ボディチェンジ
ダンジョンの第二階層、ギルマスの裁量で立入禁止が解かれた区画。
湿った石壁が円筒状に立ち上がっている。
頭上を見上げると、はるか高くに岩盤の天井があり、そこに自然に開いた楕円の空が見える。
間欠泉の魔力バーストがときおり、ふわ、と淡い光を立ち上らせては消えた。
最大出力1500MW。
天然の竜脈が持つ魔力は、魔石とは比にならない。
レナは設計図を両手で広げていた。図面の端が、雪で少し湿っている。
「親方ー! ここ、土台、もうちょっと北にずらしたいですー!」
「……何センチだ」
「三百!」
「……結構な、何センチだな」
ヘルマンは足場の上、地響きを立てるバルトの肩に乗っている。バルトが低くぼぅ、と唸る。胸の核の青い光が岩壁に跳ね返った。
「バルト」
「ご」
「三百、ずらせ」
バルトがゆっくり姿勢を変える。胴体の油圧シリンダーがしゅう、と息を吐く。
爪先で地面のまだ何もない場所を軽く踏む。位置決めの印を軽くつけていた。
レナは設計図をぐるっと回して確認した。それから雪の上で軽く跳ねた。
「完璧です、親方ー!」
「……跳ねるな」
「そこに一本目、立てましょう!」
「……立てるぞ」
ヘルマンは面倒くさそうに、けれど止めない。
レナのコートの裾が、雪ではなく岩屑で白く汚れている。
髪は後ろにまとめて、はみ出た一房が頬に貼り付いている。耳の縁が薄く赤い。寒いはずなのに、寒くなさそうな顔をしている。
ノートはポケットに突っ込んだままで、めったに取り出さなくなった。
工房から運んできた一本目の鉄骨が、バルトの腕の中でゆっくり立ち上がる。
間欠泉の縁の足場の悪い場所に、慎重に突き立てる。リレーのカチ、カチ。油圧のしゅっ。ヘルマンのふぅん。
それから、レナの――
「えらい! バルトえらい! 親方えらい!」
――いつもじゃないはしゃぎぶり。
ヘルマンは軽く微笑んで、次のボルトの位置を指さした。
***
何日か後の朝。
レナは工房の扉を押した。
リレーのカチが遠くで鳴っている。
バルトの低い駆動音。スライム被覆ケーブルの、わずかに饐えた匂い。レナはコートを羽織りながら、足元のいつもの場所に声をかけた。
「フェネク、行くよー」
返事がなかった。
「ん? フェネク?」
工房の奥、バルトの足元。
そこがフェネクの定位置だった。
フェネクがいなかった。
代わりに、白いすらりとした装甲の何かが薄暗がりに立っていた。
大きさは、レナの背丈の倍以上ある。
胸に大きなコンソール。肩に誘導灯。型番のシールはどこにも貼られていない。
ぴ、と光学センサーが点滅した。
『おっす、レナ。オラ、フェネク』
レナの手から書類が滑り落ちた。
(……え)
(……いま)
(……おっす?)
白い装甲がゆっくり振り向く。胸のコンソールがぼう、と青く灯る。
動きはいつものフェネクと同じ滑らかさ。けれどサイズと設計思想が違う。
一歩踏み込むだけで、がしゃん、と音がして、床がど、と揺れた。
『心配すんなって、オラ、ちゃんと動いてるぜ、レナ』
(……オラ?!)
レナは、書類を拾わずに工房の奥へ駆け込んだ。
「親方ぁー!」
ヘルマンは作業台で、小さなラジオを修理していた。顔を上げない。
「ん」
「親方ぁー! フェネクが、フェネクが!」
「ん」
「一晩で、ムキムキになって、ますー!」
ヘルマンは機械を覗き込む姿勢を止めない。それからぽつりと言った。
「ふぅん」
「『ふぅん』じゃ、ないですー!」
***
ヘルマンはようやく作業を終えた。ジャケットの内ポケットから硬い飴を取り出して、口に放り込む。長く噛む。
「前から作ってたんだ、こいつのボディ」
「いつから、ですか」
「お嬢さんと初めて会った日」
「……はい」
「あいつのコンデンサ、半分以上抜けてただろ」
「……はい」
「あの時に思った。こいつぁ、この街じゃもたねえなと」
ヘルマンは作業台に肘をついて、しばらく飴を噛んでいた。
「道も悪いし、モンスターが出現するし、魔石の粉末がそこらに飛び交ってる。頑丈な装甲が必要だと思って、ぼちぼち組んでた。週末の空いた時間によ」
「……ぼちぼち、って」
「二年弱、だな」
レナは黙った。指先が冷たい。書類の角を、もう一方の手で握り直す。
(……二年弱)
「精密制御の基板は、あいつ自身が組み込んでた」
「フェネクが」
「ああ。あいつも工房で留守番している間にちまちま作業してたよ」
レナは、しばらくヘルマンの横顔を見ていた。
「……それで、なんで、よりによって、今、なんですか?」
ヘルマンは、肩を軽くすくめる。
「……あいつなりの判断、ってやつだろうな。俺もバルトも、もう年だから」
「しかも、口調まで」
「ボディが変わりゃ、擬似精霊石まわりの魔力環境も変わる。それに合わせて、ワイルドな性格になったんだろ」
「……どうして、男の子って」
「ん?」
「こういうの、好きかなー」
レナは呆れてしまった。
ヘルマンは答えない。けれど口の端が、ほんのわずかに上がっている――気がする。
バルトが定位置で低くぼぅ、と唸った。胸の核が強く光る。
(……バルトまで)
***
新型フェネクが、ど、ど、と近づいてきた。胸のコンソールをぐっと張る。
『レナ』
「……はい」
『『レナ』じゃねえ。『おっす、レナ』だ』
「あ、いえ、訂正しに来ないでください……」
『オラの新技、見てくれよ』
新型フェネクは、床に置かれていた5メートル近い鉄骨を、片手でひょい、と持ち上げた。
もとフェネクには、絶対に持てなかった重さだ。
レナは、しばらくぽかんと見ていた。
(……フェネク、あなたは)
(……いつの間にか、この街の一員になってしまったのね)
ふー、と息を吐いて、書類を拾った。
「……わかりました。行きましょう」
『任せとけ、レナ』
「『はい、レナ』、でいいんですよ……」
『任せとけ、レナ』
「……もう、いいです」




