た。 命(ノルマ)の取り立て屋たち
パチ、パチ、パチ……。
静まり返った薄暗い寝室に、木珠の弾かれる無機質な音が響く。
虚空から滲み出るように姿を現したのは、帳簿と黒光りする算盤を抱えた、痩身の男だった。帝都の裏社会で『死神』と恐れられ、リュカとも幾度か死線を共にした男――三番隊長である。
「来やがったか、三番隊長。いや、死神さんよ」
掠れた声でリュカが笑うと、男は恭しく一礼し、やれやれといった様子で肩をすくめた。
「お久しぶりです、リュカさん。あなたには生前……いえ、大変お世話になりました。本来なら私自ら、丁重にあの世へご案内するところなのですが……」
死神はそこで言葉を区切り、扉の向こう――今もリュカを案じて控えているであろう三人の妻たちの気配へと視線を向けた。その無表情な顔に、密かな微笑が浮かぶ。
「……奥様方が、恐ろしくてね。このままあなたをお連れすれば、あの三人は間違いなく三途の川を干上がらせて冥府へ殴り込みに来る。閻魔大王の胃に穴が開く前に、私、一計を案じましてね」
「一計、だと……? 冗談言うなよ。俺の体はもう、限界をとっくに超えてる……」
「ええ、肉体は崩壊寸前。魂の灯火も風前の灯です。ですが、リュカさん。この世には、理すら捻じ曲げる厄介なエネルギーが存在するのをご存知ですか」
死神はパチ、と鋭い音を立てて算盤を弾き、薄い笑みを浮かべた。
「それは『情念』です。あの三人の、あなたに対する底知れぬ執着……これらを担保に、寿命の『先物取引』を行おうというのですよ」
「……先物取引?」
「ええ。奥様方は今後も、あなたと子どもたちの平穏を守るため、帝都に巣食う悪党どもを容赦なく間引き続けるでしょう。その悪党どもが本来持っていたはずの『余剰寿命』を、冥府への上納金として差し押さえる。そして、その徴収見込み分を、あらかじめあなたの命として『融資』するのです」
死神の提案は、あまりにも俗っぽく、かつ規格外だった。
リュカは呆れ果てて息を吐く。
「……お前、冥府の役人のくせに、随分と阿漕な真似をするんだな」
「あの三人を敵に回すくらいなら、帳簿の改竄など安いものです。それに、あなた方家族が帝都の治安を維持してくれるなら、私のこの世での仕事も、冥府の仕事も楽になりますからね」
死神がスッと手をかざすと、算盤の珠から青白い光が溢れ出し、リュカの胸へと吸い込まれていく。
途端に、氷のように冷え切っていた四肢の奥底で、小さな、だが確かな熱が脈打ち始めた。鉛のように重かった肺が広がり、新しい酸素が全身の細胞に行き渡る感覚。
「契約成立です。ただし、この『寿命の融資』を返済し続けるためにも、奥様方にはこれからも励んでいただかないといけませんよ」
「……はっ。どうやら俺は、死ぬよりも恐ろしい借金を背負わされちまったらしい」
「ええ。どうぞ、末長く生きて返済してください」
死神が再び虚空へと溶け込むように消えると、まるでタイミングを見計らっていたかのように、寝室の扉が勢いよく開かれた。
「ご主人様……! 今、誰かと話す声が……」
「リュカ!? 顔色が、少し良くなってる……!?」
「あんた、まさか……!」
セリア、エレオノーラ、おとき。
泣き腫らした目で飛び込んできた三人の夜の女王たちは、ベッドの上で自力で上体を起こしているリュカを見て、息を呑んで立ち尽くした。
リュカは、まだ少しだるさの残る首を鳴らし、苦笑いを浮かべて彼女たちを見た。
「……悪ぃな、心配かけて。お迎えが来たかと思ったんだが……どうやら、俺の借金の連帯保証人として、お前たちの『情念』が冥府に買い取られたらしい」
わけがわからないという顔をする三人に、リュカは手を伸ばし、その頬につたう涙を親指でそっと拭った。
「まだまだ、おむつ替えからも、お前たちの重い愛からも……逃げられそうにないってことだ」
その言葉の意味を理解した瞬間、三人は堰を切ったように泣き崩れ、リュカの胸に縋り付いた。
骨が軋むほどの強い抱擁。涙と、生きていることへの安堵。
「ああっ、もう……! 馬鹿亭主! 心配ばかりかけて!」
「絶対に、絶対に逃がしませんからね……!」
「夕飯、すぐ作るからね。鰻でもスッポンでも、なんだって食わしてやるよ……!」
死の淵から舞い戻ったリュカは、相変わらず騒がしくも果てしなく温かい「情念の檻」の中で、深く息を吸い込んだ。
窓の外では、新しい朝の光が帝都を照らし始めていた。




