二
ユニーク数が800を超えていました!
いつも皆様、ありがとうございます!
やはり断るべきだったと和葉は思った。
森沢病院の正面玄関を潜り抜けると、広々としたスペースの中に待合席がずらりと並んでいる。天井は吹き抜けになっており、開放感が快い。照明は暖色系で、柔らかな印象だ。
他の見舞客や職員と共に、ホールでエレベーターが来るのを待ちながらも、この明るい空間と黒い影がどの様に結びつくのか、和葉は全く想像出来なかった。
四〇二号室はエレベーターホールから離れたところにあり、ナースステーションからも少し距離がある。依蕗葉がノックをしてから引き戸を開けるとそこは個室になっており、仕切りのカーテンの向こうに見える人影が身じろぎするのが分かった。
「瑠香―、見舞いだよー。お客さん付き」
依蕗葉が声を掛けると、カーテンが開かれた。
「……こんにちは」
人形みたいだと和葉は思う。
十歳という年齢とは思えないほどの長い黒髪で、パジャマの裾からのぞく腕は陶器のように白かった。
その手と同じくらい、もろくて壊れそうな顔つきの中で、目だけは強い意志をたたえている。
彩夏が挨拶に答える。
「こんにちは。そして初めまして。依蕗葉の友人の一条です」
「宮島和葉です」
和葉も続いて挨拶する。
少女はしばらくの間、二人の顔を眺めていたが、思い出したように頭を下げる。
「瑠香です」
あどけない表情のはずなのに、どこか遠くを見ているような雰囲気だった。
それが不思議で和葉は思わず彼女をしげしげと眺めてしまう。その視線に気付いたのは、意外なことに瑠香ではなく依蕗葉だった。
「和葉さん。瑠香が可愛いからって持って帰ろうとしちゃダメよ」
「そんなことする訳ないじゃないですか」
和葉は慌てて依蕗葉を見やる。その様子に依蕗葉がけたけたと笑う。
「ちょっと。声が大きい」
「良いじゃないの、瑠香。個室なんだし」
「個室とか関係無いから。病院で騒ぐなんて非常識だよ」
二人を見ていると、どちらが年上なのか分からなくなる。よく小説やアニメなどで、年上の登場人物が年下の身内に説教されている姿を見かけるが、現実はそんなにほのぼのとしたものではない。
大学生が十歳の少女にたしなめられている姿は、見ていて辛くなるものがある。自分も同じ大学生だからだろう。こういうのを共感性羞恥心と言ったっけと、記憶を辿りながら和葉は二人のやり取りを眺めていた。
その隣で彩夏はそれとなく部屋の中を見回していた。
「それで、なんでお友達を連れてきたの?」
瑠香は依蕗葉が答える前に、二人に向き直ると申し訳なさそうに言った。
「すみません。むりやり連れてこられたんですよね。ごめんなさい」
十歳の少女とは思えない口ぶりに和葉は慌てて答える。
「いやいや、そんなこと気にしなくていいからね」
「うん。気にすることはないよ」
対して、彩夏は普段通りの表情で答える。そんな彩夏を瑠香はジッと見つめると、唐突に顔をほころばせる。
「分かりました。一条さんが視える人なんですね」
「え?」
突然のことに和葉はついていけなかった。その様子を見ながら依蕗葉はニヤニヤと笑みを浮かべている。
それでいて彩夏は何事もなかったかのように瑠香の方を見る。
「そうよ」
「驚かないんですね」
「うん。依蕗葉のことだから私達のことを前もって説明しているだろうなと思ってたから」
「それで、どうですか?何か分かりますか?」
瑠香が期待した目で彩夏を見つめる。
彩夏は先程と同じく、ぼんやりとした表情で室内を見回すと首を横に振った。
「分かったことはあったけど、瑠香ちゃんは不満かも知れない」
「じゃあ、やっぱり気のせいってことですか?」
かすかに頬を膨らませる瑠香に彩夏は優しく答える。
「いいえ。黒い影を見たのは気のせいじゃないよ。ただ、瑠香ちゃんが考えているようなことは関係無いよ」
「何のことですか」
彩夏はそっと瑠香に顔を寄せると、一言だけつぶやいた。
「死神」
「え……」
瑠香と和葉は同じリアクションを取ったが、その意味は少し異なっていた。そして、依蕗葉だけは何とも言えない表情を浮かべていた。すぐに依蕗葉は表情をとりつくろったが、和葉は見逃さなかった。
「本当にそう思いますか?」
「ええ。そうよ」
「気休めなら大丈夫です」
「そんなんじゃないって、本当は気づいているんでしょう?」
瑠香は挑戦するような目つきで彩夏を見つめていたが、彩夏はその視線を優しく受け止めるだけだった。
やがて瑠香は諦めたようにうつむいた。
「あなたを覗く黒い影はね、ただの浮遊霊なの。ここは病院だから当然と言えば当然のことよ」
「じゃあ、なんで……」
「あなたを覗きに来るのかって?それはさすがに分からないわ。ただ、こうは考えられないかしら。別にあなたの元だけに来てるとは限らないって。この部屋だけじゃなくて他の部屋も覗いているかもしれないわよ」
「……」
瑠香はうつむいたまま何も答えなかった。彩夏は優しく微笑み、瑠香の手をぽんぽんと叩くと和葉の方を見やる。
「それじゃあ、私達はそろそろ帰りましょうか。あんまり遅くなっても迷惑だしね」
「え。あ、はい」
二人の様子をずっと見ていた和葉は突然話しかけられて驚きを隠せなかったが、すぐに気を取り直すと彩夏に続いて瑠香に会釈する。
依蕗葉はまだ残るとのことだったので、彩夏達はエレベーターホール近くにある面会スペースで待つことにした。
面会スペースにある自動販売機で紅茶を買いながら和葉は彩夏と瑠香のやり取りを思い返していた。
だが、それ以上に印象に残っているのは十歳とは思えないほど大人びた瑠香の横顔と、「死神」という不吉な言葉だった。
「ありがとう、助かるわ」
和葉から紅茶を受け取った彩夏はペットボトルの蓋を開ける。
「本当にお釣りもらっても良いんですか?」
「ええ」
彩夏の向かい側の椅子に座ると、和葉はアセロラドリンクを一口飲んだ。
面会スペースの二面は窓になっているので、外から差し込む太陽の光が穏やかな陽だまりを作っている。
和葉達が座る椅子はそれぞれオレンジ色と黄緑色の背もたれで、日差しと相まって暖かな印象を覚える。
彩夏は和葉を見やると、苦笑いを浮かべた。
「そんな顔をしなくても、ちゃんと話してあげるわよ」
「お願いしますよ、会長。話が急展開過ぎて何が何だか分かりません」
「まあ、私も驚いたわよ。瑠香ちゃんからあんな風に切り出してくるとは思ってなかったから」
彩夏は窓の外の景色に目を向ける。ビルが立ち並ぶその奥に海が広がっていて、桟橋には大型の遊覧船が停泊している。
「まず、瑠香ちゃんが見ていた黒い影だけど」
「はい」
「あれは本当のことよ」
和葉はゾッとする。病院の個室という一人きりの空間に幽霊が来ると思うと背筋に寒気が走った。
「何とかしてあげられないんですか」
「無理ね」
「ひ、ひどい」
余りにも素っ気ない彩夏の口ぶりに和葉は驚きを隠せなかった。彩夏は紅茶の入った小さなペットボトルを両手でそっと包み込んでいる。
「無理なものは無理なんだから仕方ないでしょう。それに黒い影を見ようとしてるのは瑠香ちゃんなんだから」
「え?どういうことですか?」
「瑠香ちゃんはね、自分が死ぬと思っているのよ。その事実を固めたいんでしょうね」
和葉は開いた口がふさがらなかった。
「それってどういう意味ですか……」
「そこは依蕗葉に聞いて頂戴な。家族のことだからね」
そう言うと彩夏は左手側を見やる。和葉もつられてそちらを見ると、依蕗葉がこちらに向かってくるところだった。
その表情はいつになく暗いもので、普段見せるようなつかみどころのない依蕗葉らしくなかった。
彩夏は軽く手を上げる。依蕗葉がそれに気づいて手を振り返す。
「ごめんね、待たせちゃって」
誰もいない隣のテーブルから椅子を引っぱってきて依蕗葉が座る。
「ドリンクは?」
「大丈夫。持ってきたのがあるから」
そう言うと依蕗葉はカバンの中からミネラルウォーターが入ったペットボトルを取り出す。
外の天気は穏やかで、面会スペースも和葉達以外の見舞い客は誰もおらず、静かで落ち着く雰囲気だった。それなのに、どこか重苦しい雰囲気が漂っている気がするのはどうしてだろうか。
「今日は二人ともありがとうね。瑠香も喜んでいたわ」
「いえいえ」
和葉はそのまま返答するが、彩夏は微笑み返すだけだった。
そのまま誰も何も言わず、重苦しさが更に増した気がして和葉は居心地が少し悪くなってきた。別に喉も乾いていないのに、アセロラドリンクを飲む。
「あのね。瑠香は……」
「別に無理に話さなくても良いわよ」
外を見ながら彩夏が事もなげに言う。その気持ちは和葉も同じだった。十歳の少女が入院しているだけで病状の重さは想像できる。まして自分は死ぬと思うくらいだ。
「ありがとう。それでなんだけど、黒い影は本当に死神じゃないの?」
「ええ、そうよ。ただ……」
「ただ?」
「瑠香ちゃん自身が死神だと思い込みたい節があるから、これからも見え続けるでしょうね」
「祓うことはできない?」
「和葉にも言ったんだけど、無理よ。そもそも私にはそんな力なんて無いから。それに、仮にできたとして、本人が死神を望んでいる以上、その思いに引き寄せられてまた別の浮遊霊がでてくるだけだから」
依蕗葉は肩を落とす。その様子をしばらく見ていた彩夏だったが、やがてため息をついた。
「ねえ、依蕗葉。私達に話しておくことはない?」
「急に何よ」
「いや、あなたって結構肝心のことを話さないから」
「信用ないのね」
「うん」
そう言うと彩夏が笑う。つられて依蕗葉も笑みを浮かべた。ようやく空気が明るくなった気がして、和葉は内心ホッとした。
「依蕗葉。瑠香ちゃんだけど同い年くらいのお友達はいる?」
「え?そりゃあ一人や二人くらいはいると思うけど、どうしてまた?」
「本当に知らないわね?」
「知らないわよ。まさかさっきの話って冗談じゃなかったの?」
「うん」
ひどいと頬を膨らませる依蕗葉をからかいながら彩夏は笑う。だが和葉は、彩夏が瑠香の友達のことを聞いた理由が気になって仕方なかった。
次回投稿は1週間後の予定です!
前書きでも書きましたがユニーク数800超え、
本当にありがとうございます。
よく「モチベーションが上がる」と聞きますが、
それを実感した瞬間でした。
今後ともよろしくお願いいたします!




