第 2 章 生存と暮らし (02)
「ん……」
どれくらい眠っていたのだろう。
ここ数日、少し緊張が緩んできたせいだろうか。
眠っている時間が長くなった気がする。
周囲は暗かったが、外はまだ夜ではない時間帯のはずだ。
箱やさまざまな資材を使い、スーパーの隅に空間を確保して完全に囲った。
中から外の様子は確認できるが、外からは中が見えないようにしてある。
それほど離れていない場所にトイレもある。
排水設備は完全には詰まっていないようで、それだけでも助かった。
当然、水道は出ない。
最初は水が流れたので期待したが、配管に残っていた水を使い切るとすぐに止まった。
冷蔵品のコーナーにはミネラルウォーターが山のように積まれている。
今のところ飲み水を心配する必要はなさそうだ。
簡単に顔を洗い、バーナーに鍋を載せて湯を沸かした。
今日の朝食はラーメンとゆで卵にするつもりだ。
卵の賞味期限はそれほど長くないはずだが、この気温ならすぐに傷む心配はない。
とはいえ安心して放置するわけにもいかない。
保存期間の短い食品からできるだけ早く消費し、長くもつものは残しておく必要がある。
「…………」
ラーメンを食べながら、周囲を見回した。
最初にスーパーへ入ったときとは、ずいぶん雰囲気が変わっている。
中へ入ってから物資を整理し、バリケードを作り、外から店内が見えないようにさまざまな物を移動させたからだ。
ここに滞在して、三日ほどになる。
スマートフォンの電源を入れた。
時刻は午前三時を示しているが、外は午前か午後だと思われる明るさだ。
録音フォルダを開き、記録ファイルを再生した。
『この奇妙な森へ飛ばされてから、もう一か月ほど経ったと思う』
スマートフォンから聞こえてくる声が、なぜか自分のものではないように感じる。
『巨大な滝の見える地域から、およそ三キロから五キロほどだと思われる範囲を川沿いに移動している途中で、今いる雪原へ入れるルートを発見した。
まるで別の次元に踏み込んだように、少し走っただけで吹雪が舞い、気温が急激に下がる土地だった』
録音された自分の声を聞きながらも、目は入口のほうを確認していた。
入口は完全に覆っているため何かが見えるわけではない。
それでも上部の換気窓から差し込む光で、今が夜ではないことだけは分かった。
『このままここに居続けるのは危険だ』
スマートフォンから流れる自分の声を聞きながら、もう一度周囲へ目を向ける。
ここでこのまま暮らすと仮定すれば、一年――いや、できるだけ節約すれば二年くらいは耐えられるかもしれない。
この状態がずっと続くなら、の話だが……。
スマートフォンで時刻と録音内容を確認し、再び床に置いた。
普段ならバッテリーを温存するため電源を切るところだが、ここにはモバイルバッテリーまで大量にある。
手帳を開く。
残っているページは、もうそれほど多くない。
新しい記録用の手帳を用意する必要がありそうだ。
そしてここを出て、新しい地域と、安全な拠点になりそうな場所を探す。
それが次の目標になるだろう。
録音ファイルは途中で止めていたため、その先の声は流れてこない。
だが、スーパーの食料を消費しながら、ただ時間を過ごすのは決していい考えではない。
雪原のスーパーと周辺の店を調べてみたが、やはり生きている人間も、誰かがいたような痕跡も見つからなかった。
まるで、生き物だけが消え去り、すべてがそのまま残されたような感覚だった。
記録を残しながら、地震による避難の可能性も考えた。
俺自身、地震の避難訓練を受けたことはある。
もしかすると、それが最も答えに近いのかもしれない。
俺がいたキャンプ場と、この商業地域はかなり離れている。
時間差で地震が発生し、店にいた人たちは避難所へ逃げた。
そのあとで、この一帯も次元移動した……。
まだ雪原全体を探索したわけではないが、避難所があった場所までの距離は決して近くない。
吹雪が荒れ狂う土地では、農業どころか何かを探すことさえ難しい。
俺がこれまで訪れたどの地域でも、生き物を見たことがない。
水の中に魚もいなければ、虫さえ見かけなかった。
いったい、ここはどんな場所なのだろう?
そして、あの巨大な樹はいったい何だというのだろう?
ここの物資を置いていくのは惜しい。
だが、ここに隠れ、残された物資だけに頼って生きていくつもりはない。
自分で物資を生み出すこともせず、残っているものだけを頼りに何もしなければ、何か非常事態が起きたとき致命的になる。
それでも……。
「ふう……」
小さく息を吐いた。
この場所をそのまま捨てて、別のところへ行くのも簡単な選択ではない。
なら、方法は一つだ。
雪原にあるスーパーと店の一帯を、自分だけの秘密の拠点にする。
そして別に、農業のできる新しい拠点を作る。
スーパーの物資は、ほとんど冷凍保存されているようなものだ。
数か月のうちにすべて傷んでしまう心配はないだろう。
まずは雪原へ入ってきた入口周辺を徹底的に記録し、再びここへ戻ってこられるルートを確認する。
それが最優先だ。
数日間、スーパーの入口付近から外の様子を観察し続けたが、何かが近づいてきたり、周囲をうろついたりすることはなかった。
聞こえるのは、吹雪と風の音だけ。
動くなら、まだ明るい今だ。
万一に備えて缶詰や飲み物をできるだけリュックに詰め、スマートフォンの予備バッテリーと簡易充電器も持った。
そしてスーパーの入口へ向かう。
入口は塞いであるが、箱をいくつか動かせばすぐ外へ出られるようにしてある。
箱をずらすと、入口から光が差し込み始めた。
鍵を外し、扉を少し開ける。
すぐに冷たい風が入り込んできた。
周囲を確認したが、何かが見えたり、気配を感じたりすることはない。
冬用のジャケットとズボンを着込んでいるため、寒さは以前ほどではなかった。
周囲を警戒しながら、雪原へ入ってきた場所へ向かって歩き始める。
もし二度とここへ戻れなくなった場合に備え、必要なものはできるだけ持ってきた。
食料だけではない。
農業生活に使えそうな物資も含まれている。
道具や工具、そしてさまざまな作物の種だ。
最初は必死に走ってきた道だったが、今は周囲を確認しながらゆっくり歩いている。
店の建物から離れるほど、吹雪が強くなっていくのがはっきり分かる。
まるで店のある一帯が台風の目で、今いる場所はその周囲を取り巻く暴風の中にいるようだった。
足を止め、反射的に周囲を見回した。
違和感……。
突然、周囲に霧が立ちこめ、視界がぼやけ始める。
まるで、それまで歩いていた道が途中で途切れたような感覚。
手帳を取り出して地形の特徴や形を記録し、スマートフォンでも周囲をすべて撮影した。
そして慎重に、霧の中へ足を踏み入れた。
今回も喜ぶべきなのか、それとも悲しむべきなのだろうか。
霧を抜けた先にあったのは、雪原へ入る前にいた、あの巨大な滝の見える場所だった。
防寒のために着ていたジャケットが暑く、重く感じられるほど、暖かく爽やかな気候だった。
遠くには巨大な滝が、その威容を見せつけている。
スマートフォンでもう一度周辺を撮影し、記録を残したあと、雪原へ戻るルートを歩き始めた。
正確に二十八歩。
距離にすれば、およそ四十メートル。
歩いて戻ると、再び雪原へとつながっていた。
確認した限りでは、このルートは滝の見える地域と雪原を結ぶ入口のようだ。
まだ何度か確かめる必要はある。
それでも、一度入ったら二度と戻れない場所ではないことだけは分かった。
念のため……。
そう考え、もう一度滝の見える地域へ戻った。
それを何度も繰り返しているうちに、少しずつ日が傾いてきた。
最後に手帳とスマートフォンの記録を確認し、スーパーのある雪原へ戻り始める。
慣れてしまったのだろうか。
店のある場所へ帰ることが、自然に感じられる。
初日に聞いたような奇妙な声も、もう聞こえてこない。
そして、改めて確信した。
今もまだ、生き物を一匹も見ていない。
しばらくして。
慎重にスーパーの中へ入り、箱を使って入口を再び塞いだ。
店内を見回す。
「誰もいないよな……」
誰もいるはずのない場所で独り言を口にすることに、何の意味があるのだろう。
雪原全体を探索したわけではないが、少なくとも戻ってこられるルートは確保できた。
別の地域へ移動し、農業のできる場所を見つけて拠点を作ったあとも、必要な物資はここから調達できる。
予想外の事態が起きて、二度と戻れなくなる可能性もある。
あらゆる可能性を考えて行動しなければならない。
今の服装と装備では、多くの荷物を運ぶことはできない。
防寒着を脱ぎ、付着した雪を払いながら、衣類が積まれた場所へ視線を向けた。
もっと大きく、たくさんの荷物を入れられるリュックも確保しておいたほうがいい。
食料や飲み水も大切だが、農業に使える物資や道具も重要になる。
目の前に積み上げられた食料を見たせいだろうか。
急に空腹を感じた。
そういえば、半日以上まともな食事を取らず、エネルギーバーと積もった雪だけで動き回っていた。
タオルで髪を拭きながら、保存期間の短い食品が置かれている場所へ向かう。
早ければ明日。
遅くても数日以内には、ここを離れて別の地域へ移動する。
なら……。
「今日は腹いっぱい食べよう」
わずかに笑みを浮かべ、食べたいものを選び始めた。
もしかすると、これがスーパーの中で過ごす最後の夜になるかもしれない。
体は疲れているのに、なぜか眠れない。
天井を見上げても、星は見えない。
考えないようにしていても、こういうときにはどうしても浮かんでしまう。
ここはいったい、どこなんだ?
なぜ俺はここへ飛ばされてきた?
どうして俺以外の生きている人間が、一人も見つからない?
「…………」
声に出して問いかけても、答えてくれる人はいない。
もし、ここが世界のすべてで。
生きている人間が俺一人だけだとしたら?
一人でキャンプをするのも、一人だけの時間を過ごすのも好きだった。
けれど……。
それを、本当に一人だけの幸せと呼べるのだろうか。
考えたところで答えは出ない。
誰にも答えられない問題なのだろう。
寝る前にやるべきことを忘れていた。
そばに置いていたリュックから手帳とスマートフォンを取り出す。
スマートフォンのバッテリーには、まだ十分な余裕があった。
『今日の記録。〇〇年〇月〇日。
今日、雪原と滝のある地域をつなぐルートを発見した。
迷路のようなこの地域の中で、二つの場所を結ぶ入口のようなものだ。
スーパーと周辺の建物の近くでは吹雪と風が弱くなる。
反対に、そこから離れるほど吹雪は強くなり、視界を確保するのが難しくなる。
万一に備え、周辺の地形と特徴はできるだけ細かく記録した。
俺自身も、雪原へ入る入口からスーパーまでのルートを完全に覚えている。
ほかにも入口やルートがあるかどうかは分からない。
だが、おそらく別の入口もあるはずだ』
ここにある食料を消費しながら、一人で暮らし続けるのは難しい。
だが、戻ってこられるルートと入口は見つけた。
問題はない。
必要になれば、また戻ってくればいい。
頭の中を巡る、いくつもの疑問。
それを解き明かすためにも、別の地域を探索する必要がある。
そして……。
「…………」
認めたくはないが、今のように一人でいることを、いつまで心地よいと思えるのか自信がなかった。
手帳とスマートフォンを置き、寝袋を頭まで引き上げる。
今日はもう休もう。
明日からは、新しい場所を探す旅が始まるのだから。
気のせいだろうか。
今日は吹雪が少し弱くなったように感じる。
どことなく暖かい気さえした。
顔を向け、まとめておいた荷物を見回す。
雪原を移動するために用意した簡易的なそりには、かなりの荷物が積まれていた。
食料と飲み水。
薬品。
農業に使う道具や装備。
そして何より重要な、作物の種や品種。
スーパーには農業関係の商品もかなり揃っていた。
ここにある物資だけでも数年は耐えられるかもしれない。
だが、長い目で見れば、自分で作物を育てて食料を確保することが重要になる。
農業のできる広く安全な土地があるかどうかは分からない。
それでも調査と探索を続けていけば、何か答えが見つかるかもしれない。
「…………」
出発する前に、スーパーと周囲の店をしばらく眺めた。
この場所で過ごしたのは、およそ一週間。
短いようで、ずいぶん長く感じる時間だった。
いつでも戻ってこられると分かっているのに、なぜか名残惜しく、寂しい気持ちになる。
最初は不気味で怖かった場所なのに、今では長く暮らした家のようにさえ感じていた。
だが……。
もう一度、雪原の入口へ目を向ける。
今は動くときだ。
新しい安住の地を探すために。
リュックを背負い直し、そりを引きながら雪原の入口へ歩き始めた。
しばらく歩くと、滝のある地域へ続く入口が見えてきた。
もう一度だけ雪原を振り返る。
「…………」
しばらく目を閉じた。
「行こう……」
今度はもう振り返らず、前へ進んだ。
薄い霧が立ちこめ、あの独特の違和感が全身を包み込む。
しばらくして。
遠くに巨大な滝が見えていた。
戻ってきた。
手帳を取り出し、この地域の地形と特徴を書き留めた記録を確認する。
以前の計画どおり、今度は巨大な滝へ向かうルートを進むつもりだ。
これまでとは、まったく違う道を。




