第16話「炎の奥の、痛み」
魔物の、動きが止まった。
喉の奥で、ちろちろと揺れていた炎が、ふっと勢いを失う。巨大なトカゲの魔物は、フィナをじっと見つめていた。警戒の奥に、戸惑いがにじんでいた。
「フィナ、危険です」肩のベルが、緊張した声で言った。「気配が、不安定です。痛みで、我を失っているのかもしれない。下手に近づけば——」
「うん。わかってる」
フィナは、それでも、一歩、踏み出した。
「おい、嬢ちゃん!」後ろで、ベックが、声を上げた。「何を——」
「ベックさん。少しだけ、待ってください」
フィナは、魔物から、目を離さなかった。ゆっくりと、両手を、広げて見せる。武器は、持っていない。敵意も、ない。それを、全身で、伝えるように。
「私は、あなたを、傷つけない」フィナは、静かに語りかけた。「だから、教えて。——どこが、痛いの?」
テイマーの感覚を、そっと、伸ばす。
魔物の感情の奥に、流れ込んでいく。怒り。警戒。そして——焼けつくような、ずっと続く鈍い痛み。
その痛みの源を、たどる。
フィナの視線が、魔物の、左の前脚に、止まった。
「……あれ」
魔物の太い前脚。その付け根、鱗の隙間に——何か黒いものが、深く突き刺さっていた。
錆びた鉄の杭。古い採掘道具の、先端だった。
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「ベックさん」フィナは、振り返らずに、言った。「あの脚。何か、刺さっています。古い、採掘の道具みたいな」
ベックが、目を、凝らした。そして、息を、呑んだ。
「……あれは、坑夫が使う、削岩の、楔だ」ベックの声が、掠れた。「なんで、あんなものが、魔物の脚に」
フィナは、魔物の、痛みの記憶を、感じ取っていた。テイマーの力が、断片的な情景を、伝えてくる。
——昔。人間が、この山に踏み込んできた。鉱石を奪うために。魔物は、巣を守ろうとした。争いになった。その時、人間の道具が、魔物の脚に突き刺さった。深く。抜けないほど、深く。
以来、ずっと。
その痛みを、抱えたまま。魔物は、近づく人間すべてを、敵と見なし、炎で、追い払ってきた。痛みと、恐怖から。
「……そうか」フィナは、静かに、呟いた。「あなたは、襲っていたんじゃない。——守って、いたんだ。痛みに、耐えながら」
魔物の、黄金の目が、揺れた。
まるで、初めて、自分の痛みを、わかってもらえた、とでも言うように。
「ベックさん」フィナは、言った。「この子は、坑夫を、襲ったんじゃない。最初に、傷つけられたのは——この子の、ほうだった」
ベックは、何も、言えずに、立ち尽くしていた。
その顔に、長年の憎しみと——それを、揺るがす、何かが、せめぎ合っていた。
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「あの楔を抜きます」フィナは言った。「ベル、手伝って」
「無茶です」ベルが、鋭く言った。「抜く瞬間、激痛で、暴れます。あの巨体に、炎まである。至近距離で、それを浴びたら——」
「だから、信頼を、繋ぐ」フィナは、魔物の目を、見つめた。「この子が、私を、信じてくれたら。痛みを、託してくれたら。暴れない」
「……賭けですね」
「うん。でも——」フィナは、微笑んだ。「この子の目、もう、敵を見る目じゃ、ない」
フィナは、ゆっくりと、魔物に、近づいた。
一歩。また、一歩。
魔物は、動かなかった。炎も、吹かなかった。ただ、じっと、フィナを、見ていた。巨大な体が、かすかに、震えていた。痛みと——そして、おそらく、不安で。
フィナは、ついに、魔物の、すぐそばに、立った。手を伸ばせば、届く距離。その気になれば、魔物は、一息で、フィナを、焼き尽くせる。
フィナは、刺さった楔に、そっと手を添えた。
「……ごめんね。痛い思いを、させたのは、人間だ」フィナは、囁いた。「今度は、私が、楽にする。少しだけ、我慢して」
魔物が、低く、唸った。だが、それは、威嚇では、なかった。
——わかった。
そう、言っているようだった。
「ベル、今」
ベルの耳の先が、光る。フィナの手に、淡い、魔力が、宿った。傷口を、清める光。
フィナは、息を、止めて——一気に、楔を、引き抜いた。
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魔物が、咆哮した。
空気が震える。ベックが、思わず後ずさる。だが——魔物は、暴れなかった。炎も吹かなかった。ただ天を仰いで、長く、長く吠えた。
それは、苦痛の声であり——同時に、解放の、声だった。
抜けた楔の跡から、黒く淀んだ血が流れ出る。長年、膿んでいた傷。ベルの魔力の光が、その傷口を優しく包んでいく。淀みが、洗い流されていく。
やがて、魔物は、ゆっくりと、頭を、下げた。
フィナの、目の前に。巨大な頭を、そっと、擦り寄せるように。
「……もう、痛くない?」
魔物は、答えるように、喉を、鳴らした。低く、穏やかに。さっきまでの、ぎらついた炎は、もう、どこにもなかった。
フィナは、その鼻先を、そっと、撫でた。テイマーの力が、静かに、繋がっていく。押しつけるのでは、なく。差し出すように。
——心と心が、繋がった。
「……ありがとう」
魔物の口から、初めて、言葉が、こぼれた。
低くて、温かい、声だった。
「長い間……痛かった。怖かった。誰も……わかって、くれなかった」魔物は、フィナを、見た。「お前だけが……私の、痛みを、見た」
「もう、大丈夫」フィナは、微笑んだ。「名前を、つけてもいい?」
「……名前」
「炎を持つ、あなたに。——イグナ、はどう?」
魔物、イグナは、ゆっくりと、瞬きをした。そして、もう一度、頭を、フィナに、擦り寄せた。
気に入った、ということらしかった。
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その一部始終を、ベックは、動けずに、見ていた。
フィナが、振り返る。ベックの顔は——ぐしゃぐしゃに、歪んでいた。
「ベックさん」
「……俺は」ベックの声が、震えた。「俺は、ずっと……こいつらを、恨んでた。兄貴分を、焼き殺した、化け物だと。許せねえと。——だが」
ベックは、イグナを、見た。長年、憎み続けた、炎の魔物を。
「こいつも……痛かったのか。怖かったのか。俺たちと、同じように」ベックの目から、涙がこぼれた。ごつい鍛冶師の手が、震えていた。「先に、傷つけたのは……人間の、ほうだったのか」
イグナは、ベックを、見た。
その目に、敵意は、なかった。ただ、静かに、見つめていた。長年、互いを、傷つけ、恐れてきた、人間と魔物が——今、初めて、まっすぐに、向き合っていた。
「……すまなかった」ベックは、イグナに向かって、深く、頭を、下げた。「お前を、化け物呼ばわりして。お前の、痛みも、知らずに」
イグナは、しばらく、ベックを見て——それから、ゆっくりと、その大きな頭を、ベックの肩に、そっと、寄せた。
ベックの肩が、震えた。声を、殺して、泣いていた。
フィナは、その光景を、静かに、見守った。
胸の奥が、温かかった。
——憎しみは、わかり合えないことから、生まれる。でも、一度、相手の痛みを、知れば。人と魔物は、こんなにも、近くなれる。
それは、フィナが、ずっと、信じてきたことだった。
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イグナの傷が癒えると、鉱山は、その姿を、変えた。
今まで、誰も、近づけなかった鉱脈。そこに眠っていたのは、ベックが「上物だ」と言った通りの、見事な、鉄鉱石だった。イグナが、案内してくれた。自分の棲み処の、どこに、いい鉱石があるかを。
「……すげえ」ベックが、鉱石を手に取って唸った。「こんな上質な鉄鉱石、見たことねえ。これだけありゃあ、村中の農具どころか——とんでもねえ、業物まで、打てるぞ」
イグナの炎は、それだけでは、なかった。
「私の炎は……鉄を、溶かす」イグナが、言った。「ベックの、鍛冶。手伝える、かもしれん」
ベックの目が、見開かれた。
「魔物の炎で、鉄を打つ、だと……?」ベックの声が、興奮で、震えた。「そんなこと、できたら……今までに、ない鋼が、生まれるかもしれねえ」
フィナは、ベルと、顔を見合わせて、笑った。
また一つ。この村に、誰も見たことのない、新しい仕事が、生まれようとしていた。
炎の魔物と、偏屈な鍛冶師が、組む鍛冶。
——きっと、面白いことに、なる。
「ベックさん」フィナは、言った。「村に、戻りましょう。新しい、鍛冶場の話を、しないと」
「ああ」ベックは、涙を、ごしごしと、拭った。そして、ぶっきらぼうに、付け加えた。「……嬢ちゃん。その、なんだ。礼を、言う。俺の、目を……覚まさせて、くれて」
「私じゃ、ありません」フィナは、首を振った。「イグナと、ベックさんが、向き合ったからです」
ベックは、何も言わず、ただ、もう一度、イグナの頭を、不器用に、撫でた。
イグナが、気持ちよさそうに、目を細めた。
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【第十六話終了時点 カルム村ステータス】
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人口 : 40人超
村の活気度 : 隆盛(星5/5)
テイム魔物 : ベル/チコ/ソル/もる/イグナ(新加入)
確立した産業 : 薬草・薬品/農業
新たな産業 : 鍛冶・採掘(イグナの炎+ベックの腕)始動
和解 : ベックが魔物への憎しみを乗り越える
得たもの : 上質な鉄鉱脈・魔物の炎による新しい鍛冶
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第二章、産業はさらに拡大へ
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【幕間 王都 ヴェイル侯爵、動く】
ヴェイル侯爵の私室に、一人の男が跪いていた。
旅装束に、身を包んだ、痩せた男。目つきが、暗い。
「準備は」侯爵が、問うた。
「整いました」男は、低く答えた。「カルム村の、川上に。仕掛けは、もう」
「結構」侯爵は、薄く笑った。「大雨の季節だ。川が増水すれば——あの仕掛けで、村の水路は汚染される。作物は枯れ、井戸は濁る。村は、たちまち窮地に陥る」
侯爵は、立ち上がり、窓の外を、見た。
「そこへ、私の、息のかかった商人を、送り込む。『特別な、浄化の技術がある』と、ね」侯爵の、長い指が、組まれた。「藁にもすがる村は、それに、飛びつく。そして——その見返りに、求めるのだ。テイマーの、娘を」
男が、頭を、下げた。
「気づかれぬよう、やれ」侯爵の声が、冷えた。「私は、表には、出ない。あくまで、村を、救う、善意の協力者として、近づく。——王家にすら、悟られぬように」
窓の外、王都の空に、雨雲が、垂れ込めはじめていた。
その雨雲は、やがて、遠いカルム村の、空へも——流れていく。
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続く
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あとがき
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
火吹き魔物イグナの、正体でした。彼は、襲っていたのではなく、守っていた。最初に傷つけたのは、人間のほう。脚に刺さった、古い楔。長年の痛みと恐怖が、彼を、炎の化け物に、見せていただけでした。
そして、ベックの和解。兄貴分を焼かれた憎しみを抱え続けた彼が、イグナの痛みを知り、頭を下げる。魔物が、その肩に頭を寄せる。書いていて、いちばん、ぐっときた場面です。
「憎しみは、わかり合えないことから生まれる」——フィナが信じてきたものが、また一つ、形になりました。新産業は、炎の鍛冶。きっと、とんでもない武器や農具が、生まれます。
ですが、ヴェイル侯爵の罠が、ついに動き出しました。川の、汚染。善意を装った、接近。雨雲が、村へと、近づいています。
【ブックマーク】次回、村に、静かな危機が訪れます。
【評価】星ひとつで、新しい読者に届きます。
【感想】「ベックの涙に泣いた」「イグナ仲間に!」、一言でも必ず返します。
次回、降りやまぬ雨。そして、村を訪れる、見知らぬ「善意」。




