第7話「魔物たちの、ささやかな反撃」
商人が、次の手を打ってきたのは、五日後だった。
その朝、店の前に、見慣れない男が立っていた。仕立てのいい上着。胸には、銀色の徽章。背筋をぴんと伸ばし、いかにも「自分は偉い」と顔に書いてある立ち姿。その後ろに、例の太った商人が、にやにや笑いながら、控えていた。
「あなたが、この店の責任者か」役人風の男が、抑揚のない声で言った。
「フィナといいます」
「商業ギルド、地域査察官のレマンだ」男は、徽章を、これ見よがしに指で弾いた。「この店に、無許可営業の疑いがある。届け出を、確認させてもらおうか」
後ろで、商人が、待ってましたとばかりに、口を開いた。
「言った通りでしょう、査察官どの。よそ者が、ろくな手続きもせず、勝手に商売をおっ始めてるんですよ。しかも、魔物まで使って。地域の秩序が、めちゃくちゃになっちまう」
商人は、勝ち誇った顔で、フィナを見た。じっとり、と。
その視線を——フィナの肩の上から、ベルが、すうっと、目を細めて見ていた。
(……今、主を、舐めた目で見ましたね)
ベルの長い耳が、ぴくり、と一度だけ、動いた。
それが、合図だった。
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「査察、どうぞ」フィナは、にこやかに言った。「何を、ご確認になりますか」
「ま、まず、営業許可だ」レマンが、少し調子を狂わされた顔で、指を折った。「次に、薬品販売の認可。それから、魔物の使役登録。一つでも欠ければ——」
「即時、営業停止、ですよね」フィナは、先回りした。「ええ、存じてます」
「……っ」
フィナは、カウンターの下から、書類を取り出した。一枚だけ。
「営業許可は、こちらに。村長ゴランの署名と、村の印があります」フィナは、その一枚を、すっと差し出した。「人口五十人以下の自治村は、村長承認で営業が認められる。商業法、第三十一条のただし書き。……査察官さんなら、もちろん、ご存じですよね?」
最後の一言を、フィナは、ほんの少しだけ、首をかしげて、言った。
レマンの動きが、止まった。
「……っ、そ、それは」
「ご存じ、ない?」
しん、と、空気が、固まった。
商人の顔から、にやにや笑いが、すうっと、剥がれ落ちていく。
その、まさにその瞬間だった。
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ぽとり。
商人の頭の上に、何かが、落ちた。
ドングリだった。
次の瞬間、ぽとぽとぽとぽとぽとっ、と、商人の頭、肩、足元に、雨のように、木の実が降り注いだ。見上げると、店の屋根の上で、チコが、頬袋を、ぱんぱんに膨らませている。そして、ものすごい勢いで、商人めがけて、それを吐き出していた。
「ちょっ、なんだこれ、なんだこのリスは——っ!」
商人が、頭を抱えて、わたわたと飛び跳ねる。だが、チコの照準は、正確だった。逃げても逃げても、ドングリが、追いかけてくる。
「チコ!」フィナが、声を上げた。「やめなさい!」
「ヤメナイ」
チコは、きっぱりと言い放ち、なおも撃ち続けた。
と——今度は、上空から、ばさり、と巨大な影が差した。
ソルだった。
商人の真上で、翼を、一度、大きくはためかせる。
ぶわっ、と、突風が起きた。
商人の、いかにも高級そうな帽子が、ふわりと宙に舞い、湖のほうへ、ひゅるるると飛んでいった。
「あーーーっ! 俺の帽子ーーっ!」
「不要だ」ソルが、上空から、冷ややかに言い放った。「あんな帽子」
「帽子に罪はないでしょう!?」
商人が、帽子を追って、湖のほうへ駆け出した、その時。
今度は、頭上から、再びチコのドングリ集中砲火が降ってきた。逃げ場がない。商人は、頭を抱えて、めちゃくちゃに走り回り——足をもつれさせて、派手に、すっ転んだ。
べしゃっ。
地面の水たまりに、見事に、尻もちをついた。びしょ濡れで。
「うわあああっ、なんなんだこの村はーーっ!」
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査察官のレマンは、その一部始終を、口を半分開けて、見ていた。
目の前で、自分を呼びつけた商人が、ドングリまみれ、帽子を吹き飛ばされ、泥にまみれて、ひっくり返っている。
レマンは、ゆっくりと、フィナを見た。
フィナは——困ったように、眉を下げて、こう言った。
「……すみません。うちの子たち、人見知りで」
「人見知りで、こうなる!?」
レマンの声が、裏返った。
その時、店の中から、エミが顔を出した。チコの集中砲火を、しっかり見ていたらしい。両手で口を押さえて、肩を震わせている。
「ぶ……っ、ふふっ、す、すみません、笑っちゃ、だめなのに……っ」
駆けつけてきたミアは、もう、遠慮がなかった。
「あはははっ! おじさん、どろんこ! どろんこー!」
「ミア!」フィナが、慌てて止める。「指を、ささない!」
だが、フィナ自身も、口の端が、ぴくぴくと、震えていた。
レマンは、震える手で、ぐしゃぐしゃになった書類を握りしめ——いや、書類はフィナがちゃんと持っている。レマンが握っていたのは、ただの自分の徽章だった。
「……不備は、なかった」レマンは、絞り出すように言った。「営業に、問題はない。確認は、以上だ。私は、帰る」
「あら、お茶でも」
「結構だっ!」
レマンは、踵を返し、それから、泥まみれの商人を、心底軽蔑した目で、見下ろした。
「おい。話が、まるで違うぞ。不備があるから来いと言ったのは、お前だ。挙句、私はあんな化け物リスと巨大鳥に……っ、二度と、私を巻き込むな!」
「い、いや、待ってくれ査察官どの、これは、その——」
言い争う二人を残して、レマンは、足早に去っていった。
泥まみれの商人も、しばらく地団駄を踏んでいたが、やがて、捨て台詞を吐いて、よろよろと退散した。
「お、覚えてろよ……っ!」
その背中に向かって、チコが、最後のドングリを、ぽーん、と一発、命中させた。
「いてっ!」
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嵐が去ったあと、店の中は、笑いに包まれていた。
エミは、まだ、お腹を抱えている。ミアは「どろんこおじさん!」と、はしゃぎ回っている。
フィナだけが、頭を抱えていた。
「……あなたたち、ね」フィナは、屋根から降りてきたチコと、悠々と着地したソルを、順番に見た。「気持ちは、嬉しいけど。やりすぎ」
「ヤリスギテナイ」チコが、頬袋を膨らませて、ふん、と鼻を鳴らした。
「主を侮辱する者に、容赦は、不要だ」ソルが、堂々と、胸を張った。
ベルが、フィナの肩の上で、しれっと、付け加えた。
「ちなみに、チコに『今です』と合図を出したのは、私です。なかなか、いい連携だったでしょう」
「ベルが主犯!?」
フィナは、がっくりと、肩を落とした。
——でも。
顔を上げると、笑っているエミと、はしゃぐミアと、得意げな魔物たちがいた。
不思議と、胸の奥が、温かかった。
令嬢だった頃、誰かが自分のために怒ってくれたことなど、一度も、なかった。皆、アルナを「守ろう」とした。でも、アルナの「ために」、誰かと戦ってくれた者は、いなかった。
この子たちは、違う。
フィナのために、本気で——まあ、やり方は、ともかく——怒ってくれた。
「……ありがとう」フィナは、小さく、笑った。「でも、次は、もう少し、お手柔らかに」
「ゼンショスル」チコが、言った。
「絶対、善処しない顔してる」
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夕方、噂を聞きつけたガルドが、店に顔を出した。
「査察官を、追い返したって?」ガルドは、煙草をくわえた。「しかも、商人が、泥まみれで逃げ帰ったとか」
「……魔物たちが、少し、張り切りすぎまして」
「はっ」ガルドが、煙の向こうで、肩を揺らした。「いいざまだ」
だが、すぐに、その顔が、引き締まった。
「ただ、フィナ。あの商人は、今度こそ、本気で恨んだぞ。面目を、ぐしゃぐしゃに潰された。ああいう手合いは、こうなると、なりふり構わなくなる」ガルドは、煙草を、揉み消した。「次は、もっと、上を動かしてくるかもしれん。あの男の後ろには、でかい商会がいる。下手すりゃ、領主クラスにまで、話が行く」
領主、という言葉に、フィナの指先が、わずかに、冷えた。
領主。その上には、もっと、大きな存在がいる。フィナが、捨ててきた、あの世界が。
——まだ、大丈夫。領主程度なら、私を、知らない。
そう、自分に言い聞かせた。
だが、胸の奥で、小さな、嫌な予感が、芽を出していた。
窓の外、湖が、夕陽を映して、赤く、揺れていた。
その水面を——チコが、ドングリを一つ、ぽちゃん、と落として、波紋を作っていた。
「チコ。それ、私の夕飯の分」
「……ナイショ」
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【第七話終了時点 カルム村ステータス】
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人口 : 32人
村の活気度 : にぎやか(星3/5)
テイム魔物 : ベル/チコ/ソル
確立した産業 : 薬草・薬品販売(稼働中)
障害の状況 : ギルド査察官を撃退(主に魔物の暴走で)
魔物たちの忠誠 : 過剰(フィナの制御を超えがち)
新たな懸念 : 商人が領主クラスを動かす可能性
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フィナの三ヶ月の期限まで:残り約9週
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【幕間・回想 その七】王都 五年前、その後
ルクがいなくなってから、アルナは、笑わなくなった。
食事は、とった。勉強も、した。淑女としての振る舞いも、何一つ、乱れなかった。傍目には、完璧な令嬢の、ままだった。
ただ、目だけが、変わった。光が、消えた。
父は、心配して、新しいドレスを贈った。長兄は、毎日、部屋を訪ねた。次兄は、好きな本を山と積み、三兄は、好物を並べさせた。
誰も、悪くなかった。皆、アルナを、心から、愛していた。
でも、誰も、気づかなかった。アルナが笑わない理由が、ルクを失ったことだけでは、ないことを。自分の声が、誰にも届かなかったこと。この愛の檻の中では、二度と息ができないと、悟ってしまったことを。
ある夜、アルナの部屋を、一人の人物が、静かに訪れた。
母である、王妃だった。
王妃は、何も言わず、アルナの隣に腰を下ろした。長い沈黙のあと、ぽつりと、囁いた。
「……お前の気持ちは、わかっているわ」
アルナは、母を見た。その瞳の奥に、自分と同じ色の——昔、何かを諦めた者の、影が、あった。
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続く
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あとがき
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、魔物たちが大暴れする回でした。フィナを馬鹿にした商人へ、チコのドングリ集中砲火、ソルの帽子吹き飛ばし。そして黒幕はまさかのベル。フィナだけが「やりすぎ」と頭を抱える、この構図が書きたかったんです。
「自分のために、誰かが本気で怒ってくれる」。令嬢の頃には、なかったこと。守られてはいても、共に戦ってはもらえなかった。だからこの賑やかさが、フィナには、何より温かいのだと思います。
回想では、王妃が動き始めました。この人だけが、全てを知っています。
【ブックマーク】次回、フィナの過去が静かに近づきます。更新通知で見逃しません。
【評価】星ひとつで、新しい読者に届きます。
【感想】「魔物たちが最高」「どろんこおじさん好き」、一言でも必ず返します。
次回、フィナは次の産業に目を向けます。痩せた畑を救う、新しい仲間との出会い。




