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オカルト研究会の有閑な日常  作者: 賀来文彰
ブラックコーヒー
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 結局、和葉はその日のジャズ研究会の活動を休んだ。その連絡を入れた時には今朝の醜態が他のメンバーに知られており、からかい交じりの了解連絡が送られてきた。

 だが、和葉の判断は正しかった。彩夏の言う通りその日は様々な怪異が姿を見せ、音楽系の部活のほとんどが程度の大小こそあれ活動に支障をきたしていた。特にジャズ研究会での怪異が顕著で、多くのメンバーが姿見に映る幽霊を目撃したことで軽いパニックが起きた。

 そういった数々の報告を受けつつ、和葉はジャズ研究会を休んだ自身の英断を改めて称えていた。


「ああ、実況中継が聞きたかったなあ」


 わざとらしく理香子が溜息をつく。だが、そんな軽い嫌味も今朝に出くわした怪異に比べれば可愛いもので、和葉は心穏やかに聞き流していた。


「それにしても彩夏先輩の言った通りになったね。まだ信じられないけどさ、こんなのホラー映画でも見ないよ」


 和葉の向かい側で真奈美が唖然とした表情で部室内を見渡している。彩夏の言いつけを守ってジャズ研究会を休んだ真奈美だったが、それはそれで手持ち無沙汰になるらしく、彩夏に許可を得てオカルト研究会に来ていた。一応、周りには体験入会ということで説明をしているが、他のメンバー達はかつてない超常現象の連続発生に興奮を隠し切れず、右往左往しつつも続々と寄せられる報告を共有し合っており、それどころではないといった様子だった。


「交響楽団じゃあ誰も触ってなかった譜面台が時間差で三台倒れたってさ」

「フォークソング同好会にいる同期から連絡あったんだけど、使ってなかったギターの弦が勝手に切れたんだって」

「軽音楽部はどんな感じ?」

「ドラムが全然鳴らなくなったってさ」

「何それ」

「いや、叩いてもぺふって空気が抜けたみたいな音しかしなかったんだってさ」


 様々な怪奇現象の報告が飛び交う様子を聞き流しながら和葉は彩夏を見ていた。彩夏は相変わらず窓際に身を寄せてぼんやりとした表情でスマホを眺めている。


「彩夏先輩は何してんの?」

「さあ」

「いつもあんな感じなの?」

「うーん。普段は積極的なんだけどね」


 しばらくすると彩夏が立ち上がり、和葉達の元にやって来た。


「明日の朝、二人とも空いてる?」

「え?まあ、空いてますけど……」

「私も空いています」

「それなら八時に文化会館前で集合しましょう」

「それは大丈夫なんですけど……。どういうことなんですか」

「まだ上手く説明して上げられないんだけどね。でもまあ、根本的な解決にはならないんだけど、あなた達がまたジャズ研で活動出来る様にはなるかもしれない。その手伝いを頼みたいの」

「自分に出来ることがあるなら頑張ります」


 すぐに真奈美が反応した。

 彼女の熱意に改めて敬意を抱きつつ、和葉は明日も早起きしなければならないことを少しだけ恨んだ。



 土曜日の構内は静かである。まして朝の香りは静寂に満ちて、全身を爽やかに包み込む。その中で和葉は彩夏に抗議の声をあげていた。


「なんで部室に行かないとダメなんですか」

「必要なことだからに決まってるでしょう」

「いや、納得出来ません」

「私も嫌なんだけどさ。納得するかどうかじゃなくて、やらないといけないことならやるしかないんだよね……」

「……」


 文化会館で彩夏と合流した和葉達は非情な現実を突きつけられた。昨日、恐ろしい目に遭った場所へまた行かなければならなかったのである。

 当然、和葉は強固に反対したが、何かを悟った様な表情をした真奈美が防災センターから部室の鍵を借りてきたことで事態は決着を見た。


「何かあったら助けてくださいよ」


 情けない声で縋る和葉に彩夏は微笑むだけだった。恨めし気な視線を返しつつ、和葉はジャズ研究会のメーリングリストに開室の連絡を送る。三人が地下一階に降り立った時、連絡を受けたメンバーから返信が届いた。


「とにかくやめておけって……。あの後、どんだけ大変だったのよ」

「先輩の言った通り休んで良かった……」


 安堵のため息をつく二人を尻目に彩夏は目的地まで黙々と進んで行く。他の部室から何とも言えない気配が漂ってくるのは気のせいだろうか。


「着きましたね……」


 真奈美が呻く様に言う。見慣れたジャズ研究会の正面扉は仄暗い廊下の中で鈍い輝きを見せている。


「じゃあ、鍵を開けてくれる?」

「はい……」

「ああ、もう。どうなっても知りませんからね」


 意を決した真奈美が鍵を開ける。ドアノブを掴んだのは彩夏だった。さっと扉を開けると中に踏み込み、軽く室内を見回してから電気を点ける。

 蛍光灯の明かりに照らされた室内は雑然としていた。多くのメンバーが同時に、自分達と同じものを見たのだから無理もない。整理されていないこの状況は普段なら決して許されないものだけに、和葉は昨晩のジャズ研究会での怪異が与えた影響の大きさに改めて驚いていた。


「あれが姿見ね」


 彩夏が視線を送る。その先にある物を見て和葉は反射的に目を逸らした。


「はい、そうです」


 真奈美も直視出来ないのだろう。和葉の方へ視線を向けながら彩夏に答える。

 彩夏は二人の様子を気にすることなく姿見に近付くと鏡をじっと見つめ始めた。そしてそのままの状態で二人に話し掛ける。


「じゃあ、二人とも楽器を手に取って頂戴」

「え?どういうことですか」

「会長。疑うつもりじゃないんですけど、今から何をやらせるんですか?」

「演奏」


 そう言うと彩夏は振り返る。そして二人に準備させると自分は部屋の中心辺りに立った。


「二人ともMistyは演奏出来る?」

「まあ、出来ますけど……」

「私も大丈夫ですが……」

「なら、私が歌うから和葉は付いてきて。頃合いを見て真奈美はソロを入れて頂戴」

「会長。かなりの無茶ぶりなんですけど」

「それは百も承知よ。でも、これ以上時間が経てばここは本当に使えなくなるかもね」


 そう言って彩夏は肩をすくめる。


「別に失敗したって良い。ぶっつけ本番でやって誰かが困る訳でもないんだから、いい加減腹を括りなさい」

「……分かりました」


 諦めた表情で和葉が頷き、真奈美も困りつつも和葉に続いた。


「それで良いわ。最初は私がアカペラで歌うから、様子を見て入って来て頂戴ね」


 そう言い置いて、彩夏ははっとした表情を浮かべる。


「忘れてた。二人とも、曲が終わるまで何があっても絶対に演奏を止めちゃ駄目だからね。最後までやり切ること。良いわね?」


 そう言うと、二人の反応を見ることなく彩夏は前に向き直る。

 一拍間をおいて、彩夏が歌い出す。


 和葉と真奈美は驚いた。英語で歌っていたからである。だが、それにもまして普段とは違う声音に心をわしづかみにされた。

 決して、普段が違う訳ではない。ただ、いつもとはまた違う澄み渡る様な響きと音色に魅了される自分がいた。例えて言うならば、安心出来るあの微笑みがそのまま声になった様な気がして、和葉は先程まで自分を包み込んでいた恐怖心や不安が過ぎ去っていくのを感じていた。

 気が付けば自分の指が自然に鍵盤を奏でている。ぶっつけ本番の割には悪くない。彩夏の歌声が止んだ後に続く様に真奈美のサックスが響き渡る。普段はピアノでの演奏を聴くことが多かったので、サックスの音色が一際耳に心地良い。

 その時、和葉はふと気配を感じた。セッションの高揚感もあって何気なくその気配の元を振り返る。

 人の形をした灰色の靄が佇んでいた。そしてそれは演奏が続く度に段々と明瞭になっている。彩夏からの注意を思い出し、和葉は一心不乱に演奏に集中する。真奈美がその靄に気付いたのが和葉にも分かった。サックスの音色が少し乱れたのだ。だが、真奈美も彩夏の注意を思い出したのだろう。それ以降はそつなく演奏をこなしていた。

彩夏が再び歌い出す。そしてそのままゆっくりと振り返った。和葉と真奈美にアイコンタクトを送り、終盤に差し掛かったことを伝える。その時には既に靄は消えかかっていたが、演奏の余韻が静かに室内にこだました頃には再び三人だけの状態に戻っていた。


「二人ともお疲れ様」


 彩夏が和葉と真奈美に笑いかける。その両頬はほんのりと赤みを帯びている。



「結局、どういうことだったんですか?」


和葉の問いは忘れられている。

 真奈美が唐揚げを頬張る隣で、彩夏は美味しそうにコロッケを味わっている。


「会長。答えてくれないならコロッケは没収しますよ?」

「そう急かさないでよ」

「全く食い意地だけは張ってるんだから……」

「人のことは言えないでしょうに」


 お茶をすすると彩夏は一息つく。


「先ず、ジャズ研に関してはもう大丈夫よ」

「じゃあ、もうお化けは出ないんですか?」

「ええ。あの子は演奏を聴きたかっただけだから」

「良かった……」


 真奈美が胸をなでおろす。


「じゃあ、あの姿見は?」

「もう、ただの姿見だから安心して良いわよ」

「そう言われても落ち着かないんですけど」

「でも会長。他のところはどうなるんですか?」

「そんなの知らないわよ」

「え」

「え、じゃないわ。私は霊能力者じゃないんだから、全員の面倒を見るなんて無理な話に決まってるでしょう」


 そう言うと彩夏はサラダのお替わりを取りに行った。

 声を潜めて真奈美が言う。


「彩夏先輩ってその辺りはドライなんだね」


 それは少し違うと和葉は思う。彩夏はどちらかと言えば、首を突っ込みたくなくても放っておけずに結局巻き込まれてしまうタイプだ。そんな彼女がああいう言い方をするということは、こちらが思っているよりは問題が無いのだろう。


「まあ、散々私達のことを笑ってたし別に良いんじゃない?」

「それもそっか」


 土曜日の一限の時間帯ということもあって、食堂はほぼ貸切の様相を呈している。静かな中で食器の触れ合う音が賑やかに響き渡る。


「ところでさっきの演奏だけどさ」

「うん」

「結構良い感じだったよね」

「うん」

「アドリブも感覚が合ってたし」

「うん」

「それでだけど、これから一緒に練習しない?」

「……」

「……」



 彩夏は戻ろうとして歩みを止める。こちらに背を向ける形で座っている二人の様子が少しだけ気になったからだ。

 何かを語り合っている中にほんのりと緊張感が漂っているが、それは対立を孕んだものというよりは告白する時の様に思い切って一歩距離を縮める感覚に近い。

 一段落着いたのだろうか、真奈美が立ち上がる。そのままドリンクコーナーに向かおうとして彩夏と目が合う。


「あ、彩夏先輩」

「何か飲むの?」

「はい。先輩の分も取ってきましょうか?」

「いや、大丈夫よ。有難う」


 サラダを置き、席に着く。何気なく和葉の方を見やる。その表情からは何も掴めなかった。


「あなたは何も飲まないの?」

「真奈美が取りに行ってくれたんで」

「へえ」


 彩夏はサラダを食べ始める。


「会長。助けてくれて有難うございました」

「急に何よ。変な子ね」

「いや、最初は自分一人でやるつもりだったのに結局会長を巻き込んじゃったんで」

「まあ、そのおかげでコロッケ定食に困らないから良いんだけどね」


 和葉が笑う。

 その様子を見て彩夏は安心した。


 ふと見やると、真奈美がカップホルダーを二つ手に持ってこっちにやって来る。飲み口の部分からは湯気が立ち込め、少し上の方で混じり合っていた。鼻腔をくすぐる香りは、この時間がまだ眠気が残る朝方であることを思い出させた。


次回より新章です。

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