106話
その頃、リデル率いる別働隊は激しい死闘を繰り広げていた。
──と、いうわけでは無かった。
すでに敵からは三度にわたる総攻撃を受けていた。
しかし、そのことごとくをリデルら千名の精鋭は容易く押し返していたのだ。
隘路という圧倒的な地の利。兵の練度の差。そして、率いる将帥としての力量の懸隔──。
あらゆる条件がリデル側に絶対的優位として働いていた。
だが何より、この五倍もの兵力差を跳ね返していた最大の要因は、兵士一人ひとりの「士気」の差であるとリデルは見抜いていた。
「……リデル様のおっしゃる通りでしたね」
眼下に群がる敵兵の動揺を見下ろしながら、リーフィアが呟く。
「これならば、味方の主力が到達するまで十分に耐え切れそうです」
「ああ」
リデルは淡々と応じた。
「長引く敗戦に追い詰められ、従うべき主君は無能な上に寝返りを企ててあっさりと失敗した……。これでは末端の一兵卒に至るまで、士気が底をつくのも無理はない」
リデルが敵地へ単身潜入し、間者働きを行った際に掴んでいた確かな事実──。
今回の作戦は、その事実を盤上の起点として組み立てられたものであった。
すべては、功名心に焦るアーキバス伯を狙い撃ちにするための罠だったのだ。
主力軍をあえて東の主要街道へ向かわせ、自らは少数の別働隊を率いて山道の連絡線から迂回攻撃を仕掛けるように見せる。
アーキバス伯のもとに届いた「別働隊発見」の報せも、元を正せばリデルが山村の住民を介して意図的に流させた情報であった。
喉から手が出るほど武功を欲しているアーキバス伯を、まんまとこの連絡線へと誘い出すために。
敵の主力を引きつけている間に、本隊を率いるガルヴェが東から西へと急速転進する。
そして先行したラムズが、アーキバス伯不在のスキを突いて各拠点へ「伯爵はすでにバートン家に寝返った」という誤報を流し、無力化あるいは寝返らせて味方に引き入れてしまう──それこそがリデルの描いた全貌であった。
アーキバス伯には寝返りの前科があり、すでに家臣や部下からの信頼など微塵も残っていない。
思慮の浅い者はラムズの虚報を疑いもせず信じ込み、勘の働く者であれば「渡りに船」とばかりにこちらの策に乗ってくる。
裏切る者が一人でも出れば、敵の組織は加速度的に内部から崩壊していくのだ。
無能で信義のない愚物がトップに君臨する組織を崩壊させることなど、リデルにとっては朝飯前であった。
しかし、そんな彼にもわずかな「計算違い」もあった。
当初の計画では、西へ迂回した主力軍と連携し、アーキバス伯の手勢を前後から挟み撃ちにする手筈であった。
だが、アーキバス伯率いる軍勢は、リデルの想定以上に脆く、脆弱であったのだ。士気の低さと「五千」という数の多さが仇となり、兵たちは互いに自らの命を惜しんで保身に走っていた。
「……リーフィア」
眼下の敵陣を見つめながら、リデルが静かに命じる。
「次に敵の攻撃を退けたら、総員着剣。逆襲へ転じるぞ」
リーフィアが弾かれたように振り返った。
「ぎ、逆襲……ですか!?」
驚きを隠せない声。
「我らわずか千の兵で、五千を擁する敵軍に打って出ると……?」
「ああ」
「……またご自身で、そのように無茶をなさる」
「無茶ではない」
リデルの口元が緩やかに歪む。
「すべて、しっかりと計算した上でのことだ」
見る者がみれば、底知れぬ恐怖を覚えるような不敵な笑みをリデルは浮かべていた。
───
「……それで、我々の援護を待つまでもなく、五倍以上の敵勢を自ら蹴散らしてしまったと?」
ようやくの思いでリデルとの合流を果たしたラムズは、呆れと驚愕の混じった声で問いかけた。
「ああ。十分に勝機があったのでな」
リデルは素っ気なく答える。
「……アーキバス伯の行方は?」
「さあな」
リデルは後方に転がる屍の山を一瞥した。
「あの死体の山の中に埋もれているのかもしれんし、運良く難を逃れて山中を惨めにはいずり回っているのかもしれん。……まあ、奴の生死などどうでもいいことだ」
冷たく切り捨てると、言葉を継ぐ。
「それより、各拠点の制圧は順調と見て良いのだな?」
「ええ。主要な拠点はすべて説得に応じ、無血開城いたしました。ガルヴェ率いる本隊の先鋒もすでに到達し、順次砦を通過してクロンドへ向かって進撃しております」
「……キリルの方はどうだ」
ラムズは重い面持ちで首を横に振った。
「残念ながら……消息につながるような手掛かりは見つかりませんでした」
「そうか」
リデルは短く呟いた。
「死体が見つかっていない、ということだな。ならばクロンドへ急ごう。敵の本拠地で囚われている可能性がある」
ラムズは再び目を見張った。
実の父親である自分ですら、キリルの生存を諦めかけていたというのに──リデルには、死を疑う気配すら微塵もなかったからだ。
どうしても、訊かずにはいられなかった。
「……どうしてなのですか、リデル様」
ラムズは問う。
「どうしてリデル様はご自身をそれほどの危険に晒してまで……そこまでして、キリルを助け出そうとされるのですか?」
「奴と私は、血こそ繋がってはおらんが、同じバートン家の『兄弟』だからな」
「ですが……!」
ラムズは、胸の奥に溜め込んでいた本音を漏らした。
「キリルは、本来であれば貴方様が座るべきであった『嫡男』の椅子に座っている男なのですよ! むしろこの世から姿を消してくれた方が、貴方様にとっても都合が良いのではないでしょうか……!」
リデルはふっと口元を緩めた。
「なんだ……お前は知らんのか?」
「……何を、でございますか?」
「私のもとには未だに、毎日のように両親から手紙が届く。些細な日常の出来事から喜ばしい知らせ、ちょっとした不平不満に至るまでな。……だが、奴がバートン家に入ってからのこの四年、キリルに関する文句など一度たりとも書かれていたことはない」
一拍置き、穏やかな眼差しで告げる。
「それどころか、私が嫉妬してしまうほどにベタ褒めの内容ばかりだ。助けに向かう理由など、それで十分だろう?」
ラムズは返す言葉を失った。
そこには、何一つとして打算など存在しなかった。
利害や計算など一切なく……ただただ純粋で人間らしい絆のために、リデルは全身全霊でキリルを救い出そうとしていたのだ。
この冷徹な異才の内に秘められた「情」に、ラムズは生まれて初めて触れた気がした。
「……では、共に行こう───」
リデルが足を踏み出そうとした、まさにその瞬間であった。
ハッと、ラムズの目が据わった。
次の瞬間──ラムズは全身の力を振り絞り、リデルの体を強く突き飛ばした。
「リデル様ッ!!」
突如の行動にリーフィアが悲鳴を上げ、ラムズに向けて即座に剣の柄へと手をかける。
──直後。
数瞬遅れて、山間に空気を切り裂く甲高い銃声が一発、轟然と鳴り響いた。
リデルとラムズが立っていたその場所に、鮮血の飛沫が盛大に舞い散った。




