第17話「濁った水と、甘い言葉」
雨は、三日三晩、降り続いた。
カルム村を囲む山々が、灰色の雲に沈んでいる。湖は濁って水位を増し、村を流れる小川は、茶色い濁流に変わっていた。
四日目の朝。雨が、ようやく上がった。
だが——村に、異変が、起きていた。
「フィナさん! 大変です!」
エミが、店に、駆け込んできた。顔が、青ざめている。
「井戸の水が、濁ってるんです。それだけじゃない。畑の作物が、急に、しおれ始めて……家畜も、水を飲まなくなって」
フィナは、すぐに、現場へ向かった。
井戸を覗き込む。澄んでいたはずの水が濁り、嫌な臭いを放っていた。畑では、もるが耕した、あの青々とした麦が、力なく頭を垂れている。
「……ベル。これ、ただの、雨のせいじゃない」
「ええ」ベルが、鼻を、ひくつかせた。「水に、何か、混じっています。自然のものでは、ない臭いです。——毒、とまではいかないが、作物や、家畜には、障る」
フィナの、背筋が、冷えた。
——誰かが、川上で、何かをした。
確信は、なかった。だが、この、あまりにも、都合のいい異変。タイミング。フィナの中で、警戒の鐘が、鳴っていた。
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村は、たちまち、不安に、包まれた。
飲み水が濁る。作物が枯れる。家畜が弱る。せっかく活気を取り戻した村が、根本から揺らぎはじめていた。移り住んだばかりの者たちが、ざわつく。
「水路を、たどってみます」フィナは、言った。「原因が、川上にあるなら、突き止められる」
イグナの背に乗り、フィナは、川をさかのぼった。ソルが、上空から、地形を見る。
半時ほど、さかのぼった、山あいの渓流。そこで、フィナは、それを、見つけた。
川のほとり。不自然に積み上げられた、灰色の、岩のような塊。雨水に溶け出して、川に流れ込んでいる。明らかに、人の手で置かれたものだった。
「……これ」フィナは、馬上から、それを、見据えた。「自然に、こんな場所に、あるはずがない」
「鉱滓ですね」ベルが言った。「精錬で出る、毒性のある滓。これを川上に。雨で溶けるのを見越して」イグナが、低く唸った。火吹き魔物のイグナには、その鉱滓の、嫌な性質が、本能で、わかるようだった。
「……仕組まれた」フィナの声が、固くなった。
誰が。何のために。
答えの、半分は、もう、見えていた。村を、追い詰めたい者。そして——追い詰めて、何かを、得ようとする者が、いる。
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フィナが、村に戻ると。
広場に、見慣れない、馬車が、停まっていた。
立派な身なりの、商人風の男。村人たちに、囲まれて、にこやかに、何かを、語っている。
「——いやはや、お困りのようですな。実は、私ども、こういう、水の汚れを、浄化する、特別な技術を、持っておりまして」男は、朗々と、言った。「この、浄化剤を、井戸に入れれば、たちどころに、水は、元通り。作物も、家畜も、救われます」
村人たちが、すがるような目で、男を、見ていた。
「ほ、本当か」「頼む、売ってくれ」「いくらでも、払う」
「いえいえ、お代は、結構」男は、両手を、広げた。「困っている村を、見過ごせないだけです。——ただ、一つ、ささやかな、お願いが」
その時、フィナが、進み出た。
「お願い、とは?」
男の視線が、フィナに、向いた。一瞬、その目が、ぎらりと、光った。だが、すぐに、にこやかな仮面に、戻る。
「おお、あなたが、噂の。魔物使いのお嬢さんですな」男は、揉み手をした。「いえ、なに。大したことでは。——あなたの、お力を、少しばかり、私どもの、商会に、貸していただけないかと。それだけで、この村は、救われるのです」
村人たちの、視線が、フィナに、集まった。
すがるような、期待。フィナが、頷けば、村は、救われる。そういう、空気だった。
——これが、罠か。
フィナの、頭が、冷たく、回転した。あまりに、できすぎている。村が、汚染された、まさにその時に、現れる、救いの手。そして、見返りに、求められる、フィナの力。
「……少し、考えさせてください」フィナは、静かに、言った。
「おや、何を、迷うことが?」男の、笑みが、わずかに、こわばった。「村人たちが、苦しんでいるのですよ。一刻も、早く——」
「だからこそ、です」フィナは、男の目を見据えた。「迷うことなく飛びつくには——あなたの話は、少しできすぎている」
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その夜。フィナは、ガルドと、エミと、ゴラン村長を、店に集めた。
「あの商人。怪しすぎます」フィナは、切り出した。「川上に、毒の鉱滓が、仕込まれていました。誰かが、わざと、村を、汚染した。そして、その直後に、浄化剤を持った商人が、現れた。——偶然のはずが、ない」
ガルドの、顔が、険しくなった。「つまり、自作自演、か。汚染して、救うふりをして、お前を、差し出させる」
「おそらく」
「だが、フィナさん」ゴランが、静かに言った。「村人たちは、もう、限界だ。水がなけりゃ、生きていけん。あの商人の言葉が、嘘でも——すがりたく、なる気持ちは、わかる」
フィナは、頷いた。それが、敵の、狙いだった。善意では、ない。弱みに、つけ込む。藁にも、すがる心を、利用する。
「だから——あの商人に、頼らずに、解決します」フィナは、言った。「水を、私たちの手で、元に戻す」
「できるのか」ガルドが、問うた。
「やります」フィナは、仲間たちを、思い浮かべた。「川上の鉱滓は、もるが、掘り出して、撤去できる。汚れた土は、もるが、新しい土と、入れ替える。水の浄化は——」フィナは、少し考えた。「エミさん。薬草の知識で、水を、清める方法は、ありませんか」
エミが、はっと、顔を上げた。
「あ……あります。炭と、特定の薬草を、組み合わせれば、水の汚れを、吸着できる。大きな、濾過の仕組みを、作れば——村の水路、全体を、浄化できる、かもしれない」
「それです」フィナは、頷いた。「チコに、薬草を、集めてもらう。イグナの炎で、炭を、焼く。ソルが、資材を、運ぶ。もるが、土を、入れ替える。——みんなで、やれば、できる」
ゴランが、皺だらけの顔を、ほころばせた。
「……魔物と、村人で、水を、取り戻す、か。聞いたことも、ない話だ」
「カルム村は、いつも、そうでしょう?」フィナは、微笑んだ。
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翌朝から、村は、総力戦に、入った。
もるが、川上の鉱滓を掘り出す。土に潜り、毒の塊を、根こそぎ運び出していく。汚れた土を、新しい土と入れ替える。イグナが、その鉱滓を、炎で、焼き固め、二度と、溶け出さないように、処理した。
チコは、頬袋いっぱいに、エミの指定した薬草を、集めてくる。ソルは、炭を焼くための木材や、濾過装置の資材を、空輸する。エミは、薬草と炭で、巨大な、濾過の仕組みを、設計した。
村人たちも、動いた。水路を掘り、濾過装置を組み立て、土を運ぶ。
そして——三日後。
村の水路に、澄んだ水が、戻ってきた。
井戸の水を、汲み上げる。透明で、冷たい、きれいな水。ひと口、飲んだルーベの旦那が、涙ぐんだ。
「……うまい。元の、カルム村の、水だ」
歓声が、上がった。
誰も、あの商人の、浄化剤など、使わなかった。村の力と、魔物の力で、自分たちの、水を、取り戻したのだ。
フィナは、その光景を、見て、静かに、息を、ついた。
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水が戻った、その日の夕方。
例の商人が、再び、フィナの前に、現れた。今度は、にこやかな仮面が、剥がれかけていた。
「……ずいぶんと、余計なことを、してくれましたな」男の声が、低かった。
「余計、ですか」フィナは、静かに、応じた。「自分たちの水を、自分たちで、取り戻しただけです」
「あなたが、私の申し出を受けていれば。もっと楽だったものを」男の目が、暗く光った。「いいでしょう。今回は、引きます。——ですが、覚えておくことだ。次が、ある」
「次?」
「あなたは、目立ちすぎた」男は、馬車に、乗り込みながら、言った。「魔物を、自在に操る、規格外のテイマー。その力は——欲しがる者が、多すぎる。今日、私が、引いても。明日には、別の誰かが、来る。あなたが、その力を、持っている限り——ね」
馬車が、走り去る。
フィナは、その背を、見送りながら、唇を、噛んだ。
——わかっている。
力があること。それ自体が、狙われる理由になる。村を巻き込む、火種になる。
「……フィナさん」ベルが、肩で、静かに言った。「あの商人の、後ろにいる者。今回の件で、はっきり、しましたね」
「うん」フィナは、頷いた。「村を、汚染してまで、私を、欲しがる。それも、表に、出ずに」
爬虫類のような、冷たい目を、フィナは、まだ、知らない。
だが——その、影の、輪郭だけは。確かに、感じ取って、いた。
夕陽が、澄みを取り戻した水路を、赤く、染めていた。
平和は、戻った。でも、それは——嵐の前の、束の間の、凪なのかもしれなかった。
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【第十七話終了時点 カルム村ステータス】
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人口 : 40人超
村の活気度 : 危機を乗り越え結束(星5/5)
テイム魔物 : ベル/チコ/ソル/もる/イグナ
確立した産業 : 薬草・薬品/農業/鍛冶・採掘
新たな脅威 : 川の汚染(人為的な罠)→自力で解決
判明したこと : 影の存在がフィナを狙い村を巻き込む
警告 : 「次がある」「力がある限り狙われる」
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第二章、影との対決へ近づく
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【幕間 王都 ヴェイル侯爵の、誤算】
ヴェイル侯爵は、報告を聞いて、しばらく、無言だった。
「……村人と、魔物だけで、水を、浄化した、だと?」
「は」報告に来た男が、頭を、下げた。「浄化剤は、一切、使われず。我らの商人は、手ぶらで、引き上げました」
侯爵の、長い指が、机を、こつこつと、叩いた。
苛立ち——ではなかった。むしろ、その薄い唇は、笑みの形に、歪んでいた。
「面白い」侯爵は、呟いた。「窮地に陥れたつもりが、その窮地すら、糧にして、村は、さらに、結束した。あの娘——ただ者では、ないな」
侯爵は、立ち上がり、窓辺に、立った。
「ますます、欲しくなった。あの力。あの、人を、惹きつける才」侯爵の目が、細くなる。「搦め手が、効かぬなら。次は——もっと、確実な手を、打つ」
侯爵は、傍らの、影に、命じた。
「あの娘の、過去を、洗え。アルナ・ヴァルニール。たった一人の王女が、なぜ、城を捨てたのか。その、いちばん柔らかい場所を——突く」
影が、音もなく、消えた。
侯爵の、冷たい目が、夜の闇に、沈んでいった。
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続く
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あとがき
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、ヴェイル侯爵の「善意の罠」でした。村を汚染し、救うふりをして、フィナを差し出させる。卑劣ですが、巧妙です。藁にもすがる心につけ込む——いちばん、嫌な手口です。
ですが、フィナは飛びつきませんでした。「できすぎている」と見抜き、商人に頼らず、村と魔物の総力で、水を取り戻す。もるの土壌処理、イグナの炎、チコの採取、ソルの空輸、エミの薬草知識。産業テイマーの、真骨頂です。
そして、商人の言葉。「力がある限り、狙われる」。これは、フィナの、いちばん深い悩みに、突き刺さります。
侯爵は、ついに、フィナの「過去」に、手を伸ばし始めました。いちばん柔らかい場所——それが、何を意味するのか。
【ブックマーク】次回、侯爵の魔の手が、フィナの過去に迫ります。
【評価】星ひとつで、新しい読者に届きます。
【感想】「総力戦が爽快」「侯爵が不気味」、一言でも必ず返します。
次回、過去という名の、いちばん柔らかい場所へ。




