第18話「隠していた、名前」
水の騒ぎが収まって、十日ほどが過ぎた、ある昼下がり。
一通の手紙が、フィナのもとに、届いた。
差出人の名は、ない。だが、上等な紙と几帳面な筆跡が、その送り主の身分を物語っていた。フィナは、店の奥で一人、それを開いた。
読み進めるうちに、指先が、冷たくなっていく。
そこには、こう、記されていた。
『アルナ・ヴァルニール王女殿下。あなたの正体を、私は知っている。城を捨てた令嬢。魔物を処分され、声も上げられず、逃げ出した、哀れな娘。——その過去、村人たちは、どこまで知っているのかな?』
フィナの、息が、止まった。
『あなたが、王家を捨てた身であること。そして——あなたのせいで、一頭の魔物が、処分されたこと。それを知っても、村人は、あなたを、受け入れ続けるだろうか。手を貸せば、この手紙を、闇に葬ろう。応じねば——村中に、あなたの過去を、ばらまく』
手紙は、そこで、終わっていた。
「……フィナさん?」
ベルが、異変に気づいて、肩から、覗き込んだ。フィナの手の中の、手紙を、目で追う。その耳が、ぴくりと、逆立った。
「……卑劣な」ベルの声が、低く、唸った。「過去を、人質に取るとは」
フィナは、手紙を、握りしめた。
——ルクのこと。
いちばん、触れられたくない場所。フィナの、いちばん柔らかい場所。そこを、的確に、突いてきた。
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その夜、フィナは、眠れなかった。
窓の外の、湖を、見ていた。月が、水面で、揺れている。
脳裏に、五年前の光景がよみがえる。引き剥がされた、白い毛並み。「行かないで」と叫んだ、自分の声。それを、誰も聞いてくれなかった、あの朝。
——私のせいで、ルクは。
手紙の言葉が、古い傷を、抉った。あなたのせいで、一頭の魔物が、処分された。違う、と言いたかった。でも、心のどこかで、フィナは、ずっと、自分を、責め続けていた。私が、もっと、強かったら。私が、もっと、声を、届けられたら。ルクは、死なずに、済んだのかもしれない、と。
「眠れませんか」
ベルの声が、した。窓辺で、まるくなったまま。
「……うん」
「あの手紙を、気に病んでいるなら」ベルは、静かに言った。「村人に、知られるのが、怖いですか」
フィナは、しばらく、黙った。
「……怖い」正直に、答えた。「みんな、私を、受け入れてくれた。フィナとして。でも、もし——アルナだったと、知ったら。私のせいで、ルクが死んだと、知ったら。みんな、どう、思うだろう」
「フィナさん」
「がっかり、するかもしれない。怖がる、かもしれない。逃げてきた、嘘つきだと——」
「フィナさん」ベルが、語気を、強めた。「あなたは、この村の人たちを、その程度の人間だと、思っているのですか」
フィナの、言葉が、止まった。
「……」
「私は、そうは、思いません」ベルは、月明かりの中で、静かに言った。「ですが——それを、決めるのは、私でも、あの侯爵でもない。あなた、自身です」
フィナは、窓の外の、月を、見つめた。
長い、夜だった。
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翌朝。
フィナは、決意していた。
広場に、村人たちを、集めてもらった。ガルド。エミ。ベック。トール。ルーベ夫妻。ゴラン村長。ミア。移り住んだ、新しい村人たち。みなが、何事かと、フィナを、見ている。
フィナは、深く、息を、吸った。
「皆さんに、聞いてほしい話が、あります」
声が、わずかに、震えた。だが、止めなかった。
「私の、本当の名前は——アルナ・ヴァルニールと、いいます」
ざわめきが、起きた。だが、それは、驚きだけでは、なかった。
あの日——王家の馬車が来て、ジオルドが「アルナ」と叫んだ、あの日から。村人たちは、薄々、察していた。フィナが、ただの旅人では、ないことを。王家に、連なる者かもしれないことを。
だが、誰も、問いたださなかった。詮索しない。それが、この村だった。
「ヴァルニール王国の、王女です。五年前、城を、捨てて、逃げてきました」フィナは、続けた。一度、口にすると、不思議と、言葉は、止まらなかった。「皆さんが、薄々、気づいていたことだと、思います。でも——自分の口から、ちゃんと、言いたかった。フィナという名前は、偽名です。隠していて、ごめんなさい」
沈黙が、広場を、包んだ。
フィナは、いちばん、言いたくないことを、最後に、絞り出した。
「逃げた理由は……私が、心を通わせた魔物が、いたんです。ルク、という名の。事故で、その子が、私を傷つけてしまった。私は、必死に庇いました。でも——家族は、聞いてくれなかった。私の声は、届かなかった。ルクは……私のせいで、処分されました」
フィナの、目から、涙が、こぼれた。
「私は、大切なものを、守れなかった。声を、届けられなかった。そんな、弱い人間です。——それでも」
フィナは、顔を、上げた。
「それでも、この村で、もう一度、生きたいと、思いました。今度こそ、目の前のものを、守りたいと。——だから、皆さんに、知ってほしかった。本当の、私を」
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長い、沈黙が、あった。
フィナは、村人たちの、反応を、待った。失望か。恐れか。それとも——
最初に、口を開いたのは、ミアだった。
とことこと、フィナの前まで、歩いてくる。そして、不思議そうに、首を、かしげた。
「……それで?」
「え?」
「フィナねえちゃんは、フィナねえちゃんでしょ?」ミアは、当たり前のように、言った。「名前が、二つあっても。お姫様でも。ねえちゃんが、わたしたちのこと、助けてくれたのは、本当だもん」
フィナの、目が、見開かれた。
「そうだ」トールが、しわがれた声で続いた。「お前さんが、王女様だろうが、なんだろうが。この村に薬をもたらして、水を取り戻してくれた。それが、すべてだ」
「過去が、なんだってんだ」ベックが、ぶっきらぼうに、腕を組んだ。「俺だって、魔物を、恨んでた。間違いも、犯した。——人間、誰だって、抱えてるもんが、ある。お前さんだけじゃ、ねえ」
「ルクって子のことは……」エミが、涙ぐみながら、言った。「フィナさんの、せいじゃ、ないですよ。声を、聞かなかった、家族の問題です。フィナさんは、必死に、庇ったんでしょう? ——それは、優しさです。弱さじゃ、ない」
フィナの、涙が、止まらなくなった。
ガルドが、煙草を、くわえながら、ぽつりと、言った。
「最初から、言ってるだろうが」ガルドは、そっぽを向いた。「お前が、どこの誰だろうと、関係ねえ。この村で、何をしてきたかが、すべてだ。——何度、言わせる」
ゴラン村長が、杖をつき、進み出た。皺だらけの顔に、穏やかな笑みを、浮かべて。
「アルナ様、と、お呼びした方が、いいかね?」
「……フィナで、いいです」フィナは、涙を、拭いながら、笑った。「私は、この村の、フィナで、いたいんです」
「そうかい」ゴランは、頷いた。「なら、フィナさんだ。——今までも。これからも」
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その日の午後。
フィナは、店の前に立ち、一通の返事を、書いていた。差出人のいない、あの脅迫状への、返事を。
短い、一文だった。
『村人は、全部、知っています。あなたの脅しは、もう、効きません』
それを、ソルに託し、手紙の来た方角へ、送り返した。
「……いいんですか」ベルが、聞いた。「これで、相手は、引き下がりは、しないでしょう。むしろ、手段を、エスカレートさせるかもしれない」
「うん」フィナは、頷いた。「でも——もう、過去で、脅されるのは、終わりにする」
フィナは、空を、見上げた。よく晴れた、青い空。
長年、抱えてきた、いちばん柔らかい場所。そこを、自分から、さらけ出した。怖かった。でも——村人たちは、フィナを、受け入れてくれた。アルナごと。ルクの記憶ごと。全部。
胸の奥の、古い澱が、少しだけ、軽くなった気が、した。
「ベル」
「なんですか」
「私、やっと——ルクのことを、ちゃんと、話せた」フィナの目に、また、涙が、にじんだ。だが、それは、温かい涙だった。「五年間、誰にも、言えなかったのに」
「……よかったですね」ベルの声も、少しだけ、湿っていた。
チコが、肩によじ登ってきて、濡れた頬を、ふさふさの尻尾で、撫でた。もるが、足元から、顔を出す。イグナが、遠くで、低く、優しく、鳴いた。ソルが、空の彼方から、戻ってくる。
フィナは、笑った。
もう、隠すものは、何も、なかった。
だが——フィナは、知らなかった。
その返事を受け取ったヴェイル侯爵が、薄く笑い、こう、呟いたことを。
「過去で、揺らがぬか。——ならば、最後の手段だ。表も、裏も、通じぬのなら」
侯爵の、冷たい目が、光った。
「正面から、合法的に。あの娘を、王命で、徴用する。——戦の、道具として」
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【第十八話終了時点 カルム村ステータス】
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人口 : 40人超
村の活気度 : 結束(星5/5)
テイム魔物 : ベル/チコ/ソル/もる/イグナ
フィナの正体 : 村人全員に告白・受け入れられる
心の変化 : ルクの件を5年ぶりに語り、過去と向き合う
撃退した脅威 : 侯爵の過去を使った脅迫→無効化
迫る脅威 : 侯爵が「王命でフィナを戦に徴用」を画策
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第二章、最大の山場へ
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【幕間・回想 王都 五年前 ルクの最期に、誰が】
アルナが、知らなかったことが、一つ、ある。
ルクが処分される、その前夜。
王妃セレーネは、密かに、夫である国王のもとを、訪れていた。
「あの子の魔物を、助けられませんか」セレーネは、静かに願った。「アルナが、あれほど泣いて、頼んでいます。あの子の心が、壊れてしまう」
「ならぬ」国王は、苦渋の表情で首を振った。「アルナを傷つけた魔物だ。生かしておけば、示しがつかぬ。それに——あれは、強すぎる。いつか、また誰かを傷つけるやもしれぬ」
「あの子の、声を、一度でも、聞いてやってください」
「聞けば、決意が、鈍る」国王は、目を、伏せた。「これは、アルナのためだ。あの子の、安全のためなのだ」
セレーネは、それ以上、言えなかった。
愛が、檻になる。守ることが、傷つけることになる。この城では、いつも、そうだった。セレーネ自身も、かつて、その檻の中で、羽をもがれた。
その夜、セレーネは、一人、祈った。
——どうか、あの子が。いつか、自分の声が、届く場所を、見つけられますように。
その祈りは、五年の時を、経て。
遠い、カルム村で——ようやく、叶おうとしていた。
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続く
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あとがき
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、フィナが、いちばん柔らかい場所——アルナという名前と、ルクの記憶を、村人たちに、さらけ出す回でした。
侯爵は、過去を人質に、脅してきました。でも、フィナは、隠す代わりに、自分から、打ち明けることを、選びます。ミアの「それで?」、トールの「過去がなんだ」、ベックの「誰だって抱えてるもんがある」、エミの「あなたのせいじゃない」、ガルドの「何度言わせる」。——村人たちの言葉に、私も、書きながら、泣きました。
五年間、誰にも言えなかったルクのこと。それを、ようやく、口に出せた。フィナの、大きな一歩です。
回想では、処分の前夜、母セレーネが、密かに国王に懇願していたことが、明かされます。それでも、愛は、檻になった。
ですが、侯爵は、ついに、最後の手段——「王命による徴用」を、企てます。表でも裏でもなく、合法的に。第二章は、最大の山場へ。
【ブックマーク】次回、侯爵の最後の策。フィナは、戦の道具にされるのか。
【評価】星ひとつで、新しい読者に届きます。
【感想】「村のみんなに泣いた」「セレーネ様……」、一言でも必ず返します。
次回、王命という名の、逃れられぬ鎖が、フィナに迫る。




