第5話「それでも、退かない」
店ができあがるまで、三日かかった。
ガルドが、黙って手伝いに来た。釘の打ち方が雑だと文句を言いながら、結局、棚のほとんどを自分で組み直した。鍛冶師のベックは、最初「魔物の店なんぞ」と渋い顔をしていたが、ドアの建て付けが悪いのを見るに見かねて、無言で蝶番を直していった。ミアは、ひたすら走り回って、邪魔と手伝いの中間あたりで、賑やかだった。
三日後の朝。
看板も飾りもない、小さな店が、広場の一角に生まれた。
棚には、エミが調合した薬が、種類ごとに整然と並んでいる。熱冷まし、傷薬、腹痛止め、それから——エミが「これは高く売れる」と興奮した、痛み止めの上等なものが、奥に。
「……できましたね」ベルが、しみじみと言った。
「うん」
フィナは、棚を見渡した。胸の奥が、わずかに熱い。何かを、壊すためではなく、作るための場所。それを、自分の手で、持てた。
チコが、棚の薬瓶を、じっと見つめている。
「タベラレル?」
「食べられません」ベルが即答した。
「ソウカ」
チコは、あっさり引き下がって、店の隅で丸くなった。一秒後には、もう寝息を立てていた。
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初出荷の朝は、霧が濃かった。
店の前で、ソルが、巨体を低くして待っている。フィナは、エミが調合した薬を詰めた革袋を、ソルの背に、丁寧に括りつけた。中身が揺れて壊れないよう、緩衝材を挟み、紐の角度を何度も確かめる。
「重くないですか、ソル」
「軽い」
「荷崩れしそうなら、すぐ降りてください。無理はしないで」
「問題ない」ソルは、黄金の目で、フィナを見た。「フィナ。届け先は」
「リント村。湖の向こう。エミさんが、地図を描いてくれました」フィナは、革袋の上に、もう一枚、紙を挟んだ。「これ、薬の説明書きです。用法と、効能。エミさんの直筆」
「承知した」
ソルが、翼を広げた。霧の中で、漆黒の翼が、大きく弧を描く。
「……フィナ」
「はい」
「行ってくる」
「よろしくお願いします。気をつけて」
ソルが、地を蹴った。
どん、と風圧が広がり、霧が渦を巻いた。フィナの髪が、ぶわりと舞う。次の瞬間には、ソルの巨体は、もう、霧の彼方へ消えていた。
しん、と、静けさが戻る。
ベルが、ぽつりと言った。「……速いですね」
「うん」
フィナは、霧の空を、見上げ続けた。鼓動が、少し、速い。
——届け。
胸の中で、そう、念じた。
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ソルが戻ったのは、昼前だった。
翼をたたんで降り立つなり、ソルは、簡潔に報告した。
「届けた。リント村の薬師が、品を確認した。問題ない、と言っていた。次の注文も、預かってきた」ソルは、足にくくりつけた小さな包みを差し出した。「これが、代金だ」
フィナは、その包みを開けた。
硬貨が、入っていた。多くはない。だが——確かに、お金だった。魔物と一緒に作った薬が、村の外で、お金に変わった。
ベルが、フィナの横顔を見た。「……いい顔、してますよ」
「そう?」
「ええ。最初に会ったときとは、別人です」
フィナは、硬貨を、ぎゅっと握った。冷たい金属が、手のひらで、じわりと温まる。
その時、ソルが、わずかに、嘴を動かした。
「ただ、一つ」
「なに?」
「届け先で、一人、文句を言ってくる男がいた」ソルの目が、すっと細くなった。「明日、ここに来る、と言っていた。止めようとしたが、聞かなかった」
「文句、ですか」ベルの耳が、立った。「どんな男です」
「商人だ。この辺りの薬を、自分が仕切っている、と」
フィナは、握った硬貨の感触を確かめながら、目を細めた。
——早いな。だが、想定内だ。
前例のない商売が、軌道に乗りはじめれば、既存の利権を持つ者が、必ず動く。貴族の世界でも、辺境の村でも、それは、変わらない。
「分かりました。来たら、対応します」
「俺も、いる」ソルが、短く言った。
「ありがとう」
「……それと」ソルが、嘴をフィナの頬に寄せた。「撫でろ」
「お疲れさまでした」
フィナが、ソルの頭を撫でると、巨体が、満足げに、ゆれた。
チコが、店の入口から顔を出して、ぽつりと言った。
「オツカレ」
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翌朝。男は、本当に来た。
四十がらみの、でっぷりとした商人だった。後ろに、手下を二人、従えている。店に入ってくるなり、ぐるりと棚を見回し、鼻で笑った。
「これが、噂の魔物の店か」
「フィナといいます」フィナは、カウンターの内側で、静かに応じた。「何か、お探しですか」
「探しになんざ来てねえよ」男は、棚の薬瓶を、無遠慮に一つ手に取った。「魔物が採った草で作った薬だと? そんなもん、誰が飲むってんだ。腹ん中で、何が起きるか分かったもんじゃねえ」
「魔物が採取した薬草と、人が採取した薬草に、成分の差はありません」フィナは、感情を声に乗せないよう、慎重に言った。「品質は、エミさんが一本ずつ確認しています。昨日お届けした先の薬師にも、確認していただきました」
「成分だぁ?」男が、瓶を、どん、とカウンターに置いた。「そういう話じゃねえんだよ。気持ちの問題だ。魔物が触ったもんを、体に入れたいやつなんざ、いるかってんだ」
「いない方も、いると思います」
男が、虚を突かれた顔をした。
「だから、最初は薬師の方に確認していただく形にしました」フィナは続けた。「気持ちは、無視できません。でも——品質に問題がない以上、買うか買わないかは、お客さまが決めることです」
「きれいごとを抜かすな!」男の声が、店に響いた。手下が、一歩、前に出る。「この辺の薬の流通は、俺が、何年もかけて作ってきたもんだ。よそ者が、薄汚ねえ魔物連れて入ってきて、引っ掻き回していい場所じゃねえんだよ」
——薄汚ねえ魔物。
その言葉が、店の空気を、ひりつかせた。
フィナは、口の中が乾くのを感じた。だが、目だけは、逸らさなかった。
「よそ者であることは、認めます」フィナは、静かに言った。「でも——」
その時だった。
店の入口を、ぬっと、巨大な影が塞いだ。
ソルだった。
翼を半分広げ、黄金の目で、商人を、まっすぐに見据えている。何も、言わない。ただ、そこにいる。それだけで、店の空気が、ずん、と重くなった。
手下の二人が、顔を引きつらせ、二歩、後ずさった。
ソルの喉から、低い、地を這うような音が、漏れた。
「……今、なんと言った」
声が、店の床を、震わせた。
「ひっ……」手下の一人が、息を呑んだ。
「フィナを——いや」ソルの目が、ぎらりと光った。「我らを、薄汚いと、言ったか」
商人の顔から、血の気が引いた。だが、引っ込みがつかないのか、虚勢を張った。「な、何だ、この化け物は……っ」
「化け物で、構わん」ソルが、一歩、踏み込んだ。床が、みしりと鳴る。「だが——主を侮辱する者を、私は、許さん」
「ソル」
フィナが、静かに言った。
ソルの動きが、止まった。
「もういい。ありがとう」フィナは、ソルの首に、そっと手を置いた。「この方は、お帰りになるところだから」
商人は、フィナと、ソルを、交互に見た。脂汗が、額に浮いている。それから、舌打ちをして、踵を返した。
「……覚えてろよ」
捨て台詞を残し、手下を連れて、転がるように店を出ていった。
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静かになった店の中で、フィナは、ふう、と長い息を吐いた。
カウンターに置いた手が、わずかに、震えていた。
「……大丈夫ですか」ベルが、肩の上から、覗き込んだ。
「大丈夫です」
「嘘ですね」
「……少し、怖かったです」フィナは、正直に言った。「あの人、本気で、怒っていたから」
言ってから、自分で、少し驚いた。
——怖い、と。口に出せた。
令嬢だった頃のアルナは、決して言えなかった。怖くても、苦しくても、完璧な笑顔を崩さなかった。だが、今は——言えた。
「よく、言えました」ベルの声が、柔らかかった。
ソルが、フィナの手の震えを見て、そっと、その大きな頭を、フィナの肩に寄せた。
「……すまん。怖がらせたか」
「ううん」フィナは、首を振った。「庇ってくれて、嬉しかった。ありがとう、ソル」
「……当然のことだ」ソルは、ぼそりと言った。少しだけ、照れているように見えた。
チコが、足元に来て、しっぽを、ふりふりと振った。
「ソル、カッコヨカッタ」
「……報告は、簡潔にしろ」
夕方、ガルドが店に顔を出した。商人のことは、もう村中に広まっていた。
「あの男、この辺じゃ、顔が広い」ガルドは、煙草に火をつけた。「また、来るぞ。今度は、もっと厄介な形で」
「分かってます」
「怖く、なかったか」
「怖かったです」
ガルドが、意外そうに、フィナを見た。それから、ふっと笑った。
「……それでも、退かなかったな」
「退いたら、終わりなので」
ガルドは、何も言わなかった。ただ、煙を、ゆっくりと、吐き出した。
その煙が、夕暮れの店の中に、薄く、漂った。
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【第五話終了時点 カルム村ステータス】
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人口 : 32人
村の活気度 : 動き出した(星2/5)
テイム魔物 : ベル/チコ/ソル
確立した産業 : 薬草・薬品販売(初出荷成功!)
初出荷の結果 : リント村と取引成立・次回注文あり
新たな障害 : 地域の薬を仕切る商人の妨害
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フィナの三ヶ月の期限まで:残り約11週
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【幕間・回想 その五】王都 五年前、事故の後
目を覚ますと、寝室の天井が見えた。
腕に、包帯が巻かれている。傷は、深くない。ルクの爪が、かすっただけ。木の枝に驚いたルクが、アルナを守ろうと跳ねた、その拍子に。
枕元に、父と、三人の兄が、揃っていた。
「アルナ! 気がついたか、どこか痛むか、頭は——」
「大丈夫です、兄様。少し、切れただけで……ルクは、ルクは悪くないんです。木の影に、驚いただけで——」
「少し?」長兄の声が、低くなった。「血が、出たんだぞ」
「でも、事故です。ルクは、私を守ろうとして——」
「アルナ」
父の声だった。いつもの、朗らかさは、なかった。ただ、静かで、重い声。
「あの魔物は、明日、処分する」
アルナの中で、何かが、止まった。
「……っ、お父様、待ってください。ルクは、悪くないんです。お願いします、どうか——」
「お前が、大切だからだ」
父は、言った。
そこに、悪意は、なかった。憎しみも、なかった。ただ、純粋な、愛情だけがあった。
それが——何よりも、苦しかった。
「お父様、聞いてください。お願いします。私の話を、どうか、一度だけ——」
「もう、決めた」
父の声は、それきり、アルナの言葉を、受け付けなかった。
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続く
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あとがき
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
「薄汚い魔物」と言われた瞬間、初めてソルがブチ切れる回でした。普段フィナの前で「撫でろ」と甘えている彼が、主への侮辱には一切容赦しない。このギャップが書きたかったところです。
そしてフィナが「怖かったです」と口に出せた瞬間。令嬢の頃には言えなかった本音です。少しずつ、彼女は彼女に戻っていきます。
回想は、事故のあと。「もう決めた」という父の言葉に、悪意は一切ありません。それが一番、残酷でした。
【ブックマーク】次回、商人の妨害が本格化。更新通知で見逃しません。
【評価】星ひとつで、新しい読者に届きます。
【感想】「ソルの逆鱗にゾクッとした」の一言でも、必ず返します。
次回、商人はさらに厄介な手で、フィナの前に立ちはだかります。




