第8話「土を耕す、ちいさな手」
査察官の騒ぎから、数日が過ぎた。
薬草の商売は、順調だった。リント村への納品も、安定している。だが、フィナは、店のカウンターで、紙を睨みながら、考え込んでいた。
「次が、要りますね」
「次、ですか」ベルが、カウンターの上で、耳を傾けた。
「薬草だけだと、一本足で立ってるようなもの。何かあって倒れたら、それで終わり」フィナは、ペンの尻で、こめかみを軽く叩いた。「もう一本、柱がほしい。村が、自分で食べていける、別の何かが」
チコが、カウンターの端で、頬袋をふくふくさせながら、ぽつりと言った。
「タベル、ダイジ」
「うん。食べるの、大事」フィナは、笑った。「だから、食べ物そのものを、考えてる」
「タベモノ!」チコの目が、輝いた。
「あなたが食べる分じゃないからね」
「……ソウカ」
しゅん、と、チコの耳が垂れた。
---
その日の午後、フィナは、村の外れに足を運んだ。
ルーベ夫妻の畑だった。広い。日当たりも、悪くない。だが、育っている麦は、どこか貧相だった。穂が、青くなりきれず、力なく、風に揺れている。
「あら、フィナさん」
畑の端で、腰を伸ばしていたルーベの奥さんが、フィナに気づいた。手の甲で、額の汗を拭う。
「精が出ますね」
「精を出しても、これなのよねえ」奥さんは、苦笑して、畑を見渡した。「昔っから、ここの土は、痩せててね。何を植えても、ぱっとしないの。だから、若い子は、みんな村を出ちゃう。畑じゃ、食べていけないって」
フィナは、しゃがんで、土を、少し手で掘った。
乾いている。色が、薄い。指で揉むと、ぱさぱさと、崩れる。養分の少ない土の、典型だった。
「……土の問題、ですね」フィナは、立ち上がった。「日当たりも、面積も、十分なのに。もったいない」
「直せるもんなら、直してほしいけどねえ」奥さんは、ため息をついた。「土ばっかりは、どうしようもないでしょ」
フィナは、答えなかった。代わりに、肩のベルに、小声で尋ねた。
「ベル。土を、豊かにする魔物って、いる?」
「……いますね」ベルは、少し考えた。「湿った土を好む種類なら、その手の力を持つものがいます。ただ、めったに人前には出てきません。地中で暮らしますから」
「チコ、わかる? 土に詳しい子の匂い」
チコが、ぴくっと、ひげを動かした。鼻を、ふんふんと鳴らす。それから、しっぽを、ぴんと立てた。
「……イル。ミズノ、ソバ」
「水のそば?」
「ウン。ヌレタ、ツチ」
フィナは、ベルと目を合わせた。湖の、ほとりか。
---
湖の岸辺は、葦が、生い茂っていた。
チコが、先導して、とととと、と葦の間を進んでいく。フィナは、足元を確かめながら、後を追った。地面が、だんだん、ぬかるんでくる。
「気配は、します」ベルが、警戒しながら言った。「ですが、敵意はありません。むしろ……のんびりしてますね」
チコが、ある場所で、ぴたりと止まった。
前足で、地面を、とんとん、と叩く。「ココ」
フィナが、そっと、そのあたりの土を、覗き込んだ。
最初は、何も、見えなかった。
だが——土が、もぞ、と動いた。
ぽこ、と、小さな頭が、顔を出す。
ずんぐりとした体。ビロードのような、土色の、柔らかそうな毛並み。大きな前足。そして、小さな、つぶらな目が二つ。
モグラだった。魔物版の、だが。子猫くらいの大きさで、フィナを、きょとんと、見上げている。
「……かわいい」フィナの口から、思わず、漏れた。
「カワイイ」チコも、同意した。
「……まあ、認めます」ベルも、しぶしぶ、頷いた。
モグラは、しばらく、フィナたちを見ていたが、別に逃げる様子もなかった。むしろ、また土に潜ろうとして、半分埋まったところで、面倒くさそうに、止まった。
フィナは、しゃがんで、そっと手を差し出した。テイマーの力ではなく、ただの、手を。
「こんにちは。少し、お話、できる?」
モグラは、つぶらな目で、フィナの手を見た。それから、のそのそと、土から這い出てきて——フィナの手のひらに、大きな前足を、ぽふ、と乗せた。
その瞬間、温かいものが、フィナの中を、すっと通った。
「……繋がりましたね」ベルが、言った。
---
「……つち、すき」
モグラが、ぼそりと、言った。
低くて、のんびりした声だった。フィナは、思わず、頬が緩んだ。
「私は、フィナといいます。あなたは、土が好きなの?」
「すき」モグラは、こくり、と頷いた。「……いい、つち、つくる。とくい」
「いい土を、作るのが、得意?」フィナの目が、わずかに、見開かれた。
「とくい」モグラは、自慢げに、小さな胸を、ぐっと張った。「ほる。まぜる。ふかふか、する」
フィナは、ベルと、顔を見合わせた。
——掘って、混ぜて、ふかふかにする。
まさに、痩せた畑が、必要としているものだった。土を耕し、地中の養分を、かき混ぜる。人間が、何年もかけてやることを、この子は、本能で、やれる。
「お願いがあるの」フィナは、モグラの目を、まっすぐに見た。「痩せてしまった畑を、あなたの力で、よくしてほしい。一緒に、来てもらえる?」
モグラは、つぶらな目を、ぱちぱちさせた。
「……つち、ある?」
「たくさん、あります。広い畑が」
「……ひろい」モグラの目が、きらん、と光った気がした。「……いく」
「ありがとう。名前は、ある?」
「……ない」
「じゃあ——もる、はどう? モグラの、もる」
モグラは、こてん、と首をかしげて、それから、こくり、と頷いた。
「……もる。いい」
ベルが、ため息まじりに、言った。「……また、そのまんまですね」
「覚えやすいので」フィナは、悪びれずに、もるを抱え上げた。ずっしりと、温かくて、土の匂いがした。
「チコ、ナマエ、もる」チコが、報告するように言った。
「知ってます、目の前で名付けたので」ベルが、げんなりと返した。
---
もるを、ルーベ夫妻の畑に連れて行ったのは、夕方だった。
奥さんは、フィナが抱えてきたモグラを見て、目を、丸くした。
「えっと……それは」
「もるです。土を、よくしてくれます」
「土を……モグラが?」
フィナが、もるを、畑の土の上に、そっと下ろした。
もるは、地面に、大きな前足を当てると——ぐぐっ、と、潜っていった。一瞬で、姿が消える。
そして、しばらくすると、畑の地面が、ぼこ、ぼこ、と、あちこちで盛り上がりはじめた。もるが、土の中を、縦横無尽に、駆け回っているのだ。盛り上がっては沈み、沈んでは盛り上がる。まるで、土が、生き物のように、呼吸を始めたみたいだった。
「な、なにこれ……っ」奥さんが、ぽかんと、口を開けた。
やがて、もるが、ひょこ、と顔を出した。全身、土まみれで、もう、どこが顔か、分からない。だが、つぶらな目だけは、得意げに、きらきらしていた。
「……ふかふか、する」
「ど、どのくらいで、よくなるの?」奥さんが、おそるおそる、尋ねた。
「……ひとつき。ふたつき」もるは、土の中に、半分潜ったまま、答えた。「まてば、いい、つち」
奥さんは、しばらく、畑と、もると、フィナを、交互に見ていた。
それから——ぽろり、と、涙を、こぼした。
「……ずっと、無理だと思ってたのよ。この土じゃ、もう、何も育たないって。村も、もう、終わりだって……」奥さんは、手の甲で、目を拭った。「それが、こんな、小さな子に……」
フィナは、何も言わなかった。ただ、静かに、その隣に立った。
もるが、土の中から、つぶらな目で、奥さんを見上げて、ぼそりと言った。
「……だいじょうぶ。いい、つち、なる」
奥さんが、ぐしゃぐしゃの顔で、笑った。
「……うん。うん。お願い、するわね。もるさん」
---
帰り道、夕陽が、湖を、橙色に染めていた。
「柱が、もう一本、立ちそうですね」ベルが、フィナの肩で、言った。
「うん」フィナは、頷いた。「薬草と、農業。これで、村は、少し、強くなる」
「ずいぶん、早いですね」
「のんびりしてたら、三ヶ月が、来ちゃうから」
フィナの腕の中で、もるは——ついてくると言ったくせに——もう、すやすやと、寝息を立てていた。土まみれのまま。
「……この子、大物ですね」ベルが、呆れた。
「いい子だよ」フィナは、笑った。
チコが、フィナの肩の上で、もるを、じっと見下ろした。それから、自分の頬袋から、木の実を一つ取り出し、眠るもるの、お腹の上に、そっと乗せた。
「……オミヤゲ」
「優しいね、チコ」
「ウン」
フィナは、温かい気持ちで、村への道を、歩いた。
賑やかな仲間が、また一人、増えた。
——この穏やかさが、いつまでも続けばいい。
そう、思った。
だが、フィナは、まだ、知らなかった。
この日、遠い王都で、一人の商人の訴えが、ある大きな商会の、帳簿に書き留められたことを。そして、その商会が、フィナの作る薬の「出どころ」に、興味を持ちはじめたことを。
---
【第八話終了時点 カルム村ステータス】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
人口 : 32人
村の活気度 : 芽吹き始めた(星3/5)
テイム魔物 : ベル/チコ/ソル/もる(新加入)
確立した産業 : 薬草・薬品販売(稼働中)
新たな産業 : 農業改善(もるが着手・1〜2ヶ月後に成果)
村人の変化 : ルーベ夫妻に希望が戻る
新たな影 : 王都の大商会が、薬の出どころに関心
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
フィナの三ヶ月の期限まで:残り約8週
---
【幕間・回想 その八】王都 五年前、決意の夜
王妃が、夜にアルナの部屋を訪れることが、増えた。
多くを、語る人ではなかった。ただ、隣に座り、アルナの髪を、静かに梳いた。その手つきは、優しくて、どこか、悲しかった。
ある夜、王妃は、小さな革袋を、アルナの手に握らせた。
ずしりと、重い。中身は、見なくても、分かった。お金だった。それも、少なくない額の。
「お母様、これは……」
「いつか、要る日が来る」王妃は、静かに言った。アルナの目を、見なかった。「お前は、賢い子。この城の外に、お前の息ができる場所があるなら——母は、止めないわ」
アルナは、息を呑んだ。
「……どうして」
「私も、昔、籠の鳥だったから」王妃は、窓の外の、夜空を見た。「飛びたいと、思ったこともあった。でも、私には、勇気が、なかった」
王妃は、初めて、アルナの目を見た。その瞳に、涙はなかった。ただ、深い、静かな覚悟だけが、あった。
「お前は、私のようには、ならないで」
アルナの頬を、一筋、涙が伝った。
その夜、アルナの中で、ずっと、形にならなかった想いが、ひとつの、決意に変わった。
---
続く
---
あとがき
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
査察官のドタバタから一転、今回は、ほっとする農業回でした。新しい仲間、もる。見た目はモグラ、口数は少なく、でも土を耕すのが大得意。ルーベの奥さんが涙をこぼす場面は、書きながら、こちらもじんときました。
チコが眠るもるに木の実をそっと乗せる——あの一言「オミヤゲ」が、今回いちばん好きな場面です。
そして回想で、ついに王妃が、アルナの背中を押しました。「お前は、私のようにはならないで」。この言葉が、逃亡へと繋がります。
【ブックマーク】次回、穏やかな村に、王都の影が近づきます。更新通知で見逃しません。
【評価】星ひとつで、新しい読者に届きます。
【感想】「もるが可愛い」「王妃に泣いた」、一言でも必ず返します。
次回、フィナの作った薬が、思わぬ場所で、注目を集めはじめます。




