六から八人の巡回があるはずだった。

傍らに着地した部下の一人が、ジャックに耳打ちした。

 

「少なすぎます」

 

「分かっている」

 

「これは、明らかに――」

 

「分かってるやい」

 

ジャックは静かに遮った。声は低く、しかし揺らいでいなかった。

少なすぎる哨戒。砦内の異様な静寂。それが意味することは、一つしかなかった。

罠だ。おそらく、間違いなく。

だが、ジャックは動きを止めなかった。

 

(罠だとして、何ができる?)

 

頭の中で素早く整理する。この砦の総兵力は百前後。昼に出撃した兵士を差し引く限り、それ以上の伏兵がいるとは考えにくい。仮に計算外の大部隊が潜伏していたとしても、今は夜だ。日中のように自由に連携が取れるものではないし、最悪の事態になれば闇夜に紛れて離脱も可能だ。

リスクとリターンを天秤に掛けた結果、行動する理由はそれで十分だった。

 

「行くぞ」

 

ジャックは壁から内部へと跳び下りた。着地の音は、猫のそれよりも小さかった。

内部の石畳を、六人が無言で進む。東棟と中央棟への分岐点に差し掛かったところで、ジャックは立ち止まり、振り返った。

 

「ここで分かれる」

 

五人の顔が、暗がりの中で頷いた。

 

「お前たちは東棟へ向かい、ミナ・リヴィルを確保しろ」

 

「了解です」

 

「ただし」と、ジャックは念を押すように続けた。

 「少しでも危険と判断したら、すぐに逃げろ。ミナの確保は次の機会でもできるが、命に次の機会はない」

 

「柄にもなく心配性ですね、団長」

 

部下の一人が、囁き声で軽口を叩いた。緊迫した場を和ませるような冗談だった。

 

「お前らが下手打たないか心配なだけだよ」

 

別の部下が同じ囁き声で受け、さらに続けた。

 

「そっちこそ、十三歳の小僧にしくじったりするなよ、団長。末代までの笑い話になりますぜ」

 

「はっ、そん時はお前らが任務を果たし、俺のかわりに領主様にでもなるんだな」

 

ジャックは平静な声でそれだけ返した。

誰かが笑いを噛み殺す、くっという微かな音がした。

それで、別れの挨拶は終わりだった。

五人が音もなく東棟へと消えていく。その背中を一瞬だけ見送って、ジャックは中央棟へと向き直った。

廊下の暗がりが、真っ直ぐ前に伸びている。月明かりが薄く、石床を照らしていた。

ジャックは外套の内側に手を当て、短剣の柄の感触を確かめた。

中央棟、二階の端。執務室か、あるいは自室か。

この時刻なら自室の可能性が高い。だが、あの小僧が「待っている」とすれば、むしろ自室に見せかけた別の場所という可能性もある。

どちらでも、同じことだ。

ジャックは歩き出した。

靴底が石床をほとんど音もなく滑る。暗がりの中を、影のように進んでいく。

砦の静寂は、変わらなかった。

それが、余計に背筋を冷やした。

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執務室床一面にネバネバのネズミ捕りしかけ 待ち伏せていよう
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