101話
夏が去り、秋の色が日増しに濃くなっていた。
木々の葉が朱や黄に染まり始め、朝夕の空気には冷気が混じる。
北部本領貴族攻略の最前線に位置する街「レイオン」。
リデルとリーフィアは到着するや否や、直ちに本陣へと案内された。
重々しい扉を開けると、そこには見知った顔ぶれが揃っていた。
ラムズ、ガルヴェをはじめ、バートン家の重鎮たちがそれぞれの席に着いている。懐かしさが胸を掠めたが、それに浸る猶予などなかった。
「……遠方よりのご足労、誠にご苦労に存じます。リデル軍監殿」
ラムズが頭を下げた。
丁寧な立ち振る舞いではあったが、どこか刺のあるよそよそしさが漂う。「軍監殿」という余計に距離を置いた呼び方が、その内心を物語っていた。
「いや、そちらこそ北部本領貴族の攻略、大義である」
リデルが応じる。
「本来であれば数万の援軍を率いて参るべきであったが、なにぶん我らは今、苦境の渦中にある。私と僅かな護衛のみでの参陣となり、申し訳なく思う」
「いえいえ……」
ラムズは顔を上げ、嫌味を交えて言った。
「誰ぞが『眠れる獅子』を不用意に呼び覚ましてしまい、余計な難敵を増やしてしまったようでございますが……我ら一同、グランツ様のために粉骨砕身仕えるのみでございますから」
明らかな侮蔑を含んだ言葉であった。
リーフィアの眉がわずかに跳ね、ガルヴェも居心地悪そうに目を伏せる。バートン家の中でもリデルに好意的な者たちが微妙な表情を浮かべた。
だが、リデルは顔色ひとつ変えず、その言葉を静かに受け流した。
その無反応を見たラムズは、ふっと息を吐くと言葉を続けた。
「とはいえ。私個人といたしましては、数十万の無能な増援より、貴方様お一人の方がよほど頼もしく思えます」
声のトーンを切り替える。
「ちょうどこれから軍議を開くところでございました。軍監殿も、ぜひご参加いただけますかな?」
「もちろんだ。そのためにここへ来た」
「……コホン」
空気を察したガルヴェが軽く咳払いをした。
「立ち話も何でございます、どうぞこちらの席へ」
かつての主従関係の折と変わらぬ、温かみのある態度で席を促す。リデルは小さく頷き、示された席に着いた。
「では、現在の戦況についてご説明いたします」
ガルヴェが立ち上がり、壁に掲げられた大判の軍術地図へと向かった。
地図には、いま自分たちがいるレイオンと、そのさらに北方に位置する敵本拠地「クロンド」の周辺が詳細に描かれていた。
「現在我々は、昨年反旗を翻した北部本領貴族を討伐すべく、一年にわたり対陣を続けてまいりました」
指揮棒が地図の上を滑る。
「当初は獲得領地の維持防衛と兵の調練、並びに調略による地道な勢力拡大に努めてまいりましたが、約一年かけて蓄えた戦力を投入し、この夏より大規模攻勢を実施いたしました。攻勢開始前は北部三州のうち一州弱に過ぎなかった我らの勢力圏を、二州強にまで拡大することに成功。現在はここレイオンまで進出し、その重心付近に五万の兵を展開させております」
指揮棒の先が、レイオンの北にそびえる山脈を指し示した。
「しかしながら、北部本領地域において大軍を効率運用できる平地は、ここで終わります。レイオンと、ラングレー公の現本拠地クロンドとの間には峻険な『ノルド山脈』の山岳地帯が東西に横断しており、敵を叩くにはこれらを突破せねばなりません」
ガルヴェは山脈の筋をなぞる。
「この山岳地帯には二つの主要街道が存在します。ラングレー公の推定残存兵力が三万を超える以上、クロンドを攻略するにはいずれかの街道を進撃するほかありません」
一拍置き、重々しく告げる。
「しかし……それがどれほど困難なことか、この場にいる諸君に説明の必要はないでしょう」
将軍たちから低く重い唸り声が漏れた。
主要街道とは名ばかりの険しい山道だ。平地に比べ圧倒的に道幅が狭く、視界も悪い。まさに守るに易く攻めるに難い天険である。さらに街道沿いには複数の要塞や砦が築かれているとの報もあった。
仮に街道の突破に成功したところで、砦に籠城する敵軍から兵站線を絶たれる危険が常に付き纏うのだ。
ガルヴェは説明を続けた。
「本来であれば、地道に時間をかけ、拠点を一つずつ潰しながら慎重に進むのが兵法の定石でございます。……しかし、我々にはその時間が残されておりません」
声に焦燥の熱が籠もる。
「本格的な冬が到来すれば、豪雪により山岳地帯での軍事行動は不可能となります。かといって来春まで待てば、リデル様が聖母派と結ばれた停戦協定が失効し、リガニア大公領を経由して敵の大軍が本領地域へとなだれ込んでくる公算が極めて高い。そうなれば我らは多方面からの挟撃を受け、状況は決定的に悪化いたします」
ラムズとは対照的に、ガルヴェはギリアスの件には一切触れなかった。
「つまり我々は、早急にラングレー公を打倒し、北部本領地域を完全に平定せねばならぬのです! 来たるべき来春の大決戦に万全の体勢で臨むために……! ローズヴェル国の命運は今や、我らの肩にかかっていると言っても過言ではないのですッ!!」
居並ぶ将官たちの唸り声が一段と大きくなった。
正論であるがゆえに、誰もが有効な打開策を見出せずにいたのだ。
リデルは静かに地図を見つめていた。
脳裏にはいくつか突破の手立てが浮かんでいたが、敢えて口には出さなかった。
軍監という自らの立場を弁えていたこともあるが、何より──ラムズの様子から、彼らに何らかの腹案があることを察していたからだ。
その予測は的中した。
ガルヴェがちらりとラムズに視線を送る。
「……なお、今回の件につきましては、ラムズ殿より策があると伺っております。どうぞ皆に、ご紹介願います」
ラムズが悠然とした動作で立ち上がり、前へと出た。
「先ほどガルヴェ殿が説明された通り、我らは早急にこの山岳を突破し、グランツ様の威光に従わぬ愚か者どもを屈服させねばなりません」
指揮棒を受け取り、西側の街道をなぞる。
「この難題を解決すべく、我がバートン家の次期当主・キリル様が動かれました。そして……この西の街道を守備する敵主将・アーキバス伯爵の『調略』に成功したのです!」
どっと将軍たちがどよめいた。
「現在、最終交渉の詰めを行うべく、キリル様が直々に敵地へと赴いております。これをもって今月中に、我らは無傷で山岳地帯を踏破し、ラングレー公討伐への確固たる道を切り拓くことができるのです!」
歓声が沸き起こった。
手柄を立てたキリルを称賛する声が、幕舎のあちこちから上がる。
ラムズは誇らしげにリデルの方を振り返った。
「つきましては、リデル軍監殿にもご意見を伺いたく存じますが……いかがでしょうか?」
「そこまで完璧に準備されているのであれば、私が申し上げることは何もない」
リデルは淡々と応じた。
「事が無事に成った暁には、軍監としてグランツ様にその類まれなる軍功をしっかりとご報告させていただこう」
ラムズは満面の笑みを浮かべ、深々と一礼した。
こうして軍議は終わり、作戦開始は「二週間後」と決定した。
リデルは言葉通り、ラムズとキリルの立てた作戦自体に異論はなかった。
しかし──胸の奥底に、どうしても拭いきれない微かな引っかかりが残っていた。
(……キリルのことだ、無謀な賭けに出る男ではないだろうが。自ら敵地深くへ乗り込むとは、無茶をする)
その胸騒ぎは、悲しくも的中することとなる。
作戦開始の当日になっても──キリルがレイオンの陣営に戻ってくることはなかった。




