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「お疲れ様でしたー」


 間延びした挨拶が廊下の奥に吸い込まれていく。

 雨は少し強まったようだ。窓に当たる雫が大粒になっていっては、次の大きな粒に押しつぶされていく。


「うわー、全然やまないね」


 傘を持ってきていないのだろう。理香子が肩を落としながら呟く。


「彩夏さん。マジでシャレになんないんで、傘貸してもらってもいいっすか?」

「何でヤンキーっぽい敬語になんの。後、困った時のさん付けは無し」

「まあまあ、そう固いこと言わずに……ね?」


 何故か、しな垂れかかる様に理香子は彩夏にすり寄る。そんな理香子を軽くかわすと、彩夏は和葉の方へ振り向いた。


「あなたも早く帰りなさいな。でないとずぶ濡れになっちゃうわよ」


 和葉は曖昧に笑うと理香子を見やった。彩夏に避けられた理香子はふてくされた様子も無く、そのまま呑気にスナック菓子をつまんでいる。


「そうだよー。ということで、一緒に帰ろうか」

「すみません。まだレポートが片付いてないんで、もう少し残っていきます」

「真面目だなー。雨の日くらいのんびりすれば良いのに」

「あんたはもう少しシャキッとしなさいな」

「はいはーい。……これだから優等生は困るんだよなー」

「何か言った?」

「言ったかもねー」


 理香子は笑いながら、傘立てに入れられている誰のものでもないビニール傘を取り出すと、二人に手を振りながら帰っていった。


「理香子先輩って、何だか不思議な人ですよね……」

「まあ、副会長だからね。あれくらいマイペースじゃないとやってられないわ」

「そんなもんなんですか……」

「そんなもんよ」


 彩夏は軽く微笑むと、改まって和葉の方に向き直った。


「それで、レポートの話は嘘なんでしょ?」

「はい」

「すがすがしいまでに潔いわね」

「会長には嘘とか通用しませんからね」


 そう言いながら軽く舌を出す和葉を呆れた様に見つめると、彩夏は窓枠に寄り掛かった。


「それで、何を聞きたいの?」

「全てですね」

「また抽象的ね」

「いや、実際の話そう聞くしかないって言うか……。うーん、本当に全てって感じなんですけどね」

「じゃあ、今一番知りたいことを聞きなさいな」

「じゃあ……。結局、あの子は誰だったんですか?関わりが無かった他のメンバーならともかく、向かい合って喋ってた理香子先輩ですら思い出せないなんて、普通はあり得ないことだと思うんです。会長は何か気付いてるんですよね?」


 和葉の問い掛けに彩夏はすぐに答えなかった。しばらくの間、窓の向こうに広がる大きな雨雲を見つめると、そのままポツリと呟いた。


「生きている子では無いわね」


 その時、自身の左後ろを何かが通った気配がしたように思えて、和葉は思わず振り向いた。しかし、そこには何もおらず、いつもの見慣れた部室の風景が広がるだけだった。

 彩夏の方に向き直った和葉は、彼女の表情が心なしか沈んでいることに気付いた。


「会長……」

「うん。もう、いないよ」


 彩夏は溜息をつくと、そのまま目を閉じた。

 窓ガラスに映る彼女の苦悶に満ちた表情は、向こう側を伝う雨粒に彩られていく。


「この前の食堂での話を覚えてる?理香子が女の子って言ってた話」

「あ、はい。覚えてます」

「その時、涼音が自分には男の子に見えたって話をしてたでしょ?」

「そうでした」


 また溜息をつく。


「でもね、そんなことって普通はあり得ない。男か女かすら記憶に留まっていないなんて」


 和葉は彩夏の言葉に隠された想いに気付き、思わず視線を逸らした。


「影が薄いだけなら良いなって思ってたの。そうだったら実体があるから。それならここに居場所を見つけられるだろうから。でもね、あの理香子がその子のことを覚えていなかった段階で、それは叶わないことなんだって気付かざるを得なかった」


 誰に対しても分け隔てなく接する理香子はオカルト研究会のムードメーカーの一人だった。ただ、それがオカルト研究会の副会長の務めの一つであることに和葉は薄々気付いていた。自他共に認める変わり者の彩夏には決して出来ない形で理香子はオカルト研究会のメンバー達に接している。そこまで彼女が気を回すのは、彩夏の親友だからこそであり、彩夏の想いを応援したいからだ。


 オカルト研究会は、居場所のない人が集まれる場所だった。


 心霊や超常現象を信じているというだけで奇異の目で見られることがある。何を信じ、何に憧れるかはその人の自由のはずなのに、オカルトというだけで気味悪く見られることに居心地の悪さを覚える人は多い。また、読書やゲームといったインドアが好きな人も何故か「陰キャ」と呼ばれがちである。

 そんな風に「人の輪」に溶け込めない人達の為に作られたのが、このオカルト研究会なのである。傍から見れば陰キャの集団なのかもしれないが、ここにいるみんなは全員、キラキラとしていて、眩しい。

 この場所を大切にしたいと想う彩夏は、だからこそ心霊関係のことに難色を示していた。そういうことに興味を持つ大学生が必ず辿り着く結論が、心霊スポットへの「突撃」である。幽霊が実在するならするで、突撃されて良い気分にはならないはずだし、幽霊の実在関係無く、心霊スポットと呼ばれる場所は安全面に不安が残る。廃墟や誰も使わなくなったトンネルはいつ崩れるか分からないし、落書きを残すような不良集団に絡まれる危険もある。そしてそういったことに巻き込まれることで、オカルト研究会そのものが責任を問われ、取り潰しになることを彩夏は恐れていた。

 そんな彩夏に一番寄り添っている理香子が、オカルト研究会に関わった人達を覚えていないことなんてあり得ない。そこに気付いたからこそ、彩夏は寂し気だったのだ。


「ここがみんなの居場所になればって思ってたのに。まさか生きてない人が来るとはね」


 ままならないなあ。と呟く彩夏の表情は儚げだった。


「さっき、机に躓いていたのにも意味があったんですね」


 彩夏は頷いた。


「あの紙コップはある種、お供えの様な状態になってたからね。それだけで良くないのに、奏恵がそれを飲みそうになってたから」

「でも紙コップを置いたのは……?」

「さあね。部室にいた誰かかも知れないし、その子自身が置いたのかも知れない。でも、何となくだけど誰かに働き掛けて用意してもらったんじゃないかしら」


 自分にも気付いて欲しいから。


「彼女は浮遊霊だったんですか?」


 彼女と勝手に言葉が出て、和葉は少し驚いた。だが、幽霊に唯一真正面から接していた理香子の印象が自分の中に残っていたことを考えると、それは自然なことだった。


「そうね。でも、ほとんど消えかかってた」

「今は……」

「いるべき場所に帰ったんじゃないかな。生きている子じゃないって言った時にハッとした顔をしてたから」


 和葉は再び後ろを振り返った。そこには確かに自分の居場所があった。そしてそれは、彩夏の居場所でもあり、他のメンバーの居場所でもある。

 でも、そこに「彼女」の居場所は無い。

 正体に気付いてから、彩夏はずっと「彼女」を見ていたのだろう。だからこそ、憂いを帯びた表情が重なり続いたのだ。

 和葉は彩夏の横にそっと並ぶと、同じ様に窓の外を眺めた。目に映るもの全てが霞んで見えた。


「会長。オカルト研究会は大切な場所です。私にとっても、皆にとっても。今回の件で、それを強く認識出来ました」

「改まってどうしたのよ」

「この場所がかけがえのないところだって、お墨付きをもらった気がしてます。その子には悪いんですけど」


 彩夏が黙り込む。そして和葉も何も言わなかった。

 決して交わることのない生者と死者の境界線。だからこそ、オカルト研究会に姿を見せた「彼女」に何か大切な事を気付かされた気がした。例えそれが、ほんの一瞬の出来事であったとしても。そしてこの世界では決して相容れない存在同士であったとしても。

 窓にぶつかる雨粒はほとんど少なくなってきた。ガラス越しに聞こえる雨音も心なしか小さくなり、景色の奥に広がる街並みに覆い被さる灰色の雲も切れ間が見えるようになってきた。


「さっきの小雨坊の話ですけど」

「え?」

「私はまだ何処かにいると思います」


 彩夏は黙っていたが、息を吞んだのは分かった。だからこそ、和葉は敢えて彼女の方を振り向かないまま、窓の外を見つめたまま言葉を繋いだ。


「月日が流れようと、風景が変わろうと、残るものは残るし、残らないものは残らない。居場所ってそういうものなんじゃないかなって……。だからこそ、まだ何処かにいるって信じたいんです」

「和葉……。あなたって子は本当に……」


 雨足はもう弱まり出していた。窓の外では、カップルと思しき学生達が鞄で頭をかばいつつ、笑いながら駅の方へ走って行く。


次回から新章です。

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