もう一人のモンスター
ヘルマンが、バルトの胸の整備パネルをぱた、と閉めた。
「立てるか」
ぼう、と低い返事。
バルトは、岩壁に手を突いて、ゆっくり立ち上がった。
装甲の継ぎ目から、しゅう、と短く蒸気が抜けた。
胸の青い光が、ぼう、ぼうと二度、リレーの音に合わせて灯った。
「歩けるか」
「ぼう」
「無理すんな」
「ぼう、ぼう」
バルトはヘルマンの後ろを、いつもの半分の速さで歩き始めた。
レナは首回りを、手のひらで押さえた。マフラーはヘルマンが手に持って、灰色になっている。
それから、ガロンの方を見た。
ガロンは、ミラをまだ抱えていた。横抱きのまま。ミラの目は、つぶったまま。
「ガロンさん」
「うす」
「ミラさん、地上に出たら、診療所ですよね」
「うす」
「一人で大丈夫ですか」
「大丈夫っす、一応、バトルマスターなんで」
ミラの眉が、ぴくっと動いた。
ガロンが、ぼそっと、続けた。
「……俺、剣と魔法のどっちにするか、ちゃんと決めないと、このままじゃ何やっても中途半端になりそうな気がするっす」
「……」
「ミラの目が覚めたら、話し合いたいっす」
「うん」
レナは、頷いた。それ以上は、聞かないことにした。
ライナーが、岩棚から立ち上がった。義脚の関節が、軽く、金属音を立てた。
「行くぞ」
それだけ言って、坑道の出口の方へ、先に歩き出した。
ヨナスが続いた。
メイとノラが、ガロンの両脇についた。
レナはヘルマンの少し後ろを、ゆっくり歩いた。
出口が、近づく。
冷たい風が、奥の暗がりに流れ込んでくる。鉄錆と焦げの臭いの中に、雪の匂いが、薄く混じり始めた。
出口を抜けた。
電線天蓋の下だった。
雪が降っていた。電線の隙間から紫色のコロナ放電が、雪片の輪郭を、ちらちらと縁取っている。線守ギルドの旗が、風にぱた、ぱたと鳴った。
ガロンが、ぐっとミラを抱え直した。
「じゃ、診療所、行くっす」
「気をつけろよ」と、ヨナス。
「うす」
ガロンは雪の中を、ぱた、ぱたと走り出した。ミラを抱えたまま。腰がやや低い、安定した走り方だった。
メイとノラが、両手剣の柄を肩に立て直した。
「(あたしらは、ギルドに、報告っす)」と、メイ。
「(行くっす)」と、ノラ。
「すみません、お疲れさまでした」
「(レナさんも、お疲れっす)」
「(また、明日っす)」
二人は、雪の通りを、軽く駆けていった。
ヨナスは、ライナーと並んで、煙草に火をつけていた。煙が雪に、薄く溶ける。レナの方を見て、軽く顎を上げた。
「お嬢さん」
「はい」
「いい指揮だった」
「……はい」
ヨナスはそれ以上は、言わなかった。煙草を一口吸って、ライナーと、別の方角へ歩いて行った。
レナは、しばらく、その後ろ姿を見ていた。
それから、振り返った。
ヘルマンと、バルトが、そこにいた。
***
ヘルマンは煤の付いた両手をズボンの腰で軽く拭いた。バルトの腰に、革のコートの裾が、雪を払うように触れた。
「お嬢さん」
「はい」
「歩くか」
「……はい」
工房のある通りまで、十五分ほど。レナはバルトの反対側に並んだ。バルトはいつもの半分の速さで、地面に低い振動を伝えながら歩いていた。
雪は、まだ降っていた。
通りには人がほとんどいない。屋台の幾つかは、雪除けの布をかぶせて閉じている。柱上のPASが、ジィ、と小さく鳴いた。
レナはポケットの中のノートの角を、もう一度、指で確かめた。
モンスターが作った構造物は、ダンジョン付随物として扱われる。ギルマスがそう言った。
だから、ダイナモンキーが引いた電線は、撤去されない。盗電用の、半端な被覆の線も。
ただ、このままだと電源だけは、絶たれてしまう。
発電所から変電所の間は、無電線化される。
余分な電線は切り離され、その線に流れるはずの電気が、来なくなる。
だから、街の中だけで完結する発電設備を、新しく建てる必要がある。撤去対象にならない、モンスター製のものを。
ダイナモンキーは、発電機を作れない。配電盤の論理組みは、もっと、できない。けれども人間が作れば、それは無電線化の対象になる。
だから、レナがやる。
半分、モンスターだから。
そのために、ダンジョンに、潜った。
ヘルマンには言わなかった。
ヘルマンは無電線化の賛成派だ。
冬になるたびに、断線の保守でヘトヘトになる人だ。無電線化されるなら、されたいはずだった。
けっきょくコーリュウ核は、強すぎて使えないとわかった。
ワイバーン核なら、必要な出力は足りる。ただし、寿命が短い。一年と、もたない。
レナはそれを、定期的に入れ替え続けるつもりだった。来年も。再来年も。
設計も。施工も。調達も。書類も。父にどう説明するかも。ぜんぶ、ひとりで。
肩が、いつもより重かった。
ヘルマンが、ぽつりと言った。
「明日、ギルドに、行くぞ」
「はい」
「お嬢さんも、来い」
「……はい」
レナは答えてから、足が半歩、遅れた。
(……ギルマスにどう話すんだろう)
ヘルマンは、振り返らずに続けた。
「今日のうちは、聞くな」
「あ、はい」
「明日だ」
「はい」
レナは口を閉じた。
雪がコートの肩に積もる。ヘルマンの手の中の灰色のマフラーが、歩幅にあわせてぱさ、ぱさと揺れている。ヘルマンの手元から、まだ焦げた臭いが薄く立ち上っている。
ヘルマンが、もう一段、声を落とした。
「……レナ」
「……はい」
「実はな」
「……はい」
「この街のモンスターは、お前だけじゃねえ」
レナの足が、止まりかけて、止まらなかった。
「……」
「俺も人間のふりが、長い」
雪がいっそう静かになった。電線天蓋の上で、紫色のコロナ放電が、ちらっと一度強く瞬いた。
「……はい」
「それだけだ」
「……はい」
ヘルマンはそれ以上、何も言わなかった。バルトの胸の青い光が、ぼう、と一度軽く揺れた。
レナは前を向いて、歩いた。
歩いた。
歩きながら、肩のあたりが、何かを降ろした。
「親方」
「ん」
「親方」
「ん」
「親方ーっ!」
レナが、跳ねた。
雪の上で、片足で。それから、両足で。
ぴょん、と、もう一度。
ヘルマンが、振り返らずに。
「……何だよ」
「いまの、どういう事ですか!? 親方! ちゃんと説明してくれないと、夜も眠れません!」
「うるせえ、跳ねるな」
「親方ーっ! 親方ーっ!」
ヘルマンが、ふぅん、と低く息を吐いた。
レナは、雪の中をぴょんぴょん跳ねて、その周りをくるくるまわっていた。
バルトの胸の青い光が、ぼう、ぼうと二度、リズムを取るように灯った。




