「ネオンの新しい温度」
名もなき街が物理的な崩壊の淵に立たされてから、七日が経過していた。
エヴァジスト王国の直轄領として保護下に置かれたその区画は、王国の公用記録において、正式に『ネオン街』という名で登録された。
街を覆っていた、あの息が詰まるような重たく淀んだ闇はもうない。
空を隠していた不気味なノイズは消え去り、崩落した建物の隙間からは、数年ぶりに本物の太陽の光が、石畳の隅々にまで白々と差し込んでいた。
「――第三小隊、瓦礫の撤去を急げ! 空間固定の魔術式にズレが生じている。基礎からやり直せ!」
街のあちこちで、王国軍の士官による鋭い号令が響き渡っている。
だが、その光景はかつての”侵略”や”制圧”のそれとは全く異なっていた。
重装甲に身を包んだ屈強な騎士たちが、その理不尽なまでの腕力と緻密な魔力コントロールを、魔物の討伐ではなく”土木作業”に全振りしているのだ。彼らは泥にまみれながら崩れたレンガを積み直し、巨大な鉄骨を魔法で軽々と持ち上げては、新しい建物の骨組みを作っていく。
「おいおい、あいつらマジかよ」
ハリーが、再建中の自分たちの拠点――何でも屋のバーの屋根に座りながら、呆れたように下を見下ろしていた。
「人を殺すための技術で、家建ててやがる。エリート様の使い道の無駄遣いにも程があるだろ」
「国が『直す』と決めたら、採算度外視で徹底的にやるのよ。それが巨大なシステムの強みってやつね」
エイヴが、真新しい木の匂いがするカウンターの内側で、新しい帳簿のページをめくりながら肩をすくめた。
「でも、悪くないわ。おかげでウチの店も、前より少しだけ雨漏りが減りそうだし」
外の通りでは、街の住人たちも少しずつ日常を取り戻そうと動き始めていた。
店を失った黄金街の夫妻は、軍が配給した厚手のテントの下で、早くも生存者たちに向けて酒と温かいスープの屋台を開いていた。かつてのように店という箱に執着する悲壮感はない。ただ、生き残った二人がそこにいるという事実だけで、彼らは確かな熱量を持っていた。
歓楽街で役割を失い、空っぽになりかけていた女たちも、今は泥だらけの服のまま、復興作業にあたる騎士たちや子供たちに水を配って回っている。
ここは、正しすぎる王国の管理下に入った街。
だが、完全に漂白されて無菌室になったわけではない。クインたちが公認の窓口として裏の歪みを引き受けたことで、この街はしぶとく、泥臭い活気を残したまま呼吸を再開していた。
「……随分と、明るくなったものだ」
アーロが、眩しそうに目を細めながら空を見上げた。
クインは、店の入り口の壁に寄りかかり、その光景を静かに観測していた。
夜になれば、この街には相変わらず毒々しい極彩色のネオンが灯るだろう。
だが、それはもう、行き場のない者たちを深淵へと”誘う欲望と絶望の光”ではない。今日を生き延びた者たちが、明日もここで生きていくための”生存の標”としての光だ。
「……ああ、そうだな」
クインの短い肯定の言葉には、かつての機械のような冷たさは微塵もなかった。
太陽の光が、彼の横顔を温かく照らす。
彼の中に芽生えた感情は、まだ不器用で、どう扱っていいかわからないものかもしれない。だが、この新しく生まれ変わった『ネオン街』と同じように、それは確かに彼の内側で、静かな脈動を始めていた。
世界から切り捨てられた『名もなき街』の夜は、完全に明けたのだ。




