第 2 章 生存と暮らし (01)
まさか……。
これは喜ぶべきなのか、それとも悲しむべきなのだろうか。
それほど遠くない先に、見慣れた建物が並んでいるのが見えた。
そこは、この見知らぬ森へ飛ばされる以前、いつも世話になっていたスーパーと、いくつかの店があった場所だった。
キャンプ場のあった一帯が移動してしまったのと同じように、あそこもこの場所へ飛ばされてきたらしい。
喜ばしいと言えば喜ばしい。
建物の外観には多少の衝撃を受けた跡があるようだが、倒壊しているものはなく、比較的原形を保っているように見える。
ということは、中には商品がそのまま残っている可能性が高い。
本来なら喜ぶべきことだ。
だが、現実はそう簡単ではなさそうだった。
今立っている場所と、スーパーや店のある一帯は同じ場所ではない。
一歩――いや、数歩踏み出しただけで、まったく別の地域へ出てしまう。
手帳を取り出し、目の前の地形と周囲の様子を細かく記録しながら、どうするべきか少し考えることにした。
どうしても行っておきたいスーパーや店のある一帯は、まるで童話の中にでも出てきそうな、真っ白で美しい景色に包まれていた。
そして、激しい吹雪。
肌を刺すような冷気と寒気。
今いる場所が春だとすれば、向こうは真冬だ。
しかも、吹雪と暴風が荒れ狂っている。
「………………」
引き返す余裕はある。
数日前に見つけた川辺のベースキャンプと、滝の見える山岳地帯には二、三人が滞在できる程度の拠点を作ってある。
いったんそこへ戻り、準備を整えてから改めて侵入を試みることもできるだろう。
だが……。
数日前に見た、あの巨大な樹。
それを中心に広がる広大な森は、まるで迷路のようだった。
一度道を見失えば、そこがどこなのかさえ分からなくなり、さまよい続けた末に力尽きてしまうだろう。
しかし、パターンを把握して移動すれば、逆に遠く離れた場所へ短時間で移動できることもある。
あの雪原も、おそらくそんな迷路の一部なのかもしれない。
だからこそ、いったん引き返したあと、同じルートを通れば再び雪原が現れるという保証はない。
遠くに見えるスーパーと店には、今の状況を打開できるだけの物資がある。
食料や飲み水だけではない。
さまざまな道具や工具まで手に入るはずだ。
何の準備もないまま雪原へ踏み込むだけの価値は、十分すぎるほどある。
だが、それだけの危険も覚悟しなければならない。
小さく息を吐いた。
胸の中にあるのは、期待と高揚、そして覚悟だった。
「うっ!!」
雪原へ足を踏み入れた瞬間、激しい吹雪が歓迎するように襲いかかってきた。
リュックに入れていた小型の防水シートを体に巻き、持っている服もできるだけ重ね着した。
それでも氷点下の空気にさらされた体から、急速に熱が奪われていく。
吹雪のせいで視界は最悪だったが、向こうの建物が完全に見えなくなるほどではない。
氷点下の寒さと吹雪も十分な脅威だ。
それ以上に、ここにはまだ何か別のものがいるのではないかという不安のほうが大きかった。
できるだけ雪の積もった場所に左手をつきながら進み始める。
吹雪の音が鋭く耳を打つ。
一歩踏み出すたびに服は雪で濡れ、同時に体温も奪われていった。
このままでは長くもたない。
一度周囲を確認し....
そのまま走り出した。
膝より上まで雪が積もっている場所も多かったが、できるだけ浅い場所を選びながら駆ける。
スーパーと店が少しずつ近づいてくる。
あと少し……。
「……!?」
背後から、何か鋭い音が聞こえた。
まるで獣が吠えたような声。
反射的に雪の積もった場所へ飛び込み、身を隠した。
できる限り頭を低くして、音のした方向を振り返る。
「…………」
激しく舞う雪と風以外、何も見えない。
かろうじて保っていた体温が急速に落ちていくのが分かった。
このまま伏せていれば、意識を失って凍死するかもしれない。
スーパーの入口までは、およそ五十メートル以内。
立ち上がって走り出す勇気は出なかった。
できるだけ姿勢を低くし、そのまま這うように進み始める。
何が襲ってくるか分からない恐怖。
このままでは凍死するかもしれないという焦り。
息は苦しくなっていったが、立って走るよりも這って進むほうが恐怖は少なかった。
どうか、この空間がそのまま続いていてほしい。
途中で別の場所へ飛ばされないことを願うしかなかった。
どれほど進んだだろう。
これまで何十回も買い物のために通った道と店が、もう目の前にあった。
入口も扉も閉まっている。
それでも確かに、すぐそこにある。
這った姿勢のまま首を動かし、周囲を確認した。
「…………」
何も見えない。
建物の間へ入り込んだためか、吹雪も少し弱まっている。
今だ!
百メートル走のスタートを切るように上体を起こし、そのまま一気に走り出した。
目標はスーパーの入口。
明かりはついていない。
人の気配もないようだ。
入口の仕切りの陰に身を隠し、もう一度周囲を確認する。
何もいないことを確かめてから、二枚あるガラス扉を慎重に開けてみた。
片方は開かない。
もう片方は――
開いた。
音を立てないよう少しずつ扉を開き、そのまま這うように中へ入った。
スーパーの中は暗かったが、構造はよく知っている。
見える範囲には、特に異常なものはなかった。
脅威がないことを確認すると入口の扉を閉め、念のため外から内部が見えないよう、箱や段ボールで入口を塞いだ。
店内は一気に真っ暗になったが、問題はない。
リュックから小さなランタンを取り出し、スイッチを入れた。
映画なら、こういう場面で怪物が飛び出してくるものだけど。
「…………」
ランタンの光に浮かび上がったのは、怪物でも幽霊でもなかった。
目の前には、どれほどあるのか見当もつかないほどの食料と飲み物、果物。
そして衣類や装備、道具や工具が並んでいた。
「はは……」
思わず笑いが漏れた。
どこなのかさえ分からない森へ来てから、今まで人どころか生き物さえ見ていない。
誰とも話せず、一人で独り言を口にしていることさえおかしく思えてくる。
周囲を見回しながらも、入口の確認は忘れなかった。
スーパーや周囲の建物のおかげで吹雪の音は小さくなっていたが、店内の温度も決して高くはない。
だが、むしろそれは好都合だった。
外の寒さのおかげで、店内の食料がそのまま保たれている可能性が高い。
どこから手をつけよう。
まずは……。
飲み物と果物が並ぶ場所へ向かった。
果物は冷凍されたように冷たく凍っている。
隣の飲料コーナーも当然冷蔵庫の電源は落ちていたが、外気の冷たさのせいで凍っているものが多いようだった。
炭酸飲料のボトルを一本手に取る。
下のほうは少し凍っているが、上のほうは中身が揺れている。
コーヒーは飲まないが、炭酸飲料は好きなほうだ。
プシュッ、と炭酸飲料特有の音が響く。
その音さえ懐かしくて、また笑みがこぼれた。
ゆっくりと味わうように口にする。
十日以上飲んでいなかった炭酸飲料は冷たかったが、あの独特の刺激が頭を目覚めさせてくれる。
気がつけば、かなりの量を一気に飲んでいた。
右側の箱にリンゴが見えた。
これから棚に並べる商品だったのだろう。
一つ手に取り、軽くかじる。
うまい……。
リンゴをかじりながら、もう一度周囲を見回した。
ここは今の俺にとって、天国も同然だった。
山のように積まれた食料と飲み物。
外の寒さに耐えられる衣類。
そして数えきれないほどの道具や工具。
ここをベースキャンプにして物資をできるだけ確保しておけば、これから先の状況にも備えられるだろう。
しかし……。
いくつもの不安が頭をよぎる。
それでも今は、久しぶりに腹いっぱい食べて、ゆっくり休めそうだった。
ただ、一つだけ気になることがある。
「…………」
どうして外にも、ここにも誰もいない?
キャンプ場にいた俺が一緒に移動してきたのなら、人が大勢いたはずのこの場所には、どうして人がいた痕跡すらないんだ?
それまで少し緩んでいた緊張が一気に戻り、反射的に身を低くして入口へ視線を向けた。
何も動かない。
変わったところもない。
今考えても答えは出ない。
まずは冷え切った体を温め、しっかり休む必要がある。
考えるのは、そのあとだ。
肩に重くのしかかっていたリュックを下ろし、どこか横になれる場所がないか探した。




