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王都捕物帖  作者: 虹の箸


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22/25

無明の一閃

事の起こりは数日前、帝都の外れにある淀んだ空気に包まれた廃屋でのことだった。

「……完全に商売あがったりだ。クソッ!」

苛立ちに任せて酒器を壁に叩きつけたのは、帝都の闇に巣食う盗賊団『野狗やくい』の頭目だった。周囲には、薄汚れた身なりをした手下たちが、怯えたように息を潜めている。

彼らを追い詰めているのは、ここ最近で異常なまでに強化された帝都の治安網だった。表の通りは守護隊が徹底的に巡回し、裏路地は奉行隊が封鎖する。おまけに、裏社会の顔役である『夜烏』までもが体制側に寝返り、完璧な情報網を敷いているという。

「どいつもこいつも、あの『リュカ』とかいう隠居男に狂わされてやがる。あの男さえ殺せば、女どもの連携は必ず崩れるはずだ」

頭目の血走った視線の先、部屋の隅で車座から離れ、一人黙々と安酒を煽る巨漢がいた。

断岩だんがん」の重蔵。

身の丈ほどもある大太刀を背負う、裏社会で恐れられる凄腕の浪人である。

「頼むぜ、用心棒。あんたの腕を見込んで、なけなしの金を集めたんだ」

頭目が重い金袋を放り投げると、重蔵はそれを片手で受け止め、無造作に懐へとねじ込んだ。表情一つ変えず、ただ濁った瞳で頭目を見返す。

「前金は確かに受け取った。相手が誰であろうと、岩ごと両断する。それが俺の流儀だ」

淡々と告げた重蔵の凄みに、手下たちは安堵の息を漏らした。だが——その約束が彼らの前で果たされることはなかった。

その翌日の夜。重蔵が単独での下見から廃屋に戻ると、そこにはむせ返るような血の匂いが充満していた。

女たちの情報網によっていち早く『野狗』の不穏な動きを察知した撃滅隊が、突入したのだ。圧倒的な武力によって、野狗の残党は文字通り一掃されて、抵抗したものは切り捨てられ、投降したものは逮捕されていた。

重蔵は、物陰から首と胴体が離れた頭目の死体を見つめ、呆れたようにため息をついた。

「……あっけないもんだな。残りの金は貰い損ねたか」

本来なら、雇い主が死んだ時点で契約は消滅する。さっさと帝都から離れるのが利口な者の選択だ。しかし、重蔵は踵を返そうとはしなかった。

彼の脳裏に、前金で飲んだ酒の味が残っていた。裏社会を渡り歩いてきた彼なりの、歪な矜持。

「ま、金をもらった以上、一仕事はしねえと気持ちが悪いんでな。……あんたらの無念なんて知ったこっちゃねえが、前金分の太刀風くらいは、あの男に拝ませてやるのが筋ってモンだろ」

そう一人ごちて、重蔵は大太刀の柄を撫でた。

男が一人で日々ふらりと出歩く先は、すでに突き止めてある。重蔵は乾いた秋風が吹く外へと歩み出た。

枯れ葉舞う境内の決闘

色づいた枯れ葉が、乾いた音を立てて風に舞う寂れた境内。

かつて帝都の裏表を暗躍し、今はただ死を待つばかりの男、リュカ。そして、彼を待ち伏せていた凄腕の剣豪、重蔵。二人の間に存在するものは、張り詰めた殺気と、異様なほどの静寂だけだった。

「……不可解な男だ」

重蔵が地に唾を吐き捨てるように呟いた。

彼の太刀筋は、撃滅隊の精鋭すら斬り伏せたであろう神速の一撃。すでに何度か打ち込んでいるが、全く当たらない。

リュカの足取りは、まるで酒に酔った老人のように覚束なく、刀を握る手も青白く細い。物理的な反応速度や膂力は、とうに失われているはずだった。

「なぜ、躱せる。貴様の目には死への恐怖がないのか」

重蔵の問いに、リュカは薄く笑った。これだけはエレオノーラに渡さなかった愛刀『和泉守ノ貞』をだらりと下げたまま、彼はただ静かに、空から降り注ぐ秋の陽光を感じていた。

「……怖い、か、不思議なものでな」

リュカの脳裏に浮かぶのは、最近ようやく抱き上げることができた、己の血を引く小さな命たちの温もりだった。

エレオノーラ、セリア、そしておとき。彼女たちが執念とも呼べる愛で結成した『鉄壁の揺りかご』の中で、リュカは確かに、子どもたちの柔らかな肌に触れたのだ。

死が間近に迫っているというのに、自分はまだ生きている。命の期限はとうに切れているはずなのに、朝の光を眩しいと感じ、味噌汁の香りを喜び、子どもたちをあやす事に喜びを感じる。

その矛盾した事実が、リュカから「生への執着」と「死への絶望」の両方を削ぎ落としていた。

『いいか。人は死ぬ。これは変えられぬ。であれば死に向かえ。死なば死ね。生きているなら生きよ』

かつての師の言葉が、風に乗って耳元で囁かれた気がした。

相対的な強さなど、今のリュカには何の意味も持たない。ただ、今この瞬間を「生きる」こと。それこそが、彼の到達した剣の極致であった。

無明の閃き

「……ならば、その達観ごと叩き斬るまで!」得体の知れない恐怖に襲われ重蔵は吠えた。しかし、その恐怖はリュカにむけられたものではなかった。剣豪と呼ばれ無敵だった自分が、実は剣というものに対して根本的に間違っていたのではないかという思いに囚われたのだ。自分が長年積み上げてきたモノ、それが何の価値もない事だったとしたら…しかし、ふと笑みが溢れて力が抜けた。それが何だというのだ、それが俺だ。

踏み込みの衝撃で境内の石畳が砕け散り、大気が悲鳴を上げる。「断岩」の異名通り、岩をも両断する大上段から振り下ろされる必殺の一撃。それは、重蔵の生涯においても最も速く、重く、一片の迷いもない完璧な剣閃だった。

物理的な回避など不可能な速度。

だが、リュカは躱さなかった。

ただ、『前に出た』のである。

生に執着し、しかし死を恐れず自らのものとして抱いて歩く。そこから生み出される究極の歩法。

風が吹き抜けるように、リュカの身体が重蔵の懐へと吸い込まれていく。重蔵の刃がリュカの肩口の布を裂き、わずかに血の華を咲かせた瞬間——

――斬。

音が遅れて響いた。

すれ違いざまに放たれた、力みの一切ないリュカの刃が、重蔵の急所を正確に、そして静かに薙ぎ払っていた。

「……見事、だ……。これで、前金分は……働いた、ぜ……」

重蔵は目を見開き、自身の敗北をどこか満足げに受け入れながら、崩れ落ちるようにその場に倒れ伏した。凶悪な殺気を放っていた男の最期は、不思議なほど安らかな顔をしていた。

静寂が戻った境内。

血振るいをして刀を鞘に納めたリュカは、その場にどさりと座り込んだ。内臓を焼き焦がすような激痛と、疲労感が押し寄せてくる。やはり、肉体はすでに限界だった。

「……あばよ、重蔵。あんたも、いい腕だった」

倒れた剣客に向け、リュカはぽつりと呟いた。

空を見上げると、抜けるような秋晴れの青空が広がっている。

(死ならさっぱりと死ね、か……。師匠、俺はまだ、もう少しだけこっちにいられそうですよ)

自嘲気味に笑いながら、リュカはふらつく足で立ち上がった。

自分が死ねば、裏表の権力を握るあの女たちは悲しむだろうか。いや、あの恐ろしいまでの情念を持つ彼女たちのことだ。冥府の底まで追いかけてきて、強引に連れ戻されるかもしれない。

「帰るとするか……腹も、減ったしな」

傷口を布で縛り、リュカはゆっくりと境内を後にした。

彼の蒔いた種が根を張る、あの平和で逃げ場のない帝都へと。彼を待つ、子どもたちの温もりと、深すぎる愛の檻の中へと。

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