副次間欠泉
宿のベッドで目を覚ました。
足がまだ軽い。昨日の夜、雪の上で跳ねた感触がふくらはぎの内側に残っている。
「……跳ねすぎた」
痛みをこらえて、枕元のノートを開く。宿に戻ってから書いた走り書きが、ページの端で右上がりに踊っていた。
【ダイナモンキー保護区 自家発電計画(仮)】
【発電源】ワイバーン核 複数(暫定)
【設置場所】工房裏 or 職人ギルド共同区画
【設計】私
【施工】親方
【申請】ギルドの民営インフラ枠
ペンの跡がところどころ強い。「【施工】親方」の四文字は、紙の繊維が立つほど押し込まれていた。
レナはノートを閉じた。
台所に降りて麦の雪を作る。麦の香ばしさと、山羊乳の獣臭が冷気にゆっくり混ざる。横でフェネクのリレーが、カチ、と一度鳴った。
フレークを量ろうとして、手が滑った。麦がボウルの縁に少し多めにこぼれる。
『量が、40パーセントほど多いようです、レナ』
「あ、ほんとだ……いいや、これで」
『……二人前、で?』
「うん。親方のぶん。たぶん、おかわりする」
『了解しました、レナ』
レナは布巾でボウルを覆った。コートを羽織って宿を出る。
電線天蓋の下。薄く積もった雪の上に、ダイナモンキーの青いLEDが、ぽつ、ぽつと灯っていた。
(……おはよう)
レナは、彼らにそっと呟いた。それから工房へ向かった。
***
工房の扉を押す。
「親方ー、おはようございます!」
「……ん」
ヘルマンは作業台で小さな部品を組み立てていた。革のコート。白い布巾。昨日と同じ姿勢。
バルトは定位置で低く唸っていた。胸の核の青い光が、昨日より少し強い。
(……おかえり)
レナは心の中で頭を下げた。バルトの核が、ぽぅ、と応える。
レナはフレークをテーブルに置いた。それから自分の作業台にノートを広げる。昨夜の走り書きを清書しようとした。
「……麦、多いな」
「あ、すみません、間違えました」
「……いや、いい。お嬢さん」
「はい」
「ギルド、行くぞ」
「あ、はい、ええと、何時ですか?」
「……飯食ったら」
「はい」
「バルトも、連れていく」
「えっ」
「ん」
レナはペンを止めた。
……
(……バルトも?)
レナは聞かなかった。
昨日打ち明けられた秘密の余韻が、まだ耳の中に残っている。
ヘルマンも説明しない。麦の雪の最後の一口を運んだ。
***
ギルド本部の受付で、レナは来訪を告げた。
「あの、ヴァイス棟梁とレナ・カーシュタインです。ギルドマスターに、面会のお約束が……」
「お待ちしておりました。すぐにお通しします」
受付の若い職員が、後ろのバルトをちらっと見た。バルトはぼぅ、ぼぅと低く唸っている。
工房用ゴーレムはデカすぎる。本部の廊下の天井ぎりぎりだった。
「……ええと、ゴーレムはロビーで……」
「ギルマスが、連れてこい、と」
「あ、はい。執務室まで、ご案内します」
(……ギルマスが?)
廊下を進む。執務室の扉の前で、バルトが屈み込む。
扉が低くて、これ以上は進めそうにない。
ヘルマンが軽く振り返って、バルトに合図した。
「ここで、待ってろ」
「ぼぅ」
バルトは廊下の壁にもたれて座り込んだ。胸の青い光が、ぽつ、と灯る。
職員が扉をノックする。
「マスター、ヴァイス棟梁とカーシュタイン様、お見えです」
「通せ」
扉が開いた。
***
執務室。ギルマスは机の向こうに座っていた。義肢の指で机をカチ、カチと叩いている。
机の上には地下構造図。迷宮都市の、第二階層から第三階層までの断面の写し。
「来たか」
「ん」
「……レナさん」
「はい」
「昨日は、ご苦労」
「……いえ」
ギルマスはしばらくレナの顔を見た。
レナの無鉄砲を怒るでもなく、生還を喜ぶでもない。
相変わらず、ギルマスは業務の顔をしていた。
「今日は、本題がある」
「はい」
ギルマスは地図を指で軽く叩いた。
「副次間欠泉」
「……ふくじ?」
「ダンジョンコアの間欠泉だ。ダンジョン管理権限者の個別裁量で、利用許可を出せる」
「……」
「竜脈発電に使われているものより、ずっと小さい」
「……」
「出力を調整すれば、国営の対象には、ならん」
「……」
「民間自家電気工作物の規模に、ちょうど合う」
レナの頭の中で、もう一度、何かが跳ねた。
(……間欠泉)
(……民間の規模)
(……それって)
レナは息を止めた。ペンを握り直す。
ギルマスは地図の一点を指で叩いた。地下水路のコーリュウの棲息域とは別の場所。
もう少し浅い、工房から徒歩で行ける距離。
「ここに、一つ」
「……」
「もう一つ、ここに」
「……」
「出力は安定しないが、四十八キロワットは軽く作れる」
「……はい」
「足りなけりゃ、もう一台、上乗せできる」
「……はい」
「お前さんのダイナモンキー保護区の、自前電源には、これを使え」
レナのペンが止まった。ノートに向かう手が震える。書けない。
(……ギルマスは、もう、知ってる)
(……場所まで、用意してくれてる)
レナは頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「いい」
ギルマスは視線をヘルマンに移した。しばらく見る。
「ヴァイス」
「ん」
「……あとは、お前に、任せる」
「ん」
ギルマスは机を軽く叩いた。カチ、と義肢の指が鳴る。
ヘルマンは頷いた。頷くだけ。何も言わない。
レナはその短いやりとりを横で見た。昨日とは違う温度。
二人の間に、何かあったのかは知らない。
(……聞いてはいけない)
レナはノートを閉じた。
「ヴァイス」
「ん」
「……気をつけろ」
「ん」
ギルマスはそれだけ言った。何の「気をつけろ」かは、言わない。ヘルマンも聞かない。
レナだけが横でそのやりとりを聞いていた。意味はわからない。けれど、何かが重い。
ヘルマンが、ふと声を発した。
「……ギルマス」
「ん」
「もうちょっと、いいか」
「……ああ」
ヘルマンはレナの方を向く。
「お嬢さん」
「はい」
「先に、廊下で、待っててくれ」
「……はい」




