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名もなき街の何でも屋 ~ネオン都市のストレイシープ~  作者: 薄氷薄明


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18/19

「ネオンの新しい温度」

 名もなき街が物理的な崩壊の淵に立たされてから、七日が経過していた。

 エヴァジスト王国の直轄領として保護下に置かれたその区画は、王国の公用記録において、正式に『ネオン街』という名で登録された。


 街を覆っていた、あの息が詰まるような重たく淀んだ闇はもうない。

 空を隠していた不気味なノイズは消え去り、崩落した建物の隙間からは、数年ぶりに本物の太陽の光が、石畳の隅々にまで白々と差し込んでいた。


「――第三小隊、瓦礫の撤去を急げ! 空間固定の魔術式にズレが生じている。基礎からやり直せ!」


 街のあちこちで、王国軍の士官による鋭い号令が響き渡っている。

 だが、その光景はかつての”侵略”や”制圧”のそれとは全く異なっていた。


 重装甲に身を包んだ屈強な騎士たちが、その理不尽なまでの腕力と緻密な魔力コントロールを、魔物の討伐ではなく”土木作業”に全振りしているのだ。彼らは泥にまみれながら崩れたレンガを積み直し、巨大な鉄骨を魔法で軽々と持ち上げては、新しい建物の骨組みを作っていく。



「おいおい、あいつらマジかよ」


 ハリーが、再建中の自分たちの拠点――何でも屋のバーの屋根に座りながら、呆れたように下を見下ろしていた。


「人を殺すための技術で、家建ててやがる。エリート様の使い道の無駄遣いにも程があるだろ」


「国が『直す』と決めたら、採算度外視で徹底的にやるのよ。それが巨大なシステムの強みってやつね」


 エイヴが、真新しい木の匂いがするカウンターの内側で、新しい帳簿のページをめくりながら肩をすくめた。


「でも、悪くないわ。おかげでウチの店も、前より少しだけ雨漏りが減りそうだし」


 外の通りでは、街の住人たちも少しずつ日常を取り戻そうと動き始めていた。

 店を失った黄金街の夫妻は、軍が配給した厚手のテントの下で、早くも生存者たちに向けて酒と温かいスープの屋台を開いていた。かつてのように店という箱に執着する悲壮感はない。ただ、生き残った二人がそこにいるという事実だけで、彼らは確かな熱量を持っていた。

 歓楽街で役割を失い、空っぽになりかけていた女たちも、今は泥だらけの服のまま、復興作業にあたる騎士たちや子供たちに水を配って回っている。


 ここは、正しすぎる王国の管理下に入った街。

 だが、完全に漂白されて無菌室になったわけではない。クインたちが公認の窓口として裏の歪みを引き受けたことで、この街はしぶとく、泥臭い活気を残したまま呼吸を再開していた。


「……随分と、明るくなったものだ」


 アーロが、眩しそうに目を細めながら空を見上げた。


 クインは、店の入り口の壁に寄りかかり、その光景を静かに観測していた。

 夜になれば、この街には相変わらず毒々しい極彩色のネオンが灯るだろう。

 だが、それはもう、行き場のない者たちを深淵へと”誘う欲望と絶望の光”ではない。今日を生き延びた者たちが、明日もここで生きていくための”生存の標”としての光だ。


「……ああ、そうだな」


 クインの短い肯定の言葉には、かつての機械のような冷たさは微塵もなかった。

 太陽の光が、彼の横顔を温かく照らす。

 彼の中に芽生えた感情は、まだ不器用で、どう扱っていいかわからないものかもしれない。だが、この新しく生まれ変わった『ネオン街』と同じように、それは確かに彼の内側で、静かな脈動を始めていた。


 世界から切り捨てられた『名もなき街』の夜は、完全に明けたのだ。

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