魔石核
坑道の曲がり角を、いくつ抜けたか、もう数えていない。
レナはマフラーの端を口にくわえていた。冷たい空気が喉の奥に刺さる。湿気の臭い。鉄錆の臭い。焼け焦げた何かの臭いが、奥のほうから、走るたびに濃くなる。
頭の中で、何かのリレーがカチ、と一度跳ねて止まった。
親方の作るものはいつもそうだ。歩行の機構。油圧シリンダー。擬似精霊石。どれも、いま見たものを説明できない。
けれども、何かの予感があった。
ノートはコートの内ポケットに突っ込んだまま。ペンは、どこかに落としてきた。
「(レナさん、後ろ、誰か来てるっす)」と、メイ。
「(足音、軽いっす)」と、ノラ。
レナは振り向きかけて、また前を向いた。
足音は、すぐ追いついた。
「お嬢さん」
低い声。ヨナス。
レナは横目で見た。古い革鎧。長弓は背に回している。左頬の傷跡が、携帯灯の青に沈んでいる。
無傷だった。
「……ヨナスさん」
「走れるか」
「は、はい」
ヨナスは並走に切り替えた。息は、ほとんど乱れていない。
「……あれ、何ですか、なんでバルトが飛ぶんですか」
レナは天井のほうを、目で示した。青い残像は、もう消えている。
ヨナスはしばらく前を見て、それから、ぽつりと答えた。
「超電導舞空術だ」
「……超電導、舞空術?」
「エジソン・ゴクウのスキルだ」
レナは前を見たまま、何か言いかけてやめた。
ヨナスが続けた。
「ただし、今のは機械の模倣だ」
機械の、模倣。
レナの頭の中で、リレーがもう一つ跳ぼうとして、跳ばなかった。何かが組み上がりかけて、組み上がりきらない。ピースが足りない。
口の中のマフラーを、ぐ、と噛み直した。
ヨナスはそれ以上、説明しなかった。長弓の背の弦が、走る振動でぴん、と低く鳴った。
坑道の曲がり角を、また一つ抜けた。
***
後ろから、ぱたぱた、と軽い足音。
レナは走りながら振り返った。
ガロンだった。両腕に、ミラを抱えている。
横抱き。
ミラの白衣の裾が、走るたびに、ガロンの腕の上で揺れている。目はつぶっている。眉がぴくぴく動いている。
「うす!」
ガロンがレナを認めて、軽く顎を上げた。息はあまり乱れていない。革鎧の肩のあたりに、薄く汗。
「ガロンさん、ミラさん、どう……」
「気絶っす!」
「……」
ミラの眉が、もう一段ぴくっと動いた。
レナは前を向いた。前を向いて、もう一度横を見た。ガロンは前を見て走っている。腕の中のミラは、目をつぶったままだった。
ガロンの口元が、走るリズムに合わせて低く何かを呟いていた。許してくれっす、嘘ついた俺が悪いっす、夢は譲れねえっす、と。
ミラの眉が、また、ぴくぴくと動いた。
レナはそれ以上見ないことにした。前を向いた。
「(レナさん、見ないほうが、いいっす)」と、メイ。
「(三角関係っす)」と、ノラ。
「(違うっす、デレ期っす)」と、メイ。
レナはマフラーを口にくわえ直した。
坑道の壁から、ぽたっと水滴が肩に落ちた。
***
坑道の出口が近い。
奥のほうから、ずん、ずん、と低い振動。不規則に届く。地面というより、岩盤全体がわずかに震えている。
ヨナスが片手を上げた。
全員、足を止めた。
ヨナスは出口の手前の壁に、肩をもたせかけた。長弓を横に立てかける。それから、出口の向こうの空ではなく、奥の暗がりのほうをしばらく見ていた。
レナは肩で息をした。マフラーが汗で湿っている。鉄錆の臭いに、いつのまにかオゾンに似た刺激臭が混じり始めている。
ガロンは、ミラを抱えたまま岩棚にそっと座らせた。ミラの目は、つぶったまま。眉は、もう、動かない。
「……何の音っすか?」
ヨナスが、ぽつりと言った。
「……バルトが電磁界王拳を使っている」
レナは顔を上げた。
「……単相で事足りる。二十年前の四相とは違うはずだ、死にはしないだろう」
メイが、ノラと、目を合わせた。何も言わなかった。
レナはコートの内ポケットに手を入れた。ノートの角に、指が触れた。開きかけて、止めた。ペンがない。落としてきた。
ノートを内ポケットに、押し戻した。書かなくてよかったかもしれない。書いたら、何かが組み上がってしまうから。
奥のほうから、また、ずんと低い振動。岩盤の天井から、ぱらぱらと細かい砂が落ちた。
ヨナスは壁にもたれたまま、目を、閉じた。
ガロンが、ぽつりとミラに向かって。
「……大丈夫っすよ」
「……」
ミラは、答えなかった。
レナは自分のノートの角を、ポケットの中でもう一度、指で確かめた。
それから、手を、出した。
***
奥から、ぼぅ、と低い音。
レナはそちらに首を向けた。
ぼぅ、ぼぅ、と続く。バルトの音。けれど、いつもより弱い。
リレーのカチ、カチが間延びしている。
岩肌の影から、岩のような巨体がゆっくり現れた。
機械油と、焦げた何かの臭いが流れてくる。
バルトだった。
歩き方が重い。胸の核の青い光が、薄い。
膝関節の油圧シリンダーから、しゅう、と短く蒸気が漏れている。装甲のあちこちに、灰色の煤。
肩に、ヘルマン。
革のコート。いつもの作業着。袖口の革が、いつもより黒い。髪が、わずかに乱れている。手のひらに煤。
レナは立ち上がりかけて、そのまま止まった。
ヨナスが先に立ち上がった。
「コーリュウは」
「眠らせた」
「……ま、それでいい」
ヨナスはそれ以上、聞かなかった。長弓を、肩に戻した。
ヘルマンは面倒くさそうに、頭の後ろを軽く掻いた。煤が髪につく。気にしない。
「……あんまり長時間、バルトの力を使いたくないんだ」
「……」
「こいつも、年だからな」
バルトの胸の青い光が、ぼう、と一度だけ強く揺れて弱まった。
「(……親方、雑、っす)」と、メイ。
「(バルトを、優先、っすね)」と、ノラ。
ガロンがミラを抱えたまま、目を輝かせた。
「親方、かっこいいっす!」
ヘルマンが、ちらっとガロンを見た。
「……お前、それ抱えてんのミラか」
「うす!」
「……お前ら、よく続くな」
「……はい、っす」
ヘルマンは、それ以上聞かなかった。
ヘルマンはバルトの肩から、するりと地面に降りた。煤の付いた手で、バルトの胸の装甲をぽんと叩いた。
バルトの胸の青い光が、また、ぼぅと弱く揺れた。
レナは両手で、自分のマフラーを握っていた。
***
バルトが壁にもたれて、ゆっくり座り込んだ。
装甲が岩壁に擦れて、ぎい、と鈍く鳴った。
ヘルマンが、バルトの胸の整備パネルに手をかけた。
そこで止まった。
自分の手を見ている。煤で真っ黒。焦げ臭が立ち上っている。
レナは自分の首から、マフラーをほどいた。
「親方、これ」
ヘルマンが、ちらっと、レナを見た。
「……いいのか」
「はい」
ヘルマンは、マフラーを受け取った。手のひらの煤を、ぐ、と拭った。マフラーの白が、灰色に染まる。気にしなかった。
整備パネルを、開けた。
胸の核の青い光が、ぽつぽつと消えそうに揺れている。リレーの音が、いつもの半分の速さ。
レナは無意識に、一歩近づいていた。
「親方」
「ん」
「バルトの核、触っても、いいですか」
ヘルマンは、一拍、置いた。
「……ん」
レナは、手を伸ばした。指先が、核に、触れた。
温かい。
魔石核は、モンスターから採集される。
機械の核は、普通、こんなふうに温かくない。冷たいか、あるいは、不愉快なほど熱い。これは、もっと別の温度だった。手のひらに、馴染む。
腰の後ろが、ぽわっと軽く熱を持った。痛みはない。
なぜか、目の縁が熱くなった。
涙が、ぽろっと、頬を伝った。レナは自分でも驚いた。
ヘルマンは、レナの手元を見ていなかった。膝関節の油圧シリンダーのほうに、屈み込んで、圧を確認していた。指先がシリンダーの目盛りを、軽く押している。
レナは、視線を外した。核からゆっくり手を離した。涙を手の甲で拭った。
マフラーは、ヘルマンの手にある。
知らないふりを、すればいい。いつもどおりに。たぶんそれでいい。
レナは、息を吸って吐いた。
バルトの胸の青い光が、ぽつ、と一度強く灯った。
それから、また、弱く揺れた。




