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13話

包囲から四日目が経過した。

城下を焼き、略奪を演じて挑発を続けたものの、トルデラン砦の城門が開く気配は一向になかった。敵将ミナ・リヴィルは、眼下の惨状を前にしてもなお、徹底した籠城の構えを崩さなかったのだ。

誘い出しの策が不発に終わったことで、焦燥はバートン軍の陣営にも伝染し始めていた。後方からヴェーデル公の増援が迫っているという事実が、兵たちの心理的な圧迫感となっていた。

 

「これ以上の時間稼ぎは危険にございます!」

 

本陣の幕舎に、筆頭武官ガルヴェの怒声が響いた。彼は机上の地図を激しく叩き、上座のジョルジュへと詰め寄る。

 

「敵の守備隊が動かぬ以上、これ以上の包囲は無意味。増援が到着し、背後を突かれれば我々は挟み撃ちです! 今すぐ全軍をもって砦への強攻を開始し、奴らを引き潰すべきです!」

 

「お待ちくだされ、ガルヴェ殿」

 

それを遮ったのは、冷徹な声音を保ったラムズだった。

 

「焦りは禁物だ。ローズヴェル公からの情報では、敵増援の正確な規模も、到着日時も未だ不鮮明。そのような状況で砦に強攻を仕掛け、我が方の兵力をすり減らすことこそ最悪の愚策。ここは包囲を継続し、敵の疲弊を待つのが上策かと」

 

「増援が来てからでは遅いと言っているのだ!」

 

「敵がいつ来るかも分からぬのに、城壁に向かって兵を突撃させろと言うのか!」

 

武官と文官の主張は真っ向から対立し、幕舎内の空気は一触即発の緊張感に包まれた。

二人の視線が、決断を求めて中央の総大将へと集まる。だが、椅子の背にもたれかかるジョルジュの顔色は青白く、呼吸は浅かった。ここまで進軍してきただけでも彼の肉体は限界を迎えており、激論を交わす家臣たちを前に、ただ苦渋の表情を浮かべるだけで、明確な裁定を下す気力は残されていなかった。

当主の沈黙が、さらに場を重苦しくさせる。

そのとき、ジョルジュの傍らに控えていた少年が、静かに一歩前へと踏み出した。

 

「二人とも、そこまでにしてください」

 

リデルの声は、酷く落ち着いていた。十三歳の少年のものとは到底思えないその絶対的な静けさに、ガルヴェもラムズも思わず口を閉ざした。

 

「ガルヴェの言う通り、背後を突かれるリスクは無視できません。同時に、ラムズの言う通り、詳細不明の増援を恐れて砦で兵をすり潰させるわけにもいかない。――ならば、答えは一つです」

 

リデルは冷徹な眼差しで地図の一点を指差した。それは、砦から遥か数里離れた、国境へと続く一本の峡谷だった。

 

「軍を、二つに分けます」

 

「分ける、ですと……?」

 

ガルヴェが眉をひそめた。ただでさえ一千という限られた兵力を分散させるなど、戦術の禁忌に近い。

 

「ラムズ。あなたには、常備兵を中心とした六百の軍勢を預けます。これまで通り、この砦の包囲を継続してください。敵に『いつ打って出るべきか』を迷わせ、釘付けにし続ける。それがあなたの役目です」

 

リデルは次に、自身の胸に手を当てた。

 

「そして、残りの四百。我がバートン本領軍は、私が率いてここを発ちます。ヴェーデル公の増援がこの地に到達する前に、遠方の峡谷でこれを迎撃、あるいは足止めいたします」

 

幕舎内が、一瞬にして静まり返った。

ラムズが目を細め、リデルの意図を探るようにその顔を凝視した。

 

(四百の兵で、規模も分からぬヴェーデル公軍の増援を迎え撃つだと?)

 

ラムズの脳内で、瞬時に計算が弾き出される。リデルが直轄領から連れてきた四百の兵は、農兵や練度の低い新兵が混ざっているはずだった。そんな手勢で増援にぶつかれば、最悪の場合、リデルは戦死する。それはラムズにとって、願ってもない展開だった。さらに、自分には主力に近い六百の兵が残される。主導権を握るには十分な条件だった。

 

「……リデル様の御決意、感服いたしました。ですが、四百の兵で増援を防ぎきれるのですか?」

 

ラムズは内心の邪推を完璧に隠し、懸念を装った声で尋ねた。

 

「問題ありません」

 

リデルは不敵に、しかし酷く冷ややかに微笑んだ。

 

「我が軍には、この一年の間に準備してきた『特別な備え』があります。地の利さえ確保すれば、どれほどの軍勢が相手だろうと、容易に一歩も通しはしません」

 

リデルの脳裏には、バートン領で秘密裏に増産され、この遠征に合わせて運び込まれた新型火器――「フリンテ」を装備した部隊の姿があった。


「父上、よろしいですね」

 

リデルが問いかけると、ジョルジュは微かに目を開け、絞り出すような声で「……許す。頼んだぞ、リデル」とだけ告げた。

 

「決まりだ。ガルヴェ、すぐに本領軍四百の出陣準備を。今夜のうちに発つ」

 

リデルの毅然たる命令に、ガルヴェは深く頭を下げた。ラムズもまた、胸の奥で黒い笑みを浮かべながら、恭しく一礼した。


───

 

夜明け前の薄闇の中、リデル率いる四百の軍勢は、静かにトルデラン砦の包囲陣を抜け出した。

先頭を行く馬上のリデルの隣には、ガルヴェが並んでいた。老練な武官は、暗い山道を進みながら、周囲を警戒するように声を極限まで落として口を開いた。

 

「リデル様」

 

「何だ」

 

「申し上げにくいことですが……ラムズのことです」

 

リデルは、前方を凝視したまま平淡に答えた。

 

「聞かせてくれ」

 

「あの男の真の目的は、砦の攻略などではありません。この戦の混乱を利用し、略奪によって私腹を肥やすこと――それこそが、ラムズが城下を焼くことに真っ先に同意した邪な理由にございます」

 

ガルヴェはさらに馬を寄せ、怨嗟を滲ませた。

 

「仮にこの砦攻めが失敗に終わった場合も、あの男は必ず逃げ道を作ります。略奪を命じたのはリデル様であり、作戦失敗の責もすべて主家にあると、我がバートン家に罪をなすりつけるのは目に見えております。あなたほど聡明なお方なら、それはすでにお分かりのはずと思い……」

 

ガルヴェがそこで言葉を切った。

松明の炎が、狭い山道を赤々と照らしている。しばらくの間、規則正しい馬の蹄音だけが夜の静寂に響いていた。

 

「知っている」

 

リデルは静かに、しかし断定的に答えた。

 

「ラムズが何を考えているかなど、だいたいは見当がついている」

 

「でしたら、なぜ奴の勝手を……!」

 

「城下町を焼いたのは、何も略奪が目的だけではない」

 

リデルはガルヴェの焦燥を、冷徹な声音で遮った。

 

「あれはすべて、砦を確実に仕留めるための布石だ」

 

「布石、ですか」

 

「ああ、直にわかる」

 

その時。

前方から、猛烈な勢いで迫る馬蹄の音が山道を揺るがした。息を激しく乱した斥候の兵が、滑り込むようにしてリデルの前へと馬を乗り入れた。

 

「報告いたします!」

 

その声は、隠しきれない戦慄を帯びていた。

 

「前方、峡谷の東側出口付近に――敵軍の野営地を確認! ヴェーデル公軍の増援です!」

 

リデルの手綱を引く手が、わずかに止まった。

 

「規模は」

 

「は……目視による確認では、その数、総勢およそ二千……!」

 

夜の山道に、凍りつくような沈黙が落ちた。

ガルヴェの顔がにわかに青ざめる。四百に対して二千。単純な兵力比にして、実に五倍。いくら増援の規模が不明だったとはいえ、ここまで圧倒的な大軍が押し寄せてくるとは想定外だった。

 

「……二千か」

 

リデルが低く呟いた。

だが、その声音に動揺の破片すら混じってはいなかった。

 

(上限に近いが、十分に想定の範囲内だ)

 

リデルは馬上で静かに前方の闇を見据えた。前世で数多の戦場を支配した独裁者の脳内には、すでにこの峡谷の精密な地形図が展開されている。狭隘な岩道、切り立った両岸の崖、一度に通過できる限界の横幅。そして、この四百の兵に隠された牙。

 

「ガルヴェ」

 

「は、はっ!」

 

「フリンテ部隊を前衛に出す。ただちに峡谷の入り口、および両岸の高台へと分散配置を始めさせてくれ。急げ」

 

「し、しかし二千の大軍を相手に、わずか四百では……!」

 

「峡谷の中では、二千も四百も関係ない」

 

リデルは初めてガルヴェへと顔を向け、不敵に、そして冷酷に微笑んだ。

 

「敵がどれほど群れようと、一度に通れる幅は変わらないのだからな。()を信じろ」

 

その瞳に、怯えなど皆無だった。夜明け前の漆黒の闇の中、十三歳の少年の横顔に、凄絶な威厳がありありと浮かび上がっていた。

 

「急げ。夜明けまでに、網を張り終えるぞ」

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