鴨鍋は
屯所の奥、質素な執務室。
豪奢な屋敷での食事とは程遠いが、それでも今夜の夜食は良いものだった。王都でも下劣と言われる地区の店から、お世話になっているからと是非にと届いた鴨鍋、濁り酒。グツグツと煮立った鍋をリュカは手際よく取り分け、エレオノーラに皿を差し出す。その所作はあまりに優雅で、血の匂いが漂う現場の隊長とは結びつかない。
「……美味いな。やっぱり、ファイブアイアンの酒と肉は別格だ、礼は市中見廻のときにしよう。明日付き合ってくれ」
リュカが盃を傾け、ふと笑みを浮かべる。エレオノーラは呆れつつも、差し出された酒を一口含んだ。酒のキツさにほんの少しえずく。ぐっと抑える。
「貴方、さっきの賊の頭目、見覚えがあったでしょう」
エレオノーラが問うと、リュカの目がわずかに細められた。彼はよく煮えた鴨肉と春菊を噛みしめながら、遠い過去をなぞるように呟く。
「ああ。あれは……かつて、王都近衛騎士団設立当初、精鋭となるはずだった男だ。それも、剣術指南役の筆頭格として……『灰の騎士』と呼ばれていたはずだが」
「あの男が、なぜ盗賊の頭目を?」
「さあな。だが、奴の剣の構えは独特だ。左の肩を低くし、剣筋を隠し刀身を寝かせる。あれは、国を守るための護身術じゃない。特定の暗殺術……それも、この国では既に禁じられた『影の門』の流派だ」
リュカはグラスを指でなぞる。
「面白いと思わないか? かつて王を護るはずだった騎士が、今は闇の淵に身を沈めて『王都の秩序』を喰らっている。――そしてその黒幕は、奴らに金を流すだけでなく、王国軍の極秘の毒兵器まで横流ししている可能性がある」
エレオノーラが息を呑む。軍の兵器。それはつまり、国家の中枢に「牙」を向ける者がいることを意味していた。
その時だった。
扉が激しく叩かれ、一人の隊員が血相を変えて飛び込んできた。
「隊長! 大変です! 先ほど捕らえた賊たちが、牢の中で……」
「賊がどうした? まさか逃げたか?」
「いえ、違います! 全員が、何かに操られるように自らの舌を噛み切り、青い泡を吹いて倒れました! ……まるで、最初から命じられていたかのように!」
リュカはむしろ気だるげな反応を返した。
彼は持っていた箸を皿に置き、ゆっくりと立ち上がった。その瞳からは先ほどの艶やかな輝きが消え、底知れぬ冷徹な光が宿っている。
「……ほう。口封じか。それも、ただの毒じゃない。死に際に特定の術式が発動するように細工されている。……丁寧な仕掛けだ」
リュカは窓を開け、夜風に当たった。王都の夜景は美しい。だがその美しさの裏で、何かが腐敗し、蠢いている。
「エレオノーラ。鍋の火を落とせ、残りは宿直の者に」
「さて、どのように?」
「『灰の騎士』の隠れ家が見えた気がしてね。奴らが舌を噛む前の尋問で吐いた言葉……『東の廃教会、聖女の供物』。その意味を確かめに行く」
リュカは背もたれにかけてあったダンダラ模様の軍服の外套を羽織る。その瞬間、彼の背後に纏う空気が一変した。ただの警備隊長ではない、王直属の「死神」としての気配。
「行こうか。今夜の獲物は、少々毒が強そうだよ」
彼らが屯所を飛び出すと同時、遠くの王都の空に、不吉な紫色の狼煙が上がった。
それは、何者かが「王都撃滅隊」に対する明確な宣戦布告を行った合図であった。




