四
長らくお待たせしました。
活動報告に、更新頻度について挙げていますのでそちらもご覧ください。
彩夏はいつになく早足で目的の場所へ向かう。途中、彩夏を見かけた知り合いが声を掛けようとしたが、その鬼気迫る表情に何もできずにいる。
辿り着いた彩夏は勢い良く扉を開けると、突然のことに驚いた周りの制止も聞かずに奥へと進んで行った。
「依蕗葉!大丈夫?」
「うーん。まあ、何とかね」
相変わらずにへらと笑う依蕗葉だが、いつもと違い覇気がない。左の足首と右ひじ辺りに巻かれた真新しい包帯が逆に痛々しかった。
彩夏は医務室に据え置かれた冷たいパイプ椅子の一つを取ると、依蕗葉がいるベッドの隣に置いた。
「でも、あの鞄はお気に入りだったんだけどなー」
依蕗葉が悲し気に微笑む。彩夏もよく見ていた鞄だった。ゲーム中もしっかりと膝の上に置いて抱えるようにしていた鞄は、端から見ていても特別なものであることが分かる。だからこそ、依蕗葉が落ち込んでいることが手に取る様に分かった。
もう一歩、関係性を深めようと勇気を振り絞った矢先の出来事だった。依蕗葉はひったくりに襲われたのだった。
「まあ、スマホとかは大丈夫だったから結果オーライだよ」
心肺をかけまいと気丈に振る舞う依蕗葉の姿を見て、彩夏は唇を噛むしかなかった。
たまには理工学部棟の食堂にでも行ってみないかと誘ったのは彩夏だった。噂になっていたデブ猫を見つけたところで何か良いことは起きなかったが、あの一件以来、依蕗葉に対して抱いていた苦手意識が薄れていくのを彩夏は感じていた。依蕗葉は変わらずマイペースだったが、彩夏の態度が軟化したことには気付いており、それを喜んでいた。
理工学部棟にある食堂は品揃えが他の食堂とは変わっており、飽きがこない。また、広さと学生数が見合っていないので、居心地が良く隠れスポットとなっている。ただ、理工学部棟は車一台が通れるほどの公道を挟んだところに位置していた。そこに向かう途中、依蕗葉は被害にあった。
「ごめんなさい。私が誘ったばっかりに……」
項垂れる彩夏を見て依蕗葉は驚いた表情を見せたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべると彩夏の肩に手を置いた。
「そんなの関係無いよ。こうなるなんて分かりっこないんだから。それに相手はスクーターだったし、分かってたとしてもどうしようもなかったよ」
「……」
それでも彩夏が抱く罪悪感が薄まることは無かった。
職員の指示もあって彩夏は医務室を出た。本来なら必修科目の講義が始まっている時間だがどうも気が乗らない。
彩夏はあてもなくキャンパス内を歩く。ひったくりの瞬間を見た学生達が勢い込んで話しているのがいやでも耳に入ってくる。
「マジ、やばかった」
「あっという間だったよな」
「それな。あの女の子、大丈夫だったんかな」
「すぐに起き上がってたからたぶん大丈夫かも。それに助けも断ってたし、何もできなかったよ」
人の手を借りないなんて依蕗葉らしい、と彩夏は思う。だが、その一方でどうしてそうなってしまったのだろうと思わずにはいられなかった。自分自身も余り手助けされたくないタイプだが、こういう時はすすんで周りの助けを受けるし、受けるべきだ。
それができない身の上なのかもしれないと思うと、彩夏はまるでかつての自分を見ているようで鬱々とした気分に苛まされる。
「あ……」
ふと足を止める。彩夏の少し先をあのデブ猫がのんびりと歩いていた。こちらを見ている彩夏に気付いたのか、デブ猫は歩みを止めると彩夏をジッと見つめ始めた。
相変わらず可愛くない猫だ。だが、今はかまってやる気分ではなかった。彩夏はその猫を無視して再び歩き始める。猫は動かなかった。
「にゃあ」
すれ違う瞬間、猫が鳴いたが彩夏は目も向けなかった。
「にゃあ」
どうも彩夏に呼び掛けている様子だったが、今日に限って絡んで来るその猫が憎たらしくてたまらなかった。彩夏は無視を決め込むと近くにあるカフェに足を踏み入れる。何故か猫が自分について来るのが分かったからだ。当然動物は入れず、彩夏に続いてカフェに入ろうとする猫を店員が優しく止めていた。
「いい気味ね」
思わず独り言が飛び出す。途端に、勢いで入ったカフェがどこかを彩夏は意識することが出来た。
カフェ・リラクシン。文学部棟一階にあるこじんまりとしたカフェだ。店内に流れるBGMはボサノヴァで、耳に心地よい。
ゆったりとした、だがどこかスイングしたくなるメロディに包まれながら彩夏はドリンクを注文しようとする。だが、そこで店員に呼び止められてしまった。
「あの、すみません」
「はい?」
「これからの時間は文学部のイベントで貸切となりますので、店内での飲食はご利用頂けないんですが」
見るとレジ横に、ラミネート加工されたチラシが貼られていた。
『文学部OB・OGとのランチタイム!~気になる社会人生活のことや就活のことを聞いてみよう~』
「外のテラス席はご利用頂けますので」
完璧な営業スマイルに気圧されて、彩夏は首を縦に振るしかなかった。
アイスティーとたまごサンドを注文し、外を眺める。先程の猫の姿が見えた。心なしか自分のことを見つめているような気がして彩夏は気味が悪かった。
気のせいだと自分に言い聞かせ、出来上がった品をカウンターで受け取る。外のテラス席は限りがあったが、幸いにも全て空席だった。
彩夏はなるべく猫がいる位置から遠い席を選ぶと腰掛ける。
「にゃあ」
いそいそとたまごサンドに手を伸ばした時だった。寸胴の体型に似つかわしくないスピードで彩夏の足元にやって来た猫は、一鳴きすると彩夏をジッと見つめた。こうなると予想していたとはいえ、彩夏は敢えて無視し続けるという最後の抵抗を試みた。だが、猫はいつまでも彩夏を見つめ続けている。
「……あなた、かまってちゃんなのね」
諦めた彩夏はたまごサンドを少しちぎると、猫に渡す。猫は満足そうに喉を鳴らすといきなりテーブルに飛び乗って、たまごサンドをくわえるや否や走り始めた。
「あ、ちょっと!」
突然のことに彩夏は一瞬身動きが取れなかったが、すぐに猫を追い掛け始める。
「何、この子。かなり速い!」
見かけとは裏腹に、丸々とした猫はキャンパス内を縦横無尽に駆け回る。彩夏は追い掛けるのに必死だった。
そしていよいよキャンパスを飛び出し、駐輪場入り口の方へ走り出す。ふと前を見ると、スクーターを押している学生らしき若者が歩いていた。猫は気にせず若者めがけて走って行く。
「危ない!」
彩夏が声を掛けるのと、猫が若者に跳びかかるのは同時だった。
「うおっ!」
跳びかかって来た猫を避けようとして若者は体勢を崩す。その拍子にスクーターも倒れ、サドル下の収納スペースが露わになった。
「大丈夫ですか……。あれ、その鞄」
追いついた彩夏はいきなり出てきた情報量の多さに戸惑いながらも、その鞄が若者には相応しくないデザインであることは把握できた。
猫が起こした騒動に駆け付けた警備員の一人が現場を見て声を上げる。
「さっきの!」
ぎょっとした若者は逃げようとするが、猫が顔に跳びかかってくるので余り身動きできない。そしてそのまま警備員に取り押さえられた。
「捕まえたぞ!」
「このひったくりめ!」
事情を聴いてやって来た依蕗葉立会いのもと鞄をあらためると、やはり本人のもので間違いなかった。若者は大学生の振りをして学生を狙うひったくりの常習犯だったらしく、この捕り物は地方新聞の記事にもなった。
だが、いつの間にか姿を消していたあの猫はそれ以降姿を現すことは無かった。
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「ふーん。その猫ちゃんに会ってみたかったな」
理香子が呟く。和葉も同じ気持ちだった。
彩夏はスマホの画面に映る猫の写真を眺めつつ、楽しげに笑う。
「にゃあ」
耳元で鳴き声が聞こえた気がして和葉は振り向く。だが、そこに猫はいなかった。
「うん、どうしたの?」
「いえ、気のせいだったみたいです」
理香子が声を掛けるが和葉は笑みを返した。
次回から新章です。
また、新連載始めました。
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