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オカルト研究会の有閑な日常  作者: 賀来文彰
幻燈の中の抱擁~オカルト研究会元会員の備忘録より~
13/73

 窓の外からは、どこかで練習しているのかトランペットの音色が聞こえていた。遥さんは悲しげに俯くと私の隣の席に静かに座った。


「和葉。お茶をお願い」


 遥さんと正対するように隣に移った会長がそっと私に言った。

 遥さんと会長に紙コップに入れたレモンティーを差し出すと、私はさっきまで会長が座っていた席に座った。


「いつからあそこにいらっしゃったんですか?」


 会長がそっと問い掛けた。


「移ろい雪伝説の記録を見ていたところから」


 遥さんはアイスティーを一口飲むと、こちらを見やった。


「本当はもっと前に来てたんだけど、廊下まで来た時に二人が何か言い争ってるような声が聞こえたから、落ち着くまで外で待っていたの」


 この前に会った時とは打って変わって、遥さんの声や態度には生気が無かった。繰り出される言葉の一つ一つが空虚で抑揚が無かった。まるで機械音声かのような一本調子だった。


「落ち着いた感じだったから、そっと開けてみたらあなたたちが記録を見返しているのが分かって。そのまま入っても良かったけれど、入れなかったの」

――幻覚にしたって幻想にしたってね、それを自身の眼に映し出すことには何かれっきとした理由があるはずなの。その理由を何としても見つけ出さなければならないわ。

――それを明らかにしないことには遥さんと向き合えないし、遥さんも自身の依頼の調査結果に対して向き合えない。

 遥さんは無意識の内に封じ込めていた聞きたくないものを聞いてしまったのだ。


「そうでしたか」


 会長は一瞬目を伏せると、すぐに遥さんに向き直った。


「遥さん。単刀直入に伺います。あなたはいつ、どこで見たんですか?」

「知らない」

「あの日、和葉が質問した時に遥さんは答えましたよね。その様子を見た人から話を聞いたって。その人とは遥さん自身のことではありませんか?」

「知らない」

「以前に流行った噂が何故今になって復活したのか。その理由は遥さんがこちらに戻られたからではありませんか?」

「知らない」

「ただ復活するだけじゃなくその内容に変化が生じた理由は、今の季節と関係しているのではありませんか?」

「知らないって言ってるでしょう」

「今回の件ですが、噂だったとは思えません。だからといって本当の心霊現象だと断ずることもできません。私に言えるのはこれがかつて広まった噂の新たなバージョンではないということだけです。しかし、あなたは見た。見てしまったからこそ、その調査を私たちに依頼した」

「……。」

「私は遥さんが納得できる答えをお伝えすることはできます。望む答えをお伝えすることもできます。ですが、遥さんが見てしまったものを変えることはできません。教えてください、遥さん。あなたは誰を目にしたんですか?」


――そもそも実際に子どもの幽霊を見たのか、見たという自分自身の経験を信じているのか。それを明らかにしないことには遥さんと向き合えないし、遥さんも自身の依頼の調査結果に対して向き合えない。

 会長の言葉が脳裏に響いてくる。会長は必死に向き合おうとしていた。しかし遥さんは壊れてしまったロボットのようにただ俯いたままじっとしていた。


「言いたくないなら別に構いません。私もこれ以上聞くつもりはありません。お望みなら遥さんが聞きたいと思う結果を伝えます」


 遥さんは答えなかった。会長はほんの少しだけ息を吸い込むとこう言った。


「新たな噂なんて何一つありません。遥さんが見たものはただの見間違いです」

「違う!」


 突如、遥さんが叫んだ。その声は苦痛に苛まされていた。


「見間違いなんかじゃない!あの子は…あの子は……」

「遼太君だったんですね」


 会長が静かに結んだ。遥さんはがっくりと肩を落とすとそのまま動かなくなった。しかし、徐々に両肩が上がり、震え始めた。息遣いが少しずつ大きくなり、荒くなっていった。


「ここから先は私の独り言です」


 会長はそう呟くと闇に包まれた窓の外を見やった。


「全てのことの発端は十年前の事故にあると考えています。そこである女性は大きな喪失を経験しました。近隣の住民は同情的な振る舞いを見せていましたが、ある時憐れみに満ちた井戸端会議を聞いたせいで、その女性は悲しみに彩られたこの地を去る決意をしました。でも大切な思い出の詰まった家を手放すことはできなかった。その女性はその家の家賃を払い続けることにしました」


 事故現場の近くで会長が女性と話し込んでいた様子を思い出し、その時の話の内容に思いを巡らせた。恐らく、会長は遥さんの近況を聞いていたのだろう。


「それからの人生がどういうものであったかは分かりません。もしかすると悲しみは少しでも和らいだかもしれないし、続いたままだったかもしれない。いずれにせよ仕事の関係で久し振りにこっちに戻って来たその女性は思いがけない人に出会いました。しかしその人は本来ならば会うはずのない人だった」


 遥さんのむせび泣きの声が段々大きくなり始めた。私は席を立つと、隣に立って肩を軽くさすり続けた。

 会長が小さく息を吐きだした。


「事故そのものは痛ましいものですが、新聞などの記事を見る限りでは不幸な飛び出し事故の一つとして片付けられている節があります。ですが、私は思うんです。思わず駆け出したくなるような理由があったんじゃないかと」


 突然、遥さんが私に飛びつき、身体を激しく震わせ始めた。私は背中を軽く叩くことしかできなかった。

 どれくらいの時間が経ったかは分からなかったが、泣き声が小さくなり始めた。しばらくしてから大きく息を数回吸い込むと、遥さんは顔を上げた。その表情は完全にとまでは言わないものの、以前に会った時の表情に近いものだった。


「私、遼太と話せなかったの」


 ぽつりと呟くその声には微弱ながらも感情が宿っていた。


「こっちに戻ることになっても、どうしてもあの交差点は通れなかった。だからいつも遠回りして非常口の方から出入りしていたの。そこからなら交差点や公園を見ずに済んだから」

「そうらしいですね」


 この話も近所の住人から聞いていたのだろう。何年経っても無くならない噂話というものは確かにある。その理由は噂好きの人間がいるからだ。同情であれ憐れみであれ、それは究極的には噂話をする大義名分に過ぎないのだろう。


「でも、その日はたまたま非常口の鍵が壊れた関係で夕方からずっと使えなかった。仕方ないから表玄関に回り込もうとした私はあの交差点で男の子が辺りを見回しているのに気付いたの」

「男の子は遥さんに気付きましたか?」

「ええ。危ないよって声を掛けたから。でも、よくよく考えたら真夜中だったの。そんな時間におかしいと思ってたら向こうがこっちに走って来て、つい家に逃げ込んじゃったの」


 遥さんが溜息をついた。


「その時は思わず驚いたんだけど、後で落ち着いて思い返してみたらあの子は間違いなく遼太だった」

「話してくださってありがとうございます。遥さん」


 会長はそっと立ち上がると遥さんの隣に座った。


「一つ聞きたいことがあります。遼太君に移ろい雪伝説のことを話したことはありますか?」

「移ろい雪伝説?」


 思わず聞き返してしまったが、会長や遥さんは気にしていない様子だった。


「ええ、よく話していたけど……まさか」

「今の季節は晩春にあたります。移ろい雪伝説の真偽はともかくとして、遥さんに会おうと思ったら今の季節しかありません」

「そっか……。じゃあ、もう会えないわね」


 寂しげに笑う遥さんが気の毒で思わず涙が溢れてきたが、決して零すことの無いように細心の注意を払っていた。同情や憐れみに苦しんできた人の前でそれは決して見せてはならないものだった。


「遥さん」

「何?」

「もし良かったら、これから少しお時間を頂けませんか?」

「え?」

「一緒に来て欲しいことがあるんです」


 意図が見えず、思わず会長を見やると遥さんが会長に言った。


「ごめん。そんな気分になれない」

「お気持ちは分かります。でもこればかりはどうしても遥さんが必要なんです」

「ちょっと、会長」


 あまりの強引さを咎めると会長がこちらに目配せしてきた。


「どうかお願い致します」


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