ダイナモンキー保護区
レナは頷いた。書類を抱えて立ち上がる。
執務室を出る。扉が、ぱた、と閉まった。
***
扉が閉まる。
廊下の足音が遠ざかっていく。バルトの低い唸りが、扉の向こうで聞こえる。
ギルマスは椅子の背にもたれた。義肢の指で机を、カチ、と一度叩く。いつもよりゆっくり。
ヘルマンは椅子に座り直した。革のジャケットの襟を整える。
「……調子は、どうだ」
「ん?」
「調子だ」
「……義手なら、問題ない」
ヘルマンはギルマスの義肢の指を見た。
自分が二十年前に、彼のために作った義肢だ。
「……義手じゃない、お前だよ」
「……」
「怪我の具合は、どうだ」
ギルマスの義肢の指が、机の上で止まった。
「……」
窓の外で雪が降っている。
ギルマスはゆっくり息を吐いた。
「……俺の傷のことは、気にするな」
「……」
「あれから、二十年だ……今は、どうかしていたと、思っている」
ヘルマンは答えない。頷きもしない。
ギルマスの義肢の指が、もう一度机を叩いた。カチ。
ヘルマンは間を置いた。
「……具合がよくなったら、バルトと、相撲でも、してやってくれ」
「……どうして」
「……親父は、お前と、再戦したがって、いた」
ギルマスの義肢の指がまた止まった。
「……」
ギルマスは軽く目を伏せた。
「……ああ、そうだな」
「俺には、親父の気持ちは、よく分からんけどよ」
「災害級のモンスター、だからだろうな」
「……ん」
「強い魔力に、惹かれるものらしい」
ヘルマンは頷いた。
「……昨日」
「ん?」
「地下で、バルトがコーリュウと戦った」
「……ああ」
「そのとき、親父のことを、思い出してな」
ギルマスの義肢の指は動かない。
「……なら」
「……ん」
「コーリュウに、頼んでくれ」
「……」
「手負いのドラゴンと戦ったところで」
「……」
「そいつも、嬉しくないだろ」
ヘルマンはギルマスの義肢の手を見た。二十年前に、自分が作った手。
「……あの夜、どうして俺たちの変身が解けたのか」
「……ああ」
「……どうやら、神クラスになりたくて、ダンジョンコアに、飛び込んだバカがいたらしい」
「正気じゃない」
「ああ……神になれるか、はたまた消滅するか、どちらかしかない……どちらであっても、結末は、俺たちにはわからない」
「……」
「奥さんのことは、残念に思う」
「まあ……あれは、お前のせいじゃない、事故だ」
「……」
「……病院で変身が解けたら、誰だって混乱するだろう。娘が人間に拾われて生きているってだけで、俺にはもう十分だ」
「……ヴァイス」
「ん」
ギルマスはヘルマンの顔を見た。
「親父さんに、よろしく、伝えてくれ」
ヘルマンは答えない。目を伏せた。
ヘルマンはしばらく雪を見た。それから立ち上がる。
「……話、これで、終わりだ」
「ああ」
ギルマスがもう一度、机を叩く。
「書類、頼むぞ」
「ん」
ヘルマンは扉に向かった。襟を軽く整える。扉の前で、ふと立ち止まる。
「……手の整備、また、しに来る」
「……いつもの月初で、頼む」
「ん」
ヘルマンは扉を開けた。
廊下にレナが座っている。バルトの隣で、ノートに何かを書いている。こちらを見ない。
ギルマスは机の上で、義肢の指をもう一度叩いた。カチ。
***
工房に戻る。
ヘルマンは作業台に戻って、コイルを巻き始めた。
ダンジョンの電線が残れば、リアクトルはまた必要になってくる。
これはモンスターによる、モンスターのための送電網だ。
レナは自分の作業台に書類を広げた。
特例許可申請書、民間自家電気工作物設置申請書、用途指定書、負荷予測書。配電設計図は、これから引く。
ペンを握った。最初の一行が決まらない。
レナはペンを止めて、ヘルマンの方を見た。
「親方」
「ん」
「『ダイナモンキー保護区』って、書類上、なんて書けば、いいですか」
「……ダンジョン管理権限者の、個別裁量による、ダンジョン付随物の生活基盤整備事業」
「……長い」
「それより、お前の会社は、よくそんな企画を通したな」
「ダイナモンキーは、わが社の製品の、エンドユーザーですから」
「廃品をリサイクルしているだけで、新商品は買わないぞ」
「いいんです、保護区がテレビに映るたびに、AGマギクラフトのロゴマークが映る。宣伝効果が見込める、で通しました」
「先見の明がある」
レナは書いた。ダンジョン管理権限者の、個別裁量による、ダンジョン付随物の生活基盤整備事業。
漢字が多い。けれど、これがダイナモンキーが書類の上で存在を認められる唯一の形だった。
(……私たちは、ダンジョン付随物)
(……でも、それでいい)
レナは書き進めた。ペンが速く走る。
ヘルマンがコイルを巻きながら言った。
「お嬢さん」
「はい」
「設計、いつから、始める」
「明日から、図面、引きます」
「現場、見に行くか、明後日」
「はい!」
ヘルマンは、それ以上言わない。
レナは書類を書きながら、口の端が緩んだ。ペン先で、用途指定書の末尾に線を引いた。
***
工房の中。
ヘルマンは作業台で最後のコイルの巻き終わりを確認していた。バルトは定位置で低く唸っている。胸の青い光が、ぽぅ、ぽぅと、いつも通り灯っていた。
ヘルマンはコイルを机に置いた。それから革のジャケットを羽織って、夜の出動の準備をする。
工房の扉を押して、外に出た。
雪が降っている。電線天蓋の下、紫色のコロナ放電が、ちらちらと光っていた。
ヘルマンはしばらく雪を見上げた。
「……親父」
「……電線、残るとよ」
それ以上は言わない。バルトの背中に軽く乗る。
「行くぞ」
バルトがぼぅ、と低く唸った。胸の青い光が、ほんの少し強くなる。
二人は夜の街へ歩き出した。電線天蓋の下、紫色のコロナ放電の中を、ゆっくり歩いていく。




