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第4話「空を、味方につけた日」

 広場を抜けて湖のほとりに出ると、村人たちが、岸辺に固まっていた。


 誰も、口をきかない。皆が、同じ方向を見上げている。


 フィナも、その視線の先を追った。


 ——いた。


 湖の上空。雲の少し下を、巨大な影が、悠々と旋回していた。


 黒い。漆黒の羽毛が、朝の光を吸い込んで、鈍く光っている。翼を広げれば、荷馬車が二台は並ぶだろう。鉤爪は、人間の腕ほどもありそうだった。鳥型の魔物。それも、桁外れの。


 フィナの隣で、漁師のトールが、しわがれた声を絞り出した。


「三日前から、ああやって、湖の上を回ってやがる」トールの手が、わずかに震えていた。長年湖と向き合ってきた男の手が、だ。「最初は様子見だと思った。だが、三日だぞ。あんなのが本気で降りてきたら、村なんざ、ひとたまりもねえ」


 村人たちが、ざわめいた。「猟師を呼ぶか」「無理だ、あんなの矢が通るもんか」「逃げる準備を」——怯えた声が、さざ波のように広がっていく。


 フィナは、その巨大な影を、じっと見つめた。


 テイマーの感覚を、そっと、上空へ伸ばす。


 ——怒りは、ない。


 敵意も、ない。空腹の苛立ちも、縄張りの威嚇も、感じない。あるのは、ただ、強い意志。何かを、探している。三日間、ここを離れずに、ずっと。


「ベル」フィナは、低く言った。「あれ、何を探してるか、分かる?」


「……いえ」ベルの耳が、警戒に立っている。「ですが、あの規模の魔物が、何の理由もなく一つの場所に留まることはありません。何か、目的がある」


 フィナは、一歩、湖のほうへ踏み出した。


「フィナさん」ベルの声が、鋭くなった。「まさか」


「行く」


「やっぱり!」ベルが、声を荒げた。「正気ですか。あれは、チコとは格が違う。万が一、テイムが弾かれたら——」


「弾かれない」


「なぜ言い切れるんですか」


「あれは、テイマーを探してる」フィナは、湖を見たまま言った。「私には、そう感じる」


 ベルは、何か言いかけて——やめた。長い、長いため息をついた。


「……分かりました。ですが、私はあなたの肩から離れません。危ないと感じたら、即座に魔法を撃ちます。文句は言わせませんよ」


「ありがとう」


「礼はいりません。ただ、無事でいてください」


 ベルの声が、最後だけ、少しだけ、柔らかかった。


-----


 フィナは、岸辺の、開けた場所に立った。


 巨大な影が、頭上を旋回している。羽ばたくたびに、風が起きて、湖面に細かい波が走った。


 フィナは、深く、息を吸った。喉が、わずかに乾いている。心臓が、速い。怖くない、と言えば嘘になる。あの大きさだ。一蹴りで、人間など、簡単に潰せる。


 それでも、フィナは、空に向かって、両手を、そっと広げた。


「……こっちへ、おいで」


 大きな声ではなかった。叫びでもなかった。ただ、呼びかけるように。ここにいるよ、と、伝えるように。


 旋回が、止まった。


 巨大な影が、フィナのほうを向いた。


 次の瞬間、影が、急速に高度を落とした。村人たちが、悲鳴を上げて後ずさる。風圧が、ぶわりと吹き付け、フィナの髪を巻き上げた。羽音が、轟音に変わる。


 フィナは、動かなかった。一歩も、引かなかった。


 そして——


 どん、と、地面が揺れた。


 砂埃が、舞い上がる。巨大な鳥が、フィナのすぐ目の前に、降り立っていた。


 近くで見ると、その大きさは、想像を絶した。フィナを、軽く見下ろす高さ。漆黒の羽毛は、一枚一枚が、刃のように鋭く整っている。そして、その目。黄金色の、底光りする瞳が、まっすぐにフィナを射抜いていた。


 村人たちは、誰も、息をしていなかった。


 フィナは、その黄金の目を、見返した。


「はじめまして」


 テイマーの力を、流す。押しつけるのではなく、差し出すように。命じるのではなく、問いかけるように。——あなたは、何を探しているの。


 鳥は、しばらく、フィナを見つめていた。


 値踏みするように。確かめるように。


 そして——ゆっくりと、その巨大な頭を、垂れた。


-----


「……承知した」


 低く、重く、腹の底に響く声だった。


 ベルが、フィナの肩で、ぴくりと耳を立てた。「……テイムが、通りましたね」


 フィナは、小さく頷いた。テイムした魔物は、言葉を持つ。心で繋がるから、言葉も、想いも、通い合う。それが、フィナのテイムの、他とは違うところだった。


「喋れるんですね」


「当然だ」鳥は、顔を上げた。黄金の目が、フィナを見る。だがその光は、もう鋭くなかった。どこか——安堵したような、色があった。「お前が、そうした」


「……ずっと、何を探していたんですか」


「テイマーだ」鳥は、言った。「本物の。力で縛るのではなく、心で繋ぐ者を。気配を、辿ってきた。この村の上空で、それを、感じた」


 フィナは、しばらく黙った。


 ——力で縛るのではなく、心で繋ぐ者。


 その言葉が、胸の奥の、古い傷に触れた。だが、フィナは、それを表に出さなかった。代わりに、静かに尋ねた。


「名前は」


「ない」


「では——ソル、と呼んでも? 空と、太陽の名前です」


 鳥は、少し考えるように、瞬きをした。


「……悪くない」


 そして、ソルは、その巨大な首を、ゆっくりと伸ばした。鋭い嘴が、フィナの頬に、触れる。村人たちが、息を呑んだ。噛みつかれる、と思ったのだろう。


 だが、その嘴は、驚くほど、優しかった。


「フィナ」ソルが、言った。


「はい」


「……撫でろ」


「え」


「頭を、撫でろ」


 しん、と、静寂が落ちた。


 ベルが、ゆっくりと、自分の額に前足を当てた。「……さっきまでの、威厳は」


「うるさい、うさぎ」


「うさぎで、正解ですが」


 フィナは、こらえきれずに、小さく吹き出した。それから、手を伸ばし、ソルの頭に、そっと乗せた。鋼のように見えた羽毛は、意外なほど、柔らかかった。


 ソルが、目を細めた。巨大な体が、ほんの少し、揺れた。


 ——満足、しているらしかった。


 岸辺の村人たちが、ぽかんと、その光景を見ていた。村を滅ぼしかねなかった魔物が、小さな娘に頭を撫でられて、うっとりしている。誰も、理解が追いついていなかった。


-----


 村に戻ると、ガルドが店の前で待っていた。


 ソルを見上げ、くわえていた煙草を、ぽろりと落とした。


「……でかいな」


「ソルといいます」フィナは言った。「空を飛べます。山越えも、関係ない。これで——輸送の問題が、片付きます」


「輸送?」


「薬を、村の外に売るんでしょう。山道を荷馬車で運べば、半日。鮮度も落ちる。でも、ソルなら、山を越えて、最短距離で、当日中に届けられます」フィナは、ソルの首を、ぽんと叩いた。「他のどんな商人にも、真似できない強みです」


 ガルドは、しばらく、ソルを見上げていた。それから、低く、唸った。


「……とんでもないものを、連れてきやがる」


 その時、ソルが、ガルドをじろりと見下ろした。黄金の目が、すっと細くなる。


「……不要だ」


 ガルドの眉が、跳ね上がった。「あ?」


「その男」ソルは、フィナに向かって言った。「不要だ。用がないなら、近づくな」


「おい待て」ガルドが、声を荒げた。「俺は、こいつのビジネスパートナーだぞ」


「関係ない」


 ガルドが、フィナを見た。「……おい。こいつ、初対面の俺を、もう嫌ってるぞ」


「……まだ、会って一分なので」フィナは、口元を必死に引き締めた。


「十分だ」ソルが、きっぱりと言った。「不要だと、分かった」


「判断が早すぎるだろうがっ!」


 ベルが、フィナの耳元で、ぼそりと言った。「……にぎやかに、なりそうですね」


「うん」フィナは、笑いをこらえながら、空を見上げた。


 さっきまで、あの巨大な影が、不気味に旋回していた空。今は、ただ、青く、澄んでいる。


 ——あの空が、味方になった。


 輸送の柱が、立った。これで、薬を、どこへでも運べる。三ヶ月の期限へ向けて、また一歩、前に進んだ。


 ガルドとソルが、まだ睨み合っている。チコが、いつの間にか店から出てきて、頬袋を膨らませたまま、その騒ぎを、きょとんと眺めていた。


「……ニギヤカ」


 チコが、ぽつりと言った。


 誰も、否定できなかった。


-----


【第四話終了時点 カルム村ステータス】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

人口 : 32人

村の活気度 : 動き出す予感(星2/5)

テイム魔物 : ベル(護衛)/チコ(採取)/ソル(輸送)

確立した産業 : なし(薬・輸送の体制が整う)

解決した課題 : 村を脅かす巨大魔物→輸送の切り札に

次の目標 : いよいよ、薬の初出荷

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

※謎:ソルが探していた「本物のテイマー」とは——

※謎:ベルは、何者なのか——


-----


【幕間・回想 その四】王都 五年前


 その日は、よく晴れていた。


 十五歳のアルナは、いつものように裏庭の芝に座り、ルクの大きな体に寄りかかっていた。ルクは、もう、見上げるほどに育っていた。アルナが背を預けると、ちょうどいい高さで、世界を遮ってくれた。


「ねえ、ルク。来週、また兄様たちが、見合いの話を持ってくるって」


 ルクが、低く、喉を鳴らした。不満げに聞こえて、アルナは笑った。


「だよね。私も、そう思う」風が、ルクの白い毛を、さらりと撫でた。「でも、断り方が、分からないんだ」


 アルナは、ルクの毛に、頬を埋めた。


「ねえ、ルク。いつか——ここを出て、二人で、どこか遠くに、行けたらいいのにね」


 ルクが、ゆっくりと、首を回した。黄金がかった大きな目が、アルナを見る。


 ——行けるよ。


 そう、言っている気がした。


 アルナが、笑いかけた、その瞬間。


 頭上で、強い風が吹いた。庭の大木が、ざわりと揺れる。大きな枝の影が、二人の上に、さっと落ちた。


 ルクの体が、反射的に、跳ねた。


 アルナを、守ろうとして。


-----


続く


-----


あとがき


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


村を脅かす巨大魔物が、テイムされた途端に「撫でろ」と甘える——あの落差が、ソルというキャラの全てです。ガルドへの「不要だ」も含め、書いていて一番楽しい回でした。あの二人、たぶん永遠に仲良くなりません。


そして回想。よく晴れた幸せな午後が、最後の一行で暗転します。「ルクが反射的に跳ねた」——その先で何が起きたのか。次回、明かします。


【ブックマーク】次回、いよいよ初出荷と、最初の試練。更新通知で見逃しません。

【評価】星ひとつで、新しい読者に届きます。

【感想】「ソルの甘えっ子最高」の一言でも、必ず返します。


次回、フィナの薬が、初めて村の外へ。そして——立ちはだかる者が現れます。

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