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12話

翌日、一千のバートン伯爵軍はトルデラン砦の麓に到達し、速やかに包囲の陣形を敷いた。

砦を見渡せる高台には、二つの人影があった。

ラムズ・ドーヴィルと、リデル・バートン。

こうして肩を並べるのは、一年ぶりのことだった。あの「金貨を受け取らない」という応酬以来、二人は表向き協調しながらも、互いに絶妙な距離を保ち続けてきた。それが今、戦場という最も剥き出しの舞台で、再び並び立っていた。

 

「兵力比ではこちらが優勢ですが」

 

ラムズが遠眼鏡を覗きながら、重々しく口を開いた。

 

「砦の地形に堅固な城壁――防御側に有利な要素が揃いすぎております。それに、敵将のミナ・リヴィル。不世出の『剣聖』のスキルを持つというあの娘も、決して侮れません」

 

「ええ」

 

リデルは短く頷いた。

 

「本来なら兵糧攻めにしたいところだが、それも難しい」

 

「仰る通りにございます」

 

ラムズが遠眼鏡を下ろした。

 

「ローズヴェル公からの報せでは、ヴェーデル公の増援がこちらに向かっているとのこと。規模は不明ですが、悠長に包囲を続けて時間を稼げば、我々が背後を突かれる恐れがあります」

 

長期戦は許されない。だが、強攻すれば莫大な犠牲は避けられない。地の利がある相手に、正面から兵をぶつけるのは最も愚かな選択だった。

リデルはしばらくの間、険しい砦の方角を静かに見つめていた。

 

「ラムズ」

 

「はい」

 

「あの砦の領主――リヴィル家は、領民に対して極めて温情深い統治をしているそうだな」

 

「……ほう」

 

「優れた人徳、領民からの厚い信頼。そして『剣聖』のスキルを持つ若き当主候補。そのような美しい評判が、わざわざ我が領にまで伝わってくるほどだ」

 

リデルの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。

 

「だとすれば、まず叩くべきは、砦の石壁そのものではあるまい」

 

ラムズが横目でリデルを見た。

リデルはそれ以上答えなかったが、その冷徹な表情だけで、十分すぎるほどの答えになっていた。

ラムズはしばらく沈黙していたが、やがて低く、得心のいったような声を漏らした。

 

「……奇遇ですな。私も、まったく同じことを考えておりました」

 

二人は互いの顔を見合わせ――そこに浮かんだ冷徹なまでの利害の一致に、声なき笑みを交わした。

 

 ───

 

城下町から立ち上る黒煙は、砦の城壁からもはっきりと見えていた。

最初の悲鳴が風に乗って届いたとき、見張りの兵士が悲痛な声を上げた。

 

「て、敵が城下を……! 略奪が始まっています!」

 

城壁の上には、瞬く間に兵士たちが集まった。眼下の街並みから次々と火の手が上がり、逃げ惑う住民たちの影が見える。バートン軍の旗を掲げた一団が、家々に火を放ち、商店の戸を蹴破る凄惨な様子が、ここからでも手に取るように分かった。

 

「ふざけるな……!」

「あの非道な真似を、このまま見過ごせるか!」

兵士たちの間から、激しい怒声が次々に上がった。

「我々が動かねば、町の者たちが皆殺しにされるぞ!」

「お嬢様! 今すぐ出撃のご命令を!」

 

城壁の中央に立つミナ・リヴィルは、その光景を目にして思わず拳を強く握りしめていた。

燃え上がる屋根。必死に逃げ惑う人々の姿。中には、自分が幼い頃から見知った顔も混ざっているはずだった。リヴィル領は決して大きな所領ではない。だからこそ領主と領民の距離は近く、ミナ自身、領内の多くの人々の名前と顔を覚えていたのだ。

 

「お嬢様!」

 

兵士の一人が、すがるように呼びかけてくる。

 

「あの者たちを、このまま見捨てるおつもりですか!」

 

ミナの唇が、自然と動きかけた。

 

「出撃を――」

 

「お待ちください、お嬢様」

 

その言葉を毅然と遮ったのは、老臣ネビドだった。

 

「これは罠にございます」

 

短く、しかし果てしなく重い声だった。

 

「ネビド、でも……!」

 

「目を逸らさず、よくお考えください」

 

ネビドは城壁の縁に手を置きながら、静かに、しかし強い口調で続けた。

 

「敵はなぜ、わざわざ城下町を焼いているのですか。砦を直接攻めればよいものを、なぜ無抵抗な住民を狙うのでしょう」

 

「それは……」

 

「我々を城外に誘い出すためです」

 

ネビドの冷厳な指摘に、ミナの息が一瞬止まった。

 

「砦に籠もられている限り、敵に勝ち目は薄い。それを分かっているからこそ、敵将は我々を引っ張り出して野戦に持ち込もうとしているのです。住民への略奪は、そのための最も効果的な誘い水にすぎません」

「だからといって……!」

 

ミナの声が、激しい葛藤に震えた。

 

「町の者たちを、ただ見殺しにしろというの!?」

 

「いいえ」

 

ネビドは静かに首を振った。

 

「ですが、ここで感情のままに出撃すれば、それこそ敵の思う壺です。我々がこの砦を出れば圧倒的な地の利は失われ、いくら『剣聖』たるお嬢様の力をもってしても、一千の軍勢を相手に優位を保つことは困難になります」

 

ミナは燃え盛る城下を見つめたまま、言葉を失った。

 

「お嬢様、今は耐えるべき時にございます。ヴェーデル公の援軍は必ず来ます。それまでこの砦を堅守し、援軍が到着した後に初めて反撃に打って出る。それこそが、最も多くの命を救う道なのです」

 

ネビドの言葉は、冷静で、論理的で――そして、残酷なまでに正しかった。

ミナの拳が、みっともなく震えていた。爪が手のひらに深く食い込み、血がにじむ。

 

「……分かったわ」

 

絞り出された声は、ひどく低かった。

 

「出撃は、しない」

 

城壁の兵士たちから、落胆と困惑の吐息が漏れた。だがミナはそれ以上何も語らず、ただ唇を噛みしめ、赤々と燃え上がる城下を見つめ続けていた。

 

(分かっている。これが、正しい判断だということは)

 

頭では理解していた。だが、目の前で焼かれていく故郷を、ただ見ていることしかできない自分自身に、猛烈な無力感が押し寄せてくる。

その無力感は、やがて――激しい嫌悪を孕んだ一つの感情へと、形を変えていった。

 

(リデル・バートン……)

 

その名前を、これまで彼女はある種の敬意を以て捉えていた。自分と同じ若さで、同じように重い責任ある立場に立たされながらも、確実に成果を上げてきた者として。スキルがないという逆境を跳ね返した、優れた若き為政者として。

だが、その評価は今、最悪の形へと塗り替えられた。

町を焼き、無辜の領民を犠牲にする。それを、ただ自分たちを誘い出すための「道具」として、何の躊躇もなく利用する冷血漢。

 

(これがあなたの本性だというの)

 

激しい炎の照り返しが、ミナの瞳に深く映り込んでいた。それは怒りや嫌悪、そして、自分自身が決して選ばないであろう外道な手段を平然と選んでみせる相手への、底知れない恐怖が混ざり合った、複雑な光だった。

 

「……必ず、報いは受けてもらう」

 

その呟きは誰に届くこともなく、ただ静かに、燃える街並みの向こうへと消えていった。

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悲しきかな、これは戦。
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