明日など悪党には必要ない、では悪とは?
その大貴族の姫、名はエレオノーラ。王都きっての才媛であり、また、戦乙女と謳われるほどの武芸の才を持つ美姫であった。王の弟の娘であり、王家と分家した公爵家の娘。王にとっては姪にあたる、子のない王にとっては目に入れても痛くない存在。
そんな彼女が血書を添えた志願書を王の御前に差し出したとき、居並ぶ重臣たちは息を呑んだという。
「私が彼の下に付きます。もし彼が王への叛逆を企てるならば、その手で首を刎ねることを条件に。……あるいは、もし彼が国を憂う真の忠臣であるならば、私がその剣となりて、泥にまみれる彼を世間の誹謗から守りましょう」
そのあまりに高潔で、かつ狂気にも似た決意に、批判を繰り返していた宰相すらも返す言葉を失った。何より、王はその申し出を聞いたとき、かつてないほど嬉しげに目を細めて快諾したという。
「面白い。ならば、あの気難しき男も退屈せぬだろう」
――回想は、屯所への帰路でふと途切れる。
「……エレオノーラ、さっきの太刀筋、少し甘かったよ」
将校服の男――王都撃滅隊隊長、リュカは、歩調を崩さずに背後の長身の女に声をかけた。彼の横顔は街灯の微かな光を浴びて、彫刻のように端正である。
「あら、隊長こそ。あの黒装束、私がいなければ貴方のその優雅な服に返り血が飛ぶところでしたわよ」
エレオノーラはふふんと鼻を鳴らし、身長に比肩する大剣を背中の鞘へ収める。先ほどまでの死闘を繰り広げたとは思えないほど、二人の会話は軽やかだ。
屯所の門が見えてきた。だんだら模様の制服を着た部下たちが、捕らえた賊を地下牢へと引き立てていく。彼らの規律正しい足音が石畳に響く。
「ま、いいさ。とりあえず、この『ネズミ』たちから面白い話を聞き出そうじゃないか。最近、王都の地下で何かが動いている……そんな気がしてならないんだ」
リュカが屯所の重厚な扉に手をかける。
その背中を見つめるエレオノーラの瞳には、かつて王へ誓った言葉とは別の、もっと個人的で、密やかな決意が宿っていた。
王に疎まれ、宰相に嫌われ、奉行団に忌み嫌われる男。
だが、その毒のような強さの奥にある『真実』を知っているのは、自分だけだ。
「ええ、そうしましょう、隊長。貴方の描く地図が、どんな結末へ繋がっているのか……この目で見届けるのが、私の役目ですから」
二人が屯所の中へ消えると、王都の夜は再び静寂に包まれた。
しかし、その静寂の裏で、王都撃滅隊という名の『劇薬』は、いまや王都そのものを塗り替えるほどの勢いで、静かに、そして確実に浸透し始めていた。
リュカの切長の目が、牢に繋がれた賊の頭目を思い浮かべる。
あの男の逃げ足の速さと、どこかで見覚えのある剣の構え。
(……ようやく、面白くなってきたな)
闇の中で、リュカは誰にも見せない冷徹な笑みを浮かべた。




