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オカルト研究会の有閑な日常  作者: 賀来文彰
ブラックコーヒー
42/73

今回から新章です。

 部室の鍵を開けて、電気を点ける。誰もいない空間の中で、ケースに収められた楽器類が静かに佇んでいる。

 飯岡真奈美は自分の楽器をケースから取り出し、準備を整えると練習スペースに出向いた。スペースと言っても少し広い場所があるだけで、そこに三人も並べば少し手狭な印象を覚える。だからこそ、人気の無い朝に一人だけで練習するのが真奈美の日課だった。

 ふと、壁際に姿見が置かれているのに気付いた。元々こんなものは無かったはずなのにと訝しんでいたが、昨日、文化会館の掃除があったことを思い出した。新たに承認が下りた研究会の為に部室候補となる部屋から不必要なものを運び出していたのだが、思いの外ガラクタや家具などが多く、スペースのある音楽系の部室を仮置き場としていたのだった。

 ジャズ研究会で引き受けたのがこの姿見なのだろう。よく見れば、鏡がはめ込まれている木の枠の下の方に中央自治会の札が仮止めされている。

 せっかくなので真奈美はその前に立って、サックスの練習をすることにした。軽くポージングを行う。さながらジャズアルバムのジャケット写真を撮っている様な気分だった。やがて満足すると、自身がジャズにのめり込んだきっかけである『Left Alone』を演奏する。アルトサックスの音色が広く静かな空間に響いた。

 違和感を覚えたのは、メロディが中盤に差し掛かった時だった。音色に対してではなく、目に映る何かがおかしいと本能が叫んでいた。演奏をしながら真奈美は何がその違和感をもたらしているのかを探っていった。

 彼女の視線が自身の下半身に移動した時、さっきから気になっていた違和感の正体に気が付いた。自分の足が少しむくんで見える。よく目を凝らして見ると、自分の後ろに誰かの足が見えていた。ぴったりと重なる形だったので気付くのに遅れたが、気付いてからは一気に恐怖が全身を駆け抜けた。

 驚いて振り返るとそこには誰もいなかったが、じっとりと纏わりつく嫌な気配らしきものが鏡の方から漂ってくる気がした。それに気圧された真奈美は絶対に鏡を見ない様にしつつ、出来る限り急いでサックスをケースに戻すと一目散に部室から逃げ出した。



「で、なんでそれを私に話すの」

「いや、こういうことを調べるのがあんたの役割なんでしょ」

「そんな役割になった覚えはないけど」


 和葉はふてくされながらレモンティーを飲んだ。

 文学部棟にはカフェ・リラクシンと某有名コーヒーチェーン店、そして文学部に所属している全学生の八割が悠々と使える地下食堂がある。大学に居を構える店には珍しく、看板メニューがベーグルとピザトーストくらいしかなく、後は近所のスーパーやコンビニでよく見かける様な惣菜パンばかりのカフェ・リラクシンは、他の二軒に比べるとどうしても印象が薄くなる。それに席数も他より圧倒的に少なく、その為かいつも人が少ない。

だが、BGMにジャズを、それもジャッキー・マクリーンやジョン・コルトレーンといった「王道」をセレクトするところが和葉は好きで、勉強に力を入れたい時やリラックスしたい時はいつもここで時間を過ごしていた。

その日も和葉は定番のベーグルセットを携えつつ、片手にお気に入りの文庫本を持ちながら自分だけの時間を過ごしていた。今日の時間割は三限目と四限目だけなので午後から大学に来ても良かったのだが、朝から落ち着いた雰囲気の空間で優雅なひとときを過ごすのもたまには悪くない。BGMが和葉の好きなビル・エヴァンスの『Waltz For Debby』であるのも素晴らしいタイミングだった。窓の外を真奈美が慌てた駆け抜けていく様子を見た時に、正確にはその瞬間目と目が合った時に、和葉はこの時間が長くは続かないことを悟った。


「それにあんたの見間違いかもしれないでしょう」

「いや、あれは見間違いなんかじゃない。絶対に見たの」

「絶対って言葉がどれだけ信用出来ないか分かってるでしょう」

「本当に見たって言ってんでしょう。そもそもこういう話を調べて結果を突き止めるのがオカルト研究会なんでしょうが」

「その通りだけど私の一存じゃ何にも出来ないしね」

「何それ。本当に使えない」


 真奈美の物言いに和葉は苛立った。


「大体、朝練なんて柄じゃない癖にそんな珍しいことするからこんなことになってんじゃないの」

「言っとくけど、平日はほぼ毎朝やってるからね」

「え、そうなの」

「才能溢れるあんたとは違うの。やることやってんだから」

「ちょっと待って。あんた、鍵の開け閉めの連絡入れてないじゃん」


 部室を利用するには、文化会館一階にある警備センターで鍵を借りねばならない。返す時も同じく、それらの時には専用の用紙に名前と学部・学科、学籍番号と手続き時刻を記入する必要があるが、音楽系の部活動に関しては更にメーリングリストやグループトークなどを通じて部員への通知が義務付けられていた。もっとも、実際に通知しているかどうかまではプライバシーの観点から確認出来ないが、楽器類はどうしても高価な為、音楽系の部活動に属する部員はこれを必要な措置として承知していた。

 和葉自身も、鍵を返す連絡を忘れていた友人が先輩にこっぴどく叱られているのを目にしたことがあった。


「いや、それは……」

「……どうせ、みんなに知られたくなかったんでしょう。毎朝「開けました」「閉めました」って連絡するのもアピってるみたいだし、その気持ちは分かる。分かるけど、努力は見せないタイプって結局言っちゃってるのがね。うわー、マジかー」

「……うっさいわね」


 真奈美が顔を真っ赤にして俯いたので、和葉は攻撃の手を緩めた。お互いに気に食わない相手だが、一線は越えない様に限度を保っていた。


「……仮にあんたが見たことが事実だとして、それをどうして欲しいの?先に言っとくけどお祓いとかは出来ないからね。そういうのは専門外なんだから」

「どうして欲しいって……。なんでそんな他人事なのよ。あんたは怖くないの?あんただってあの部屋使ってるのよ。どうしてそんなに落ち着いてられるのか理解出来ない」


 真奈美が和葉を睨みつける。一回生の後期から和葉はジャズ研究会を兼部する様になったが、それからというもの真奈美は和葉に対して強い敵対意識を抱いている。


「まあ、怖くないかと言われたら正直怖いけど、だからって私に何か出来る訳でも無いし」

「もういい。あんたに話した私がバカだった」


 そう言うや否や真奈美は勢い良く立ち上がった。その拍子に皿の上に置かれたベーグルがずれてそのまま床に落ちそうになったが、和葉は片手で器用に受け止めると、もう片方の手で真奈美の腕を掴んだ。


「待ちなよ」

「放して」

「良いから座って」

「いや」

「あんたの為だから」


 和葉の手を振りほどこうとしていた真奈美だったが、和葉の表情を見ると嫌々ながらも席に戻った。

 和葉は溜息をつくと、真奈美の方へ向き直った。


「一つハッキリさせておくけど、オカルト研究会があんたの話を取り上げるかどうかは断言出来ないからね。あんたが私に話した以上、私だって議題には上げるけど、会長はこういう話を嫌ってるから」

「知ってるわよ、そんなことくらい」

「後、もう一つだけど、鍵の件はどうすんの。朝に自主練すること自体は素晴らしいかもだけど、しないといけない連絡を今までしてなかったことはバレるわよ」

「なんで……。今朝のことをお願いするだけなんだから、今日はたまたま忘れたって話で良いじゃん」

「それは出来ないよ」

「はあ?今までのことまで全部言う必要なんてないじゃない!融通利かせなさいよ!」

「元々関係の無い私達に嘘をつかせるつもり?悪いけど、私にとってはオカルト研究会も大切な存在なの。この話を取り上げるってなるなら鍵のことも正直に話してもらう。でないと引き受けるってなった時に会長や他の皆にまで迷惑がかかるから」

「内緒にして欲しいから、こうしてあんたに頼んでんでしょうが!」

「じゃあ、私はどうなっても良いんだ」

「そうよ」


 予想だにしない答えだった。和葉は真奈美を見た。そこには怒りと悔しさがない交ぜになった複雑な表情があった。


「……才能のあるあんたなら、これくらいのことでも軽く怒られて終わるだけ。途中参加だから新人みたいなもんだし、そこも考慮されるはず。でも、私は違う。何やってんだって後ろ指差されて追い出されて終わり。あんたと違って、新しく入ってきた一回生よりも碌に演奏出来ないやつに居場所はないの」


 和葉は黙って真奈美を見ていたが、レモンティーを最後まで一気に飲み終えると静かに言った。


「コンプレックス持ってたんだね」

「はっ、まさか分析でもしてるつもり?才女は何やっても凄いのね」

「そう、私は凄い」


 真奈美は一瞬、呆気にとられた表情を浮かべていたが、すぐに意地の悪い笑みを浮かべるとここぞとばかりに和葉を口撃した。


「正体を現したね。やっぱりあんたはそういうやつなんだ。自分は出来るって思ってるナルシストなんだ。今も私がどんな思いであんたに今朝のことを話しているのか分かってる癖に、こうやって弄んで楽しんでんだね。幽霊なんて非科学的なものを見たって錯乱してるなってせせら笑ってんだ。大したもんだよ」

「……そんなんだからあんたはいつまで経っても三流なの」

「……え?」


 和葉が重いカウンターを決めた。


「分析でもしてるつもりかって話だけど、それってあんたがやってることじゃん。しかも偏見たっぷりにね。嫌味でも何でもなく、私は取り得なんて全然無い。全然だからこそ一生懸命練習したり勉強したりしてるだけ。自主練?はっ、笑わせんじゃないわ。私だってそれくらいやってるわよ。わざわざ朝に一人でやる勇気があるんなら、みんながいる時に練習付き合ってもらって、アドバイス聞きなさいよ。努力は見せないもんだって思ってるかも知れないけど、そんなの間違ってる。言っとくけど、陰での努力なんて誰も見てくれてないから。そういうのをしっかり見てる人なんてドラマか小説かの中だけ。目の前でやってあげないと碌に評価も出来ないのが人間なの。何だったら目の前でも分かんないバカばっかりなの。悪いけど、あんたがやってるのは無駄でしかないの」


 真奈美は純粋に驚いていた。和葉の言葉は内容こそ強いものの、極めて冷静に話している様に聞こえた。そして最後の部分で垣間見えた和葉の抱える闇に圧倒されていた。


「あんたが私にコンプレックス抱えてて、嫉妬してるのも分かった。今までは変に突っかかってくる人なんだなって思ってたけど、こんなんだとはね。敵対心を持つのは良いけど、それならもっと正々堂々と立ち向かってきなさいよ。勝手に妬んでおいて恥ずかしくないの?あんたと私は本来ならそんなに変わらないはずだけど、あんたがその体たらくなら、私が凄いのは当たり前」

「……」


 言いたいことを言い終えた和葉は、さっきまでとは打って変わって真奈美に一切の関心を寄せることなく文庫本を読み始めた。

 ほどなくして、和葉の隣からくぐもった泣き声が聞こえてきた。和葉は顔を上げず、ハンカチを差し出すこともしなかった。ただ、ベーグルを一口かじっただけだった。

 元々栞を挟んでいた箇所は、その章の終盤だった。和葉はその部分をすぐに読み終えると栞を挟み直し、そっと文庫本を閉じた。

 おもむろに立ち上がると、和葉は真奈美の方を見るでもなくこう言った。


「あんたの話、個人的に引き受けてやるわよ。つまらない鍵の話もここだけにしといてあげる。その代わり、この件が終わるまであんたも一緒に動くこと。誰の手も借りられないんだから。あんたが嫉妬してたやつがどれだけ頼りなくて、どれだけ抜けているか、そんなのも全部見せてあげる。でもね、正体がなんにせよ絶対に決着付けてやるからしっかりと見てなよ」


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