四
朝から降り続く雨は止む気配を見せなかった。
彩夏はうんざりとした面持ちで窓の外を眺めている。手元に置かれたタンブラーからハーブティー特有の爽やかな香りが立ち込めていた。
「雨ね」
「そうですね」
「止まないわね」
「止みませんね」
「今日はもうこれ以上誰も来ないかしら」
「来ないと思います。六限が終わってかなり時間が経ちますし」
和葉は小さなペットボトルを口元に運ぶ。構内にあるコンビニで買ったホットハチミツジンジャーはまだまだ温かい。
前回程では無いものの、今日の部室も人が多い。先ず間違いなくサボると思われていた理香子ですら顔を出していた。
「はい、一抜け~」
もっとも、部室の真ん中でトランプをしているので、サボっていると言われても仕方ない状態ではあった。
「全く、呑気な副会長だこと」
彩夏が溜息をつくと、理香子がニヤニヤしながら彩夏の方を見た。
「そんなこと言って、本当はやりたいんでしょ?」
「別に」
「まあまあ、彩夏さん。そう片意地張らずに一緒にやろうよ」
「全く……」
何となく片付かない表情を浮かべつつも、理香子に誘われるがまま彩夏はトランプの輪の中に入っていった。
その様子を眺めながら、ホットハチミツジンジャーを飲んでいると涼音が声を掛けてきた。
「ねえ、和葉。その子を知ってる人、まだ見つからないの?」
「どうだろう。この前来てたメンバーは大体揃ってるんだけど……。みんな、心当たりが無いんだよね」
「そっか。後、誰が来てないの?」
「田崎と奏恵くらいかな」
「え?あいつら何やってんだろ。遅いなあ」
「まあ、オセロしてるあんたが言うことでもないけどね」
「え?」
涼音が間延びした声を出す。彼女の向かいでは菫が真剣な顔で盤上を見つめている。
「すみれっち、そんな風に悩まなくても角取っちゃえば良いじゃない。そこ、取れるんだから」
「あ、ダメなのよ。角は一つまでってハンデもらってるから」
「何という先輩だ」
涼音に呆れ返りながらも盤上を見てみると、そのハンデでも足りないくらい涼音のオセロの腕前が壊滅的なのが一目で伝わってくる。
このままだと余りにも可哀想なので、涼音からコマをひったくると和葉はある場所に打ち込んだ。
「あ、和葉先輩。そこは困りますよ……」
菫が悲し気に首を振る。だが、依然として彼女の優勢に変わりは無かった。
「そうよ!私達は真剣なんだからね」
「いや、それならハンデなんてもらうなよ」
和葉は思わずツッコんだ。
雨の音は少しずつ強まり、それに比例して窓の外の風景も暗くなっている。
帰る頃には止んでいて欲しいなと物思いに耽っていると、博史と奏恵が部室に入って来た。
「お疲れ様ですー」
ほのぼのとした挨拶が部室に響く。和葉は軽く手を振って呼び掛けた。涼音もオセロを中断してこっちにやって来る。
「ねえ、奏恵!この前、誰か一見さん連れてきた?」
「いや、連れて来てないよ?」
「え……。じゃあ、誰も紹介してなかったの?」
「いや、俺にも聞けよ!」
「じゃあ聞くけど、あんた誰か連れて来てた?」
涼音が聞いた。
「いや……」
「ほらな!分かってんだからね」
「うるせえよ!」
「まあまあ、二人とも……」
涼音と博史達のほのぼのとしたやり取りを聞きながらも、和葉は何とも言えない気味悪さを感じた。
誰も全く知らない人が部室に紛れ込んでいたのである。それだけでなく、そのことを誰も覚えていないのが薄気味悪い。先日の理香子と涼音の認識のずれも相まって、不気味な感覚が際立っていた。
「和葉。ちょっと」
振り返ると、いつの間にか窓際の席に戻っていた彩夏が手を振っている。どうやらトランプはお気に召さなかった様である。先程の気味悪さを断ち切るかの様に和葉は急いで彩夏の元に向かった。
「どうしました?」
「この前の子のことは一旦忘れなさいな」
ドキリとした感覚を覚えた和葉は、驚いて彩夏を見やる。
「心配しなくともその内来るだろうから、今はゆっくりと雨の音でも聞いていましょう」
「え?それって……」
彩夏は軽く微笑むと、窓の外を眺め始めた。和葉はまだ何が何だかといった気分だったが、取り敢えず彩夏に従うことにした。
雨足は強まることなく、かといって弱まることもなく、眼下に広がる全てを静かに濡らし続けている。
「そう言えば、和葉は小雨坊って妖怪を知ってる?」
「いえ、知らないです」
彩夏がお化け絡みの話を自分からするなんて珍しいと思いつつ、和葉は首を横に振った。
「小雨坊は、雨が降っている時に出て来るらしいんだけど、お坊さんの姿をしているそうよ」
「そうなんですか」
「時代劇の小説のタイトルにも使われたことがあるんだけどね、多分知らないわよね?」
「はい、知らないです」
「まあ、私もたまたまその小説を読んだ時に知ったくらいなんだけど」
彩夏は軽く微笑むと、一瞬和葉を見やり、また視線を外に戻した。何故か和葉は、その時の彩夏の眼差しが寂しげである様に感じた。
「今の時代、小雨坊はいるのかしら」
「え?」
「時代が進むにつれて、かつての原風景はほとんど姿形を残していない。そこで見られていた妖怪達は何処に行ったのかしらね」
独り言にも聞こえる彩夏の問い掛けは和葉の中に深く残った。
「少なくとも、この辺りに小雨坊はいないわね。山にいたらしいから」
「会ってみたい様な、会いたくない様な不思議な感覚です」
「へえ、和葉は会いたいの一択だと思ってた」
「私でも怖いものは怖いですよ」
よく、駅前などで僧侶が立っているが、和葉はそんな彼らがどうも苦手だった。何故か見かける僧侶が皆、笠を被っていたので、素顔が簡単に見えないところに軽い抵抗感があったのだ。
「まあ、出来れば私も会いたくないかもね」
彩夏が軽く笑う。
雨を纏った風が窓を叩く。
「あれ、この紙コップって誰の?」
奏恵が素っ頓狂な声を上げた。
驚いた和葉が振り返ると、長机の角付近にりんごジュースが入った紙コップが置かれている。
「知らなーい」
「俺のでもねえな」
近くにいた涼音と博史が答える。他のメンバー達も覚えが無いようだった。
「誰のでも無いならもらうよ?」
奏恵が手を伸ばした時、立ち上がろうとした彩夏がよろめいて机にぶつかった。紙コップやお菓子の入った紙皿が辺りに散らばる。
「大丈夫ですか?」
「ごめんね。躓いちゃった」
慌てて駆け寄った和葉と奏恵に、彩夏が恥ずかしそうに笑いながら謝る。
「ああ、せっかくのお菓子が台無しじゃない」
理香子がやって来ると、床に散らばったお菓子や紙皿を拾い集める。
「あ、包装してあったらセーフだよね」
「セーフですよ、セーフ」
チョコレートをポケットに入れる理香子に相槌を打ちながら奏恵はクッキーを数個はハンドバッグに滑り込ませている。
「何と食い意地の張った二人なんだ……」
他のメンバー達が呆気に取られている中、和葉は彩夏に目を向けた。
そこにいた彼女は、決して何事もなかったかのような取り繕いをしていなかった。ただ、どこか寂し気に微笑んでいた。




