二
古藤ハーブ園は山間部に位置しながらも、最寄り駅から直通のモノレールやロープウェーがあることと、周辺の大学と提携して学生インターンやアルバイトを積極的に取り入れていることから、多くの学生で賑わう場所である。また、会議室エリアもあり、ここでアロマセラピーやハーブクッキー教室などの各種セミナーや教室が開かれるので、年代問わず女性陣からの人気も高い。
その会議室エリアの横に位置するレストランで、友望はチーズケーキを食べながらぼんやりと窓の外を眺めている。
待ち合わせの時間からもう三十分が過ぎるというのに、男からは何の連絡もない。連絡が来ているか確認するついでに開くネットニュースは、人身事故の影響で電車が遅延、もしくは運転取り止めになっているという内容ばかりで、暗い気持ちに拍車をかける。
電車が遅れようと止まろうと、連絡はあるはずである。それが無いという事は、つまりすっぽかされたということである。
テニスサークルの大学交流戦が終わった打ち上げで彼と出会ったのが一昨日のことだった。二人とも出身地方が同じで学年も一緒ということで、自然と話が弾んだ。軟派な男は好きじゃなかったが、気遣いやさり気ないアプローチに心惹かれる自分もいて、誘われるままに連絡先を交換し、今度の土曜日は空いているかと聞かれた時には考える間もなく空いていると即答していた。
今日の為に、服装にはいつも以上に念を入れた。化粧も親友が見れば気合が入っていることが分かっただろう。
近くのテーブルではカップルがはにかみながら思い思いの料理を口にしている。
初デートは今日になるはずだった。
「ホテルに連れて行かれた訳でも無いし、まあいっか」
そんな慰めが頭の中を駆け巡る。別に酷い目に遭ったわけではないが、何の音沙汰も無く独りでカップルだらけの場所に取り残されるのも精神的に辛いものがある。
結局のところ、自分に見る目が無かっただけなのだろう。それだけのことだ。友望はメニューを手に取ると、ビーフシチューとバケットを注文した。こうなれば色気より食い気である。
窓の外では、山々の裾野に若葉の新緑が映えている。その向こう側に普段自分がいる街並みがあり、奥には海が広がっている。春の陽気が目に眩しい。
夜景も綺麗だが、青空の下で活気が溢れている様子も目に優しい。ありふれた日常にある幸せが今更ながらに実感出来る。
「お待たせしました。ビーフシチューでございます」
ウェイトレスが持って来た料理を口に運びながら、友望は彼女も学生なのだろうかと、ふと考えた。約束をすっぽかされるのと休日にアルバイトするのと、どっちが嫌だろう。
そんなことを考えながらビーフシチューを口に運ぶ。じっくりと煮込まれた野菜と肉が舌の上で蕩けていく。バケットはサクサクとした食感があり、その適度な歯ごたえが食事を味わっていることを思い出させてくれる。
最初こそ上品に食べることを心掛けていたが、余りの美味しさに友望はマナーに対して少し目をつむることにした。バケットを少し大きめにちぎると、ビーフシチューにたっぷり浸す。
少しだけ周りからの視線が気になったが、リア充だらけの場所で一人きりにされた段階でそれ以上失うものは何も無かった友望は、文字通り恥も外聞もかなぐり捨てて、自身の食欲を満たすことだけに集中した。
(これじゃ、すっぽかされるかあ)
ふと思ったのは、ビーフシチューの皿の底が見え始めた時である。
ある程度お腹が満たされてくると、頭も冷静になる。色気より食い気と思って行動したものの、こんなところを独り身の男性が見たら彼女にしたいと思うだろうか。
「だからダメなんだろうな」
別に思い当たることがある程の経験はしていないが、だからこそ自分でも気付いていないところで相手を幻滅させる何かをしていたのかもしれない。
そんなマイナス思考が強まり出した時、入り口のドアが大きな音を立てて開き、誰かが駆け込んでくるのが聞こえた。近くにいたウェイトレスが驚きながらも「お連れ様でしょうか」と尋ねている。
その闖入者は息が荒いせいもあってか彼女に答えることなく、矢継ぎ早に店内を見渡していたが、すぐに友望の姿を見つけると最初の勢い以上のスピードで駆け寄って来た。
「ごめん、スマホの充電が切れちゃって……。本当にごめん」
季節に似合わない汗を浮かべながら、男は友望を見つめた。
「電車が止まってたんだけど、それを伝えられなくて……。言い訳にしかならないよね。かなり待たせちゃってごめんね」
怒りたい気持ちもあったけれど、必死に謝る姿を見せられたら何も言えないよ。
「でも、待っててくれたんだ。ありがとう」
「……別に待ってたわけじゃないけど。料理が来たから食べてただけ」
それでもやっぱり憎まれ口は叩きたくて。約束をすっぽかされたって考えてた自分にも少し腹が立つからこそ、それを隠したい。
「そうだよね、ごめんね。もしチャンスを貰えるならこの埋め合わせをしたいんだけれど、ダメかな?」
男は縋る様な目で友望を見ていたが、すぐに姿勢を正すとばつの悪そうな表情で卓上の伝票を取った。
「ごめん、虫が良すぎたよね。折角の土曜日を台無しにしちゃってごめんね。お詫びにもならないけど、これくらいはさせてね」
そう言って入口の前のレジに向かおうとする男を、友望は慌てて呼び止めた。
「もういいから、早く座って」
「え?」
「奢りなんでしょ。デザートとかドリンクとかまだ頼んでない」
友望は照れ隠しに窓の外を見やりながら、最初に食べたチーズケーキのおかわりに思いを馳せつつ、初めてのデートに心躍らせていた。
良かった。来てくれたんだ。
ふと、自分の手元を見るとバケットの欠片や浸した時に付いたであろうビーフシチューで汚れていた。
慌てておしぼりで手元を拭うが、後の祭りである。よりによって恥ずかしいところを見せてしまったと後悔の念が押し寄せてきたが、見ると相手は相手でばつが悪そうにハンドタオルを額に当てているところだった。
「食事中なのに見苦しくてごめんね」
気まずそうに額の汗を拭うそのハンドタオルはしっかりと広げられていた。
「私も恥ずかしいところ見せちゃって……ごめん」
そう言いながら、友望はそっと浸していたバケットを皿に戻した。
やがて、どちらともなく笑いだすと、照れくさそうにお互いを見やった。
青空の向こうに、白く長い飛行機雲が軽やかに伸びている。
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「マスターって、すごくウブだったんですね」
「ロマンチックだわ」
「馬鹿言ってんじゃないの」
まるで自分のことの様に口元を緩める二人の姿に苦笑しつつ、マスターはサングリアを傾けた。
「でも、幽霊の話はどこにいったんですか」
和葉が瞳をキラキラさせながら問い掛ける。その様子をジト目で見つつ彩夏はカップに紅茶のお替わりを注いだ。
「まあ、もっとマスターののろけ話を聞きたいんですけどね」
相変わらずニヤニヤしながら和葉がマスターを見つめるが、マスターは軽く微笑むと
「続きはまたね」
と、口元に人差し指を添えた。




