六
和葉と彩夏は森沢病院の面会スペースで時間をつぶしていた。
窓の外では日が傾き始めている。
「依蕗葉先輩、遅いですね」
「大丈夫、もう来るはずだから」
答える彩夏の言葉はどことなく重苦しさをたたえている。和葉自身もペットボトルのお茶を必要以上に飲んでいた。
「瑠香ちゃんですけど、大丈夫ですかね」
和葉のつぶやきに彩夏は長い間答えなかった。窓の外に広がる景色を見つめるまなざしはどこかぼんやりとしているように見える。
しばらくして依蕗葉がやってきた。彩夏は立ち上がって迎える。
「お疲れ様」
「お疲れ様」
二人は短く挨拶を交わす。依蕗葉は落ち着きなさげに席に着くと、カバンから水筒を取り出した。そんな依蕗葉を和葉は直視できない。
彩夏は依蕗葉にこれからのことを話し始める。その表情はいつになく難しいものだが、依蕗葉自身も心当たりがあるようで淡々と話を聞いていた。
「それじゃあ、そろそろ行こっか」
「うん」
彩夏の呼び掛けで全員が立ち上がる。
病室に入ると、瑠香が片耳イヤホンを付けてテレビを見ているところだった。
「こんばんは」
挨拶すると、するりとベッド横に置かれた椅子に彩夏は腰を下ろす。だが、和葉と依蕗葉はその場に立ったままだった。
「こ、こんばんは……」
三人の雰囲気に驚きながらも瑠香は挨拶を返す。そして自分の隣に腰掛ける彩夏を見た。
「あの……。どうしましたか?」
「ちょっとね……」
彩夏は少し言葉に迷っているようだったが、そっと瑠香の顔を見やる。
「瑠香ちゃん。この前の件なんだけどね。一つ謝らないといけないことがあるの」
「え……」
「瑠香ちゃんを覗き込んでいた幽霊の話。初めて会った時に病院をうろつく浮遊霊だって言ったけれど、本当は違ったの」
その言葉に瑠香は驚く訳でも怒る訳でもなく、ただあるがままに受け入れていた。
「そうなんですね。何か気を遣わせちゃってごめんなさい。やっぱり死神だったんですね」
「ああ、それは違うの。正体なんだけど生霊って知ってる?それなのよ」
「生霊……ですか?」
「うん」
病室内を微妙な空気が包み込む。瑠香は訳が分からないといった表情で彩夏を見つめていた。
「瑠香ちゃん。生霊ってのはね、生きている人が飛ばす念みたいなものなのよ」
「はあ……」
「それが毎晩あなたの元にやって来てたって話なのよ」
「生きている人が飛ばすって……。じゃあ、誰が?」
その問いに彩夏は答えなかった。その様子に瑠香は顔をしかめるが、依蕗葉が一歩前に出た。
「ねえ、瑠香。瞳ちゃんを覚えてる?」
「え、急に何なの?覚えてるけど、何かあったの?何だか今日の皆はおかしいよ……」
彩夏が椅子を瑠香の元に引き寄せる。
「瑠香ちゃん。その生霊なんだけどね、瞳ちゃんの姿をしてるみたいなの」
「え?」
瑠香は驚いていたが、その表情の中に嬉しさも見え隠れしていた。引っ越しで疎遠になったとはいえ、やはり二人は友達同士なのだ。そう思うと和葉はいたたまれなくなってしまい、思わず空を見上げる。
その様子を目ざとく見ていた瑠香が和葉をジッと見つめる。それに気付いた彩夏がさりげなく身を乗り出して瑠香に顔を寄せる。そこで瑠香の注意が彩夏に戻った。
「あの……。瞳ちゃんが生霊を飛ばしてたんですか?」
彩夏は何も答えない。
「心配してくれてたんだ……。嬉しい……」
その表情は本当に幸せそうだった。
「でも、どうやって私のことを知ったんだろう?もうずっと会ってないのに」
「その件なんだけどね」
彩夏が切り出した。
「瞳ちゃん自身は生霊を飛ばしていないの」
「はい?」
「生霊の形は瞳ちゃんなんだけど、飛ばしたのは彼女じゃないの」
「え、ちょっと何を言ってるのかよく分からないです……」
彩夏は瑠香から視線を逸らさず、話を続ける。
「生霊を飛ばしているのはね、あなた自身なのよ」
「……」
「あなたの病気が簡単に治るものじゃないのは分かってる。十歳の子供が死を意識するくらいなんだからね。でも、それに囚われてしまうのは良くないことよ」
「……」
「自分がもうすぐ死ぬと思ったあなたは、仲良しだった瞳ちゃんと会えないのが寂しかった。一度会いたいって思いが強かったはずよ。けれど、病気なのを知られたくもなかった。心配させちゃうからね」
「……」
「だから、あなたは生霊を飛ばした。瞳ちゃんの元にではなく、瞳ちゃんに似た存在を自分の元にね」
生霊の形を変えるなんて不可能なことだ、と彩夏は自分に言っていたが、事の真相を話す締めくくりでこうも言っていたのを和葉は思い出した。
「もちろん、それは無意識のことよ。生霊なんて飛ばそうと思って飛ばせるものじゃないし。でもね、あなたの思いは実現した。それが自分の望んだ形でなかったとしても」
瑠香の表情はとても暗かった。その落ち込みようは見ていられないものだった。
こうなることが分かっていたからこそ、幽霊の真実を伝えるのに三人とも気が重かった。だが、瑠香に生きることへの希望を見い出してもらう為にも必要なことだと結論を出したのだった。
彩夏がまた話し始める。
「瑠香ちゃん。私ね、瞳ちゃんに会ってきたの」
「え?」
「ほら、覚えてる?引っ越しの話をしたの。あの時にあなたの友達のことが思い浮かんでね。でも、その時には生霊だってことも分からなかったから、こっちで勝手に調べたのよ」
「そうだったんですね……」
「うん。出会って初めて全てが分かったのよ」
「……瞳ちゃんは元気そうでしたか?」
「ええ。元気だったわ。あなたのことも楽しそうに話してくれた。折り紙の鶴をどっちが早く折れるかよく競ってたんですって?」
「……はい」
少しはにかむ瑠香を彩夏は優しく見つめ返す。
「瞳ちゃんから伝言があるの」
「え?」
「『早く元気になって、また鶴を折ろう』ってね」
「……」
「瞳ちゃんはどこまで知ってるんですか?」
「あなたが病気で入院しているということだけ。病気の名前もあなたがどんな気持ちなのかも知らないわ。だから」
そう言うと彩夏は瑠香の顔を両手で包み込んだ。
「瞳ちゃんのところに遊びに行けるよう、強く思いなさい」
「強く思う……」
「まあ、頑張れってことよ。もう頑張ってる人にそう言うのは酷な話だと思うけれど、意図せずともあなたは生霊を飛ばした。だったら可能性を切り開くことだってあり得ないことではない訳でしょう?」
「……」
黙り込む瑠香の頬を軽くぷにぷにすると彩夏がにこりと微笑む。
「あなたの人生の物語はこれからよ」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
うららかな日差しが目に優しい。
そんな中で和葉はぐてっと机に突っ伏していた。
「はい、シャキッとする」
彩夏が軽く背を叩くと和葉は身を起こした。
「全く、いつまで待たせるつもりかしら」
「依蕗葉先輩って時間にルーズなイメージですもんね」
「まあ、決める時は決められるんだけどね。ちょっとのんびり屋さんなところがあるから」
そう答えたのは彩夏ではなく依蕗葉だった。
いつの間にやって来ていたのか、依蕗葉は二人の横側からぬるりと現れて、空いている席の一つに腰掛けた。
「もう……。せっかくの休みなのに」
「まあまあそう言わないでよ。こっちはこっちで大変だったんだから」
「それでどうでしたか?」
「うん。かなり元気になったよ。まだ油断はできないけれど、いっときのことを思えば安心しても良いと思うよ」
「良かった……」
「ただね、ちょっと心配してた。自分のことを覚えているかどうかってね」
「ああ。まあ、そこは正直言って蓋を開けてみないと分からないところですもんね」
依蕗葉と和葉が話す中で、彩夏はぼんやりと窓の外を眺めている。和葉達はそっと目配せすると、お互いに彩夏のトレーにあるポテトフライを一本ずつ抜き取ろうとする。
「一本につき百円」
窓の外を眺めたまま彩夏が言った。
何事もなかったかのように二人は手を引っ込めると話を再開する。
「でも、瑠香ちゃんなら大丈夫だと思います。なんたって大病を乗り越えたんですから」
「ええ。あの子の物語はこれからよ」
依蕗葉が少しだけ強調するように言うと、彩夏は素早く依蕗葉のトレーからナゲットを二個ほど鷲掴みにすると乱暴にマスタードソースを付けて頬張った。
次回から一話完結の話を続けます。




