第9話「評判という、諸刃の剣」
もるが畑に潜ってから、十日が過ぎた。
その間にも、薬の評判は、静かに、だが確実に、広がっていた。
リント村の薬師が、フィナの薬を、近隣の知り合いに紹介したらしい。「カルム村の薬は、効きがいい」「値段も良心的だ」——そんな声が、湖の周りの村々を、口づてに、回りはじめていた。
ある朝、店を開けると、見慣れない顔の客が、三人も並んでいた。
「あんたんとこの、熱冷ましをくれ。隣村で、評判でな」
「うちの婆さんの、関節の薬、あるかい」
フィナは、内心、驚きながらも、丁寧に応対した。エミが調合した薬を、ソルが各地へ運ぶ。その薬を使った人が、また別の人に勧める。小さな波紋が、少しずつ、広がっている。
「……すごいですね」客が帰ったあと、エミが、ほうっと息をついた。「私が十年かけても、こんなに評判にならなかったのに」
「エミさんの腕が、いいからです」フィナは、言った。「私は、それを、運んで、届けてるだけ」
「またそうやって、自分の手柄にしない」エミは、頬を膨らませた。「フィナさんがいなかったら、私、今でも、手前の薬草で、しょぼい薬を作ってましたよ。それが今じゃ、隣村からお客さんが来るんですから。昨日なんて、リント村の薬師さんから、調合のコツを教えてくれって、手紙が来たんですよ。私が、教える側に。信じられます?」
エミの声が、最後は、少し、震えていた。誇らしさと、戸惑いと、それから——長く報われなかった努力が、ようやく光を見た、その実感。
「エミさんが、積み重ねてきたものです」フィナは、静かに言った。「私は、きっかけを、作っただけ」
チコが、カウンターの上で、うんうん、と頷いた。
「フィナ、スゴイ」
「チコは、私が褒められると、なぜか得意げだよね」
「トウゼン」
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昼過ぎ、ガルドが、帳簿を抱えて、店に来た。
いつもの、煙草をくわえた顔。だが、その目が、わずかに、輝いていた。
「フィナ。今月の売上だ」
ガルドが、帳簿を、カウンターに、ばさりと置いた。
フィナは、数字を、目で追った。先月の、三倍近い。経費を引いても、十分な利益が出ている。ガルドへの取り分を払っても、村に、しっかりとした収入が、残る。
「……増えましたね」フィナは、思わず、口元を緩めた。
「増えた、どころじゃねえ」ガルドが、煙を吐いた。「俺が現役だった頃でも、こんな伸び方は、そうそうなかった。三ヶ月で結果を出せって言ったが——お前、二ヶ月で、軽く超えそうだぞ」
「まだ、油断はできません」
「相変わらず、固いな」ガルドは、笑った。「だが、まあ、いい傾向だ。この調子なら、村に、人を雇う余裕も出てくる。出ていった若い連中を、呼び戻せるかもしれん」
その言葉に、フィナは、ふと、顔を上げた。
——人を、呼び戻す。
村が、人を養えるようになる。出ていくしかなかった者が、帰ってこられる場所になる。それは、フィナが、漠然と思い描いていた、その先にあるものだった。
「いいですね」フィナは、静かに言った。「それ、すごく、いい」
「お前が、やってることだ」ガルドは、ぶっきらぼうに言って、煙草を、揉み消した。
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平和な空気が、変わったのは、夕方だった。
店じまいをしようとしていたフィナの前に、一人の男が、現れた。
今までの客とは、明らかに、違った。
身なりが、いい。だが、商人にしては、目つきが、鋭すぎる。腰は低いが、その低さが、どこか、計算されている。男は、にこやかに、笑った。
「失礼。こちらが、噂のカルム村の、薬屋さんですかな」
「……はい」フィナは、警戒を、声に出さないよう、応じた。「何か、お探しですか」
「いやはや、いい評判を、あちこちで聞きましてね」男は、店内を、さりげなく、見回した。その視線が、棚の薬を、一つ一つ、値踏みするように、舐めていく。「ぜひ一度、拝見したいと。私、王都の商会で、仕入れを任されている者でして」
王都。
その言葉に、フィナの指先が、わずかに、こわばった。
「……王都から、わざわざ?」
「ええ。これだけの品質の薬が、こんな辺境で作られているとなれば、放っておけません」男は、笑みを深めた。「ところで、一つ、お伺いしても? この薬の、薬草は——どちらで、お採りに?」
フィナの背筋に、冷たいものが、走った。
——出どころを、探っている。
ベルが、肩の上で、ぴくり、と耳を立てた。だが、フィナは、目で、それを制した。今は、騒ぎを起こすときではない。
「森で、採れます」フィナは、当たり障りなく、答えた。「この辺りの、ありふれた薬草です」
「ほう。ありふれた薬草で、これほどの品質を」男は、感心したように、頷いた。だが、その目は、笑っていなかった。「それは、よほど、腕のいい採り手が、いるのでしょうな。……一度、その採り手に、お会いしたいものです」
「ただの、村の者です」
フィナは、男の目を、まっすぐに見返した。瞬き一つ、しなかった。声に、わずかな揺れも、にじませなかった。令嬢として、何百回と繰り返した、表情を消す技術。それが、今、役に立っていた。
「そうですか」男は、ふっと、視線を緩めた。それ以上、踏み込まなかった。代わりに、薬を、いくつか買い込んだ。「では、また、寄らせていただきます。いい店だ」
男は、丁寧に一礼して、店を出ていった。
その背中が、見えなくなるまで、フィナは、動かなかった。
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「……あれは、まずいですね」ベルが、低く言った。
「うん」
「明らかに、薬の出どころ——つまり、あなたのテイムを、探っています。ただの仕入れ人が、採り手に会いたがる理由は、ありません」
「うん」フィナは、店の戸を、静かに閉めた。「魔物が採取してることが、知られたら……いえ、それは、まだいい」
「まだ、いい?」
「問題は、その先」フィナは、声を、落とした。「『これほどの薬草を、魔物に採らせるテイマーが、辺境にいる』——その情報が、どこまで、登っていくか」
ベルが、沈黙した。
テイマー。それも、並外れた力を持つ、若い娘。その情報は、商会から、もっと上へ。貴族へ。そして——
フィナは、その先を、考えるのを、やめた。
「考えすぎ、かもしれません」フィナは、自分に言い聞かせるように、言った。「ただの、商売熱心な仕入れ人かも」
「そうだと、いいですが」ベルの声は、硬かった。
その時、店の奥から、とてとてと、チコが出てきた。フィナの足元で、しっぽを、不安げに、揺らす。
「フィナ、ヘンナカオ」
「……そう?」
「サッキノヒト、キライ」チコは、きっぱりと言った。「ニオイ、ヤナカンジ」
魔物の勘は、侮れない。フィナは、しゃがんで、チコの頭を、撫でた。
「大丈夫。何かあっても、私が、なんとかする」
「……マモル」チコが、頬袋を、ぎゅっと、膨らませた。「フィナ、マモル」
「ありがとう」
フィナは、笑った。だが、その笑みの裏で、胸の奥の、嫌な予感が、少しずつ、大きくなっていた。
窓の外、湖が、夕闇に沈んでいく。
穏やかな村の日々に、ひたひたと、何かが、近づいてくる音がした。
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【第九話終了時点 カルム村ステータス】
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人口 : 32人
村の活気度 : 上向き(星3/5)
テイム魔物 : ベル/チコ/ソル/もる
確立した産業 : 薬草・薬品販売(売上、先月の約3倍)
農業 : もるが改善中(成果待ち)
新たな展望 : 人を雇い、村に人を呼び戻せる可能性
新たな脅威 : 王都の商会の調査員が来訪・出どころを探る
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フィナの三ヶ月の期限まで:残り約7週
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【幕間・回想 その九】王都 五年前、旅立ちの夜
決意してから、アルナの動きは、速かった。
母から受け取った革袋。地味な平民の服。最低限の荷物。それらを、少しずつ、誰にも気づかれないよう、揃えていった。完璧な令嬢を演じながら、その裏で、逃げる準備を、進めた。
出立の夜。
アルナは、家族の寝室の前を、一つずつ、通り過ぎた。
父の部屋。長兄の部屋。次兄の。三兄の。
扉の前で、足を、止めた。
——さようなら。
声には、出さなかった。出せば、決意が、揺らぐから。皆を、愛していた。痛いほど。だが、この城にいる限り、アルナは、二度と、息ができない。それも、分かっていた。
最後に、母の部屋の前を、通った。
扉は、閉まっていた。だが、その隙間から、灯りが、漏れていた。母は、起きていた。アルナの旅立ちを、知りながら、見送らないことで、見送ろうとしていた。
アルナは、扉に向かって、深く、頭を下げた。
そして、振り返らずに、歩き出した。
城門を、抜ける。星空の下、初めて、一人きりで、世界に、放り出された。
怖かった。心細かった。
だが——息が、できた。
生まれて初めて、アルナは、自分の足で、自分の道を、歩いていた。
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続く
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あとがき
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、評判が広がる嬉しさと、その評判が呼び寄せる影を、同時に描きました。商売が成功するほど、フィナの「出どころ」に目を向ける者が現れる。評判は、諸刃の剣です。
チコの「サッキノヒト、キライ。ニオイ、ヤナカンジ」という勘の鋭さ。そして「フィナ、マモル」という一途さ。この子たちの忠誠が、これから、大きな意味を持ちます。
回想は、ついに、アルナの旅立ち。閉じた扉から漏れる灯り——見送らないことで見送る王妃の愛が、書きたかった場面です。
【ブックマーク】次回、調査員の正体と狙いが見えてきます。更新通知で見逃しません。
【評価】星ひとつで、新しい読者に届きます。
【感想】「チコの勘が鋭い」「旅立ちに泣いた」、一言でも必ず返します。
次回、王都の影は、思わぬ形で、村に踏み込んできます。




