四
「ちょっと展開早くないですか!?」
「うるさいわよ、和葉」
「いや、気になるじゃないですか!てか、何でそんなに平然としてられるんですか!胸の高鳴り溢れる恋バナですよ!」
サングリアとはいえ、ワインは酔いが回るのが早い。それだけでなくマスターの思い出を酒の肴にぐびぐびと飲み進めるものだから、和葉は完全に酔っ払いになっていた。
「何をそんなに興奮してるの。これくらいは普通じゃないの」
「え!?いや、デート二回目なのにキスって早い、早過ぎる!てか、会長!これくらいは普通ってどういうこと!?」
どうやら和葉は恋愛経験がピュアなようである。マスターと彩夏は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「まあ、でもその時はまだキスしてなかったんだけどね」
マスターが自分のグラスを傾けながら呟く。
「え?」
「肩に頭を預けたくらいよ。それでも勇気はいったけどね」
「なあんだ……」
「何でそこであなたがガッカリするの」
あからさまにしょんぼりする和葉に、思わず彩夏がツッコむ。
今日もバードランドは貸切状態だった。話の続きを聞きたがった和葉が閉店時間の一時間前に予約を取ったからである。彼女達が普通に料理を楽しんでいる頃には、ラストオーダーを聞かれた客達がいそいそと会計に移っており、今では店の中は三人だけである。「OPEN」のプレートも既に裏返されている。
「良いなあ。私もそんな恋愛をしてみたい……」
「あれ、和葉って男運無いの?」
「失礼な!私にだって声掛けてくる男の一人や二人くらい……いないですね……」
最初こそ啖呵を切っていたものの、変えようのない事実に項垂れる。傍から見ていても分かりやすい落ち込みっぷりである。
「まあ、いつか良い男が現れるって」
マスターが慰めてるが和葉は項垂れたまま動かない。まさかと思った彩夏が和葉の顔を上げると気持ち良さげに眠っている。
「こら、和葉!マスターに迷惑をかけないの!」
「まあまあ、私は大丈夫だからそのままにしておいてあげて」
マスターが面白そうに笑う。
笑う時に口元に手がかかるその仕草は何処か気品を感じさせる。
「本当にすみません」
「良いのよ。私だってよくお店で酔い潰れたものよ。それに家だって近くだから遅くなったって全然平気。寧ろ、あなたこそ大丈夫なの?」
「私も家は近いので大丈夫なんですけど……」
「なら良いんだけどね」
マスターはにっこりと微笑むと、彩夏に新しいグラスを差し出した。
「あ、私はもう……」
「まあまあ、ちょっと付き合いなさいな。あ、心配しなくてもこれはサービスだから」
しきりに恐縮する彩夏を見守るような目で見つつ、マスターは自分のグラスにも同じワインを注ぐ。
「それに、これから話すことはちょっとこの子には聞かせたくないんだ」
マスターの呟きに彩夏は背筋を伸ばす。相変わらず微笑んではいるものの、その表情には影が差していた。
「ちょっと湿っぽくなるんだけど、もうちょっと付き合って頂戴」
マスターがそっとワインを口元に運ぶ。
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すっかり秋の面影が差し込む並木通りの下で、二匹の野良猫が寄り添い合って暖を取っている。その様子を学校帰りの子ども達がきゃあきゃあと言いながら見守っている。
心温まる風景の中で友望は一人、沈んでいた。
小さな手に握られたスマートフォンの画面は、相手が既読無視をしていることを告げている。その状態になってもう一週間が経っていた。
キッカケは些細な事だった。軽い言い合いが始まった時はまだその状態を楽しんでいる自分がいた。こんなケンカも恋人同士ならではのじゃれ合いの一つだと思うと、相手への怒りよりもこの甘いひと時を少しでも長引かせたいという思いが強かった。
だが、そんな駆け引きを楽しめるほどにはお互いに経験不足だった。
自分でも驚くほどにヒートアップした口論は長く尾を引いている。友望はもう何度目かも分からない程溜息をついていた。
「いつまで落ち込んでんの」
友人の深雪がプラスチックのカップを友望に差し出す。中身はタピオカミルクティーだった。
「有難う」
「どういたしまして」
カップを受け取った友望は、力なくストローを啜る。吸い込んだタピオカが勢いよく喉の奥に直撃し、思わずむせてしまう。
その様子を可笑しそうに見つめながら深雪は自分のドリンクを楽しんでいる。
「で、謝ってから何か返信あったの?」
「ううん」
「既読は付いてんの?」
「うん」
「そっかあ」
「……」
「向こうからは謝って来ないんだよね?」
「うん」
「……怒らなかったの?」
「うん」
「無視するなら文句の一つくらい言い返して来れば良いのにね」
「……」
友望は心ここにあらずといった面持ちである。深雪は溜息をついた。
「あのね。既読無視するような奴なんてほっときゃあ良いの。そもそもお互い様なんだから友望だけ謝ってんのも変な話じゃない。いい加減気持ち切り替えないと友望が辛くなるだけだよ」
「分かってるんだけどね……」
未練がましい友望に深雪はもう苦笑いするしかなかった。
程なくして深雪はバイトがあるからと帰っていった。だが、煮え切らない友望にしびれを切らせてその場を離れたのは明白だった。
友望はまだ半分程残っているタピオカミルクティーを、近くにあったゴミ箱に乱雑に放り込むとあてもなくぶらぶらと歩きだす。
並木通りは穏やかだ。足早に歩き去るサラリーマンや買い物袋を持った主婦を横目に、友望は無意識のうちに真っ暗なスマートフォンの画面を見返していた。
「あ……」
いつの間にか通知が来ていた。慌てて表示を見ると今一番見たかった名前がそこにあった。
慌ててトーク画面を開く。
今までごめんね。今、話せる?
友望は急いで通話画面を呼び出し、電話を掛けた。アプリ専用のコール音が耳の中で鳴り続ける。
先に返信してからの方が良かったかなと不安に思い始めた頃、電話がつながった。
「もしもし」
「あ、ごめん……。いきなり掛けちゃった」
「いや、良いんだ。話したいって言ったのはこっちだから」
ずっと待ち望んでいた声が聞けたのに、ギクシャクとした雰囲気が色濃く残っている。
「あのさ……」
「うん……」
「今度の土曜日、会える?」
「え……大丈夫だけど……」
「有難う。じゃあ、古藤ハーブ園の噴水公園に十一時で」
「え……」
もう通話は途切れていた。スマートフォンを握り締めながら、友望は恐れていた事態が現実になってしまったのではないかと言い知れぬ不安を覚えていた。




