七
「ひっ……」
左側で加奈が声にならない悲鳴を上げている。駆け出したかったが、身体は言うことを聞いてくれなかった。
近付いて来るそれは段々と姿を現した。と言っても、実際に見ている訳ではない。イメージとして浮かんでくるのである。
それは白いワンピースを着た女性だった。長い黒髪が顔を覆い隠し、素顔は見えない。だが、それがいつか見えてしまうことは本能的に分かった。そして見えてしまった時が最後であることも。
冷たい汗が頬を伝う。友望は助けてと叫びたかった。
その時、前方で鋭い舌打ちが聞こえた。
「ああ、もう。まだるっこい……」
それは瞳の声のはずだった。なのにそこには一切の感情が感じられず、まるで機械音声を聞いている様な感覚だった。
「邪魔にならない様にしてたし、境目は跨いでないでしょう。邪魔しないでくれる」
ワンピースの女性が立ち止まった気がした。しかし人間とは思えない速さで一気に駆け出すと、そのままこちらに向かって来た。
「うっ……!」
谷山も声にならない悲鳴を上げた。だが、一番女性に近いところにいるはずの瞳は一歩踏み出すと、また舌打ちをした。
「人の恋路に水差してんじゃねえぞ、空気読め」
そう言って右のストレートを相手に叩き込んだ。
瞬間、友望は体が動くことに気付いた。いつの間にか虫の声が辺りに鳴り響いている。
加奈は腰を抜かしていた。谷山が急いで手を差し伸べている。友望が向き直ると、瞳は既に拳を下ろしていた。そして振り返ると苦笑いを浮かべながらいつもの声でこう言った。
「なんだか興醒めだね」
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「え、その人幽霊を殴ったんですか?」
真奈美が驚いている。
「さあ……。そもそもあれが幽霊だったのかどうか分からないのよね。あの後、誰もその話をしなかったから。同じものを見てたのかも分からないのよ」
マスターが苦笑する。
「そもそも場所が場所だから、集団幻覚を見ていただけかもしれないしね」
「えー。そんなはずないですよ」
真奈美は納得していなかったが、それは和葉自身もそうだった。集団幻覚で片付けるのは簡単だが、そうなると瞳の行動によって幻覚が解けたことになる。果たしてそれはあり得るのだろうかと、和葉はぼんやりと考えていた。
「でもね、二人とも大事なのはそこじゃないの」
「え?」
「今時、一目惚れしたって正面切って告白する人がいると思う?例えそうだったとしても、告白に行くまでプロセスってもんがあるじゃない?」
「ああ、谷山さんですね」
「そう。そう言う意味じゃあいつは恋心も分からないバカだったけど、正面切って向き合うところは本物だったよ」
言い差して、マスターは真奈美が持つ紙袋を見やった。
「例えば誕生日に花束を贈るようなやつね。それも大真面目に」
真奈美が項垂れる。その様子を見て、和葉はふと、谷山と加奈がどうなったのか聞いていないことを思い出した。
「マスター。お二人は結局どうなったんですか?」
「それなんだけどね……」
マスターが微笑んだ。
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その日、友望は瞳に連れられて旧胡麻富岳トンネルに来ていた。いわくつきの心霊スポットも太陽の光が降り注ぐ日中では鳴りを潜めている。
「瞳さん、なんでこんなところに隠れないといけないんですか」
「ほらほら、もうちょっとの我慢だから。ね?」
二人は大木の向かいにある大きな岩の陰に隠れていた。ここなら誰にも気付かれずに大木を見ることが出来るというのが瞳の話だった。
「ほら、来たわよ」
「え?」
見ると、一台の軽自動車が入ってくるところだった。以前来た時に瞳が停めたスペースに停めて、車から出て来たのは谷山と加奈だった。
「え!」
驚きの余り声を上げそうになった友望の口元を瞳は咄嗟にふさいだ。そんなドタバタ劇を二人が密かに繰り広げている間にも、谷山と加奈は大木の方へ歩いて行く。
「この前はごめんね」
「うん……。私も無理言ってここまで連れて来てもらってごめん」
「あ、うん……」
この前よりもぎこちない。
「あ、あのさ……。あの時は上手く言えなかったんだけど……」
谷山が話そうとした瞬間、加奈が左手で彼を制した。その様子を見て、瞳と友望は揃って溜息をついた。
「ここの話だけどさ、覚えてる?」
不意に加奈が言った。
「この木に合計で三日間気になる人と一緒に通うと願いが叶うって話」
「うん……」
「一回目は成り行きだったし、この前もなし崩しになっちゃったけど、回数は変わらないなって思ったの。だからここに連れて来てもらったんだ」
「え、それって……」
谷山が驚き、瞳と友望は息を呑んだ。
加奈は軽く微笑むと谷山をそっと引き寄せ、何かを囁く。
谷山も微笑むと、何かを囁き返した。
何処かでミソサザイが鳴いている。
次回から新章です。




