三
「はあ、退屈なの」
「何が退屈よ、結局人任せにしたくせに」
「えー、そんなことないけど」
そう言って依蕗葉は膝上に目を向ける。
「それにこの子の世話は私にしかできないでしょう?」
彩夏は肩をすくめると依蕗葉を見つめた。正確には、依蕗葉の膝上にいる猫を。
その猫は灰色一色だった。どうすればこれだけ太れるのかというくらい丸々としている。見た目だけだとクッションを置いてあるような印象だ。
彩夏はアイスティーを一口飲むと、左頬に手を当てた。
「世話って言うけど、そもそも抱えていて良いの?」
「良いんじゃない?飼い猫を連れて来た訳でもないし」
「いや、その子の足裏とか汚れたままでしょう?服汚れない?」
「あ」
穏やかなひと時だった。
彩夏と依蕗葉はビオトープへ続く小道の手前にあるベンチで涼んでいる。近くの自動販売機で買った飲み物を思い思いに楽しんでいた。彩夏はいつものようにアイスティーを、依蕗葉は何故かおしるこを選んでいた。
そしてその依蕗葉の膝の上では、デブ猫が呑気に前足で自分の顔をなでている。依蕗葉はそんな猫をなでながら欠伸交じりに彩夏の方を見る。
「でも、あっけなかったねー」
「うん、あっけなかった」
「まさか、こんなに人懐っこいなんてね」
依蕗葉に仕方なくついて行った彩夏だったが、やはり虫の脅威には勝てずビオトープ前の小道で動けなくなってしまった。本気で嫌がる彩夏をからかいながらも、さすがに無理やり連れて行くことはしない依蕗葉は一人でビオトープに出向いたのだが、そこで噂の対象になっている猫が悠然と歩いているのに出くわした。
何でもその猫は、昆虫が気にならない女子達の間で人気が高いらしく依蕗葉が見つけた時も数人の女子学生から餌付けを受けているところだった。
「で、見た人は幸せになるって話だけど、こうして捕まえるとどうなるのかしら」
「彩夏。捕まえただなんて人聞きの悪いこと言っちゃだめだよ」
そう言って依蕗葉は猫の前足をフニフニする。「ねー」などと話しかけるその姿に依蕗葉が心から可愛がっているのが伝わってくる。
「何だか意外ね、あなたにそんな一面があるなんて」
「え?」
「ううん、何でもないの」
よしよしと右手を差し出す彩夏をジッと見つめると、その手をぺしっと払いのける。彩夏はすうっと息をのんだ。
「依蕗葉、このデブ猫だけど噂に出て来る猫とは別なんじゃないの?」
どうやらこの猫と相性が悪い彩夏に対して依蕗葉は心の底から大きな声で笑う。そんな依蕗葉を見るのはとても新鮮なことだった。そして依蕗葉に対するものの見方が変わりつつあるのを感じ始めてもいた。
「ねえ、依蕗葉」
「ん?」
「何でひよこ研究会なんてよく分からない会を作ったの?」
虚を突かれた依蕗葉はしばらくの間彩夏を呆然と見つめていたが、すぐに微笑みだす。
「ひよこが好きだからに決まってるでしょ?」
そしてまた猫を可愛がり始めた。納得した訳ではないけれど、何となくこれ以上深掘りするのはいけない気がして、彩夏は黙ってアイスティーを飲んだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
楽しげに話す彩夏の顔はいよいよ赤みを増していき、酔いが回ってきているのが伝わって来る。
和葉はミネラルウォーターを差し出すが、上手く蓋を回せない彩夏がふくれっ面をする。
「え?何で開かないのよ」
何度も失敗する彩夏を見かねて和葉が代わりに開ける。途端に嬉しそうな顔をしてゴクゴクと飲み始める彩夏に、良くも悪くもいつもの面影は見当たらなかった。
「うわっ、かなり出来上がってんね」
振り返ると、理香子を初めとする四回生達がやって来たところだった。和葉は挨拶していくが、その間に彩夏はペットボトルを大事に抱えて気持ちよさそうにしている。
「ごめんね、和葉。絡まれてない?」
こんな姿を見たことがない他の四回生達が驚きの表情を浮かべている中、理香子だけは手慣れた様子で鞄の中からスポーツドリンクを取り出すと、彩夏にグイっと飲ませる。されるがままスポーツドリンクを飲んでいた彩夏だったが、しばらくすると意識がはっきりし始めたのか少しシャキッとするようになった。
「お酒を飲み過ぎるとちょっとだけ面倒くさくなるんだけど、ここまで飲むなんて珍しいわね」
「依蕗葉先輩との話を聞かせてくれてたんですけど、そこからお酒を飲むペースが上がっちゃって……」
「ああ、なるほどね……」
理香子は頷く。そして優し気な笑みを浮かべると彩夏の隣に並んで座る。
「私も聞きたいな、あいつの話」
「そうですよ、会長。まだ続きじゃないですか」
「え……?続きだっけ?」
少しは回復したものの酔っ払いには変わりない彩夏は、どこまで話したのか思い出すのに時間がかかった。しかし一度思い出すと話は軽やかに進んで行く。
親友の一人との想い出は確かにきらきらとしていて、少しだけまぶしい。




