第3話「商人の目」
翌朝、フィナが宿を出ると、男が一人、広場の隅で待っていた。
古びた木の椅子に、どっかりと座っている。五十は超えているだろう。肩幅が広く、腕が太い。商人というより、傭兵崩れのような風体だった。口の端に煙草をくわえ、煙をくゆらせながら、フィナをじっと見ている。
その視線が、フィナの全身を、ゆっくりと走った。
すり減った靴。最低限の荷物。肩の魔物。それから——指先。
ぴく、と男の眉が動いた。
「あんたか」男が、煙を吐いた。「昨日、エミんとこに薬草の山を持ち込んだってのは」
「フィナといいます」
「ガルドだ」
それきり、男は黙った。話す気がないのか、続きを待っているのか、判然としない。フィナも、口を開かなかった。
沈黙が、二人の間に落ちた。
ベルが、フィナの耳元で囁いた。「……値踏みされてますね」
知っている、とフィナは思った。こういう間の取り方を、嫌というほど見てきた。相手が焦れて口を開くのを待つ。先に喋ったほうが、交渉で不利になる。
だから、フィナも待った。
たっぷり十秒。先に、ガルドの口の端が、わずかに上がった。
「……ふん。妙な小娘だ」煙草を、地面で揉み消す。「普通、こういうときは慌てて言い訳するか、媚びるかのどっちかだ」
「言い訳することも、媚びることも、ありませんので」
「言うじゃねえか」
ガルドが、立ち上がった。思ったより、背が高い。フィナを見下ろす形になる。だが、その目に、敵意はなかった。むしろ——面白がるような光が、ある。
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「歩け。話がある」
ガルドは、返事も待たずに歩き出した。フィナは、少し迷ってから、後を追った。チコが宿の窓から顔を出していたが、ベルが「あなたは留守番です」と一言で押し戻した。
連れて行かれたのは、広場の一角だった。
一軒の建物の前で、ガルドが足を止める。窓も戸口も、古い板で打ち付けられている。だが、建物そのものは、しっかりしていた。石組みの外壁は、他の家とは明らかに作りが違う。丁寧で、隙がない。
フィナは、その壁を、思わずじっと見た。
「……いい石組みですね」
ガルドの肩が、ぴくりと動いた。
「分かるのか」
「素人の積み方じゃありません。腕のいい職人か——」フィナは、壁にそっと触れた。「自分で、相当手をかけたか」
ガルドは、答えなかった。だが、煙草を取り出そうとした手が、止まっていた。
「ここは、昔、店だったんですね」フィナは、板の打たれた戸口を見上げた。「商売はやめた。でも、建物は壊さなかった。売りもしなかった。板を打って、残してある」
「……だから、何だ」
「愛着があるんだと思いました。手放せないくらいの」
ガルドの顔から、面白がる光が、消えた。
代わりに、もっと硬い、もっと深いものが、その目に宿った。フィナは、踏み込みすぎたかもしれない、と思った。だが、引かなかった。
長い、沈黙。
やがて、ガルドは、ふう、と息を吐いた。肩から、力が抜けたように見えた。
「……女房が、好きだった店でな」
ぽつりと、それだけ言った。
フィナは、何も言わなかった。「お気の毒に」とも、「そうでしたか」とも。ただ、黙って、その言葉を受け止めた。
ガルドが、ちらりとフィナを見た。下手な慰めを言わなかったことに、少しだけ、表情を緩めた気がした。
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「商売を、やったことは」ガルドが、話を変えた。
「少し」
「嘘だな」
即答だった。フィナが反論する前に、ガルドは続けた。
「『少し』って言うやつに限って、ちゃんとやってる。さっきの石組みの見立ても、間の取り方も、ど素人のもんじゃねえ。あんた、相当な場所で、相当なもんを見てきた目をしてる」
フィナの口の中が、わずかに乾いた。
——踏み込まれている。
だが、ガルドの目に、詮索の色はなかった。ただ、事実を、事実として並べているだけ。それが、かえって落ち着かなかった。
「……買いかぶりです」
「そうかい」ガルドは、追及しなかった。「で、薬草だ。あんた、あれをどうするつもりだ」
フィナは、一拍置いて、答えた。
「エミさんに、薬を作ってもらいます。それを、村の外に売る」
「外に?」ガルドの眉が、上がった。「この村に、外に売れる商品なんざ、今まで一つもなかったぞ」
「今までは、です」フィナは、まっすぐにガルドを見た。「カルム村には、山があって、湖があって、森がある。薬草は、その最初の一つにすぎません。やり方次第で、この村は、いくらでも豊かになれる」
「ずいぶんと、大きく出るな」
「事実を、言ったまでです」
ガルドが、フィナをじっと見た。
それから——低く、笑った。腹の底から、おかしそうに。
「……あんた、さっきの俺の口調を、そっくり返したな」
フィナは、少しだけ、目を細めた。「気づきましたか」
「気づくに決まってる」ガルドは、笑いを収めた。「いいだろう。面白い」
ガルドは、上着のポケットに手を入れた。何かを探り、取り出す。
古びた、鉄の鍵だった。
ぽとり、とフィナの手のひらに落とされる。ずしりと、重かった。
「店を貸す。ただし、ただじゃねえ」ガルドは、指を三本立てた。「俺が後ろ盾になる。仕入れの伝手も、運転資金も出す。その代わり、利益の三割をよこせ。それと——」
「それと?」
「三ヶ月だ」ガルドの目が、鋭くなった。「三ヶ月で、目に見える結果を出せ。出せなきゃ、俺は手を引く。あんたも、この村から出てけ」
フィナは、手のひらの鍵を、握りしめた。冷たい鉄が、じわりと、体温で温まっていく。
——三ヶ月。
短い。だが、できないとは思わなかった。
「分かりました」フィナは、頷いた。「よろしくお願いします、ガルドさん」
「さん付けはやめろ。背中が痒くなる」
「分かりました、ガルド」
ガルドは、ふん、と鼻を鳴らした。だが、その口元は、わずかに緩んでいた。
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ガルドが去ったあと、フィナは一人、店の前に立った。
「……いいんですか」ベルが、肩の上で言った。「後ろ盾を得るのはいいですが、三割は安くない。それに、三ヶ月という期限は、かなり厳しい」
「うん。厳しい」
「なのに、受けた」
「受けるしかなかった」フィナは、鍵を見た。「私には、信用も、実績も、後ろ盾も、何もない。あの人が差し出してくれた手を、断る余裕はないの」
「……計算ずく、ですか」
「半分は」フィナは、少しだけ笑った。「もう半分は——あの人が、信用できると思ったから」
ベルが、耳をぴくりと動かした。「根拠は」
「店を、壊さなかった人だから」
ベルは、何も言わなかった。
フィナは、鍵を鍵穴に差し込んだ。錆びついた音を立てて、ゆっくりと回る。固い。だが、回った。
板の隙間から、埃っぽい空気が、外へ流れ出してくる。古い木と、誰かの暮らしの、匂い。
戸を、開けた。
薄暗い店内に、朝の光が、細く差し込んでいた。棚は、ほとんど空。床には、古い木箱が積まれている。だが、広さは、十分だった。
フィナは、一歩、足を踏み入れた。
埃が、光の中で舞った。
——ここから、始める。
胸の奥で、ずっと凍りついていたものが、また少し、溶けた気がした。
その時、背後で、軽い足音がした。
「フィナねえちゃん! 大変、大変だよ!」
ミアが、息を切らして駆け込んできた。顔が、青ざめている。
「どうしたの、ミア」
「湖の、湖の上に……っ、すっごく大きいのが、飛んでる!」
フィナは、ベルと、目を合わせた。
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【第三話終了時点 カルム村ステータス】
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人口 : 32人
村の活気度 : 停滞(星1/5)
テイム魔物 : ベル(護衛)/チコ(採取)
確立した産業 : なし(店舗・後ろ盾を確保)
新たな提携 : ガルド(元商人)/利益三割・期限三ヶ月
新たな異変 : 湖上空に巨大な何かが出現
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フィナの三ヶ月の期限:本日スタート
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【幕間・回想 その三】王都 六年前
十四歳のアルナは、夜に抜け出すのが、すっかり上手くなっていた。
城の裏庭。誰も来ない、月明かりだけの場所。そこに、ルクがいた。まだ馬ほどの大きさだったが、アルナが近づくと、白い尻尾が、ゆっくりと揺れた。
アルナは、ルクの脇腹に、ぽすんと体を預けた。柔らかい毛が、頬を包む。温かい。
「ねえ、ルク」アルナは、星空を見上げた。「私ね、テイマーになりたいんだ。魔物と一緒に、何かを作りたい。戦うためじゃなくて——もっと、違う使い方が、あるはずだから」
ルクは、答えなかった。ただ、低く、穏やかに、喉を鳴らした。
「でも、言えないんだ。お父様も、兄様たちも、心配するから。アルナは女の子だから、危ないことはダメだって」
アルナは、ルクの毛に、指を絡めた。
「……ここにいると、息が、できる気がする」
ルクが、ゆっくりと首を回し、その大きな目で、アルナを見た。
言葉はない。それでも、伝わってきた。
——わかってる。ここにいていい。
アルナは、目を閉じた。この時間だけが、アルナを、アルナのままでいさせてくれた。
この夜が、永遠に続けばいいと、本気で思っていた。
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続く
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あとがき
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
ガルドとフィナ、似た者同士の探り合いが書きたかった回です。「女房が好きだった店」と漏らすガルドに、下手な慰めを言わず黙って受け止めるフィナ——あの間で、二人の距離が少し縮まりました。
回想のアルナの「ここにいると息ができる」は、現在のフィナがカルム村で感じていることと、同じ言葉です。
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