モンスターハウス
地下水路の最初の坑道に入ると、電線天蓋の光は、もう届かなかった。
携帯灯の魔石が、淡い緑の光を壁に投げている。
湿った空気が、頬に貼りつく。天井は低い。手を伸ばせば指先が届きそうだった。
遠くで、ぴち、ぴち、と水の滴る音が続いている。
レナはノートを開きながら歩いていた。ペンを胸ポケットに挿し直す。
「ガロンさん」
「うす」
「地下水路って、こんなに深いんですか」
「ここはまだ、入口っすよ」
「えっ」
「最深部までは、たぶん半日ぐらいっす」
「半日……」
ガロンが、ぽつりと続けた。
「俺、地下水路に来るのは、初めてっす」
「えっ」
「冒険者ギルドの、長期未確認区域っすからね。普段は誰も入らないっす」
レナは、前を歩くヨナスとライナーの背中を見た。
長弓の長い影が、携帯灯の光に伸びている。
義脚の金属音は、一定のリズムで低く響いていた。慣れた足取り。
坑道の天井の高さに合わせて、ヨナスが時々頭を傾ける。あらかじめ覚えているような動き。
「ヨナスさんと、ライナーさんは、知ってる、はずっす。古参の中の、古参っすから」
「古参……」
「だいたい今のギルマスになってから、調査がされなくなったみたいっす」
レナは小さく頷いた。ノートに、何かを書こうとして、書く前に閉じた。
携帯灯の光の届かない奥に、湿った闇が続いている。
坑道は、ゆるい下り勾配だった。一歩進むごとに、空気が少しずつ重くなる気がした。
(……気がした、だけ)
(……たぶん)
スライム臭が、わずかに混じり始めていた。
鼻の奥で、酸味のある粘りが、ちりっと刺さる。
そのとき。
どこか奥の方から、低い音が響いてきた。
最初は、水音に紛れて聞き取れなかった。けれど、徐々に、リズムがはっきりしてくる。
ずん、ずん、ずん、ずん——
レナは足を止めた。
「……音楽?」
ヨナスが片手を上げた。隊が止まる。長弓の弦が、軽く鳴る。
「……三バカ揃い踏みだ」
「三バカ?」
「音楽家電系統。ダンジョンBGMに集まる、雑魚モンスターのコロニーだ」
ずん、ずん、ずん、ずん——
リズムは、坑道の壁を伝って、足の裏まで届いていた。
ライナーが、義脚の関節を一度鳴らした。それから、無言で、背中の斧の柄に手をかけた。
***
通路がひと曲がりした先で、坑道がわずかに開けていた。
電線天蓋には届かない深さなのに、そこだけ、淡い色の光が点滅していた。
赤、青、緑、また赤。リズムに合わせて、岩肌に色が落ちている。
岩棚の上に、レコードプレイヤーが乗っていた。
へばりつくようにしてそれを操作しているのは、コボルトだった。
ディスコボルトDJ。ターンテーブルが、ぐるぐる回っている。コボルトの手が、針を持ち上げて、また下ろす。ずん、ずん、ずん、ずん——
その周囲を、蝙蝠が八匹、舞っていた。
正確には、舞っているのではなかった。ディスコボルトDJの音に集まって、ベシャッ、ベシャッ、と岩壁にぶつかっている。
パルクール・バット。見る者の肝を冷えさせるような、跳ね回る動き。岩にぶつかるたびに、ぶえっ、と短く鳴く。
天井から、石灰岩の棺が一つ、ぶら下がっていた。
バンジージャンパイア。蓋が、ガコ、ガコ、と音楽のリズムに合わせて上下している。
バンジーコードが、棺の重みで、伸びたり縮んだりしている。
レナはノートを開いた。書こうとして、ペンを取り出して、また閉じた。
(……これが、生きたモンスター)
ヨナスが、低くつぶやいた。
「舞っちまうな、これ」
「(え、何が、っすか)」
メイが、両手剣の柄を握り直す。
「ディスコボルトのノリノリ効果。抵抗しないと、身体が勝手にリズム取り始める」
「(まじっすか)」
ノラが、半歩、後ろに下がる。
ガロンが、すでに肩を、ぴくっと揺らしていた。
「……っす?」
全員が、ガロンの様子に注目した。
ミラが、ぱっとガロンの肩を掴んだ。
「ガロン、まずいわよ。ノリはじめている」
「(うす、うす、うす)」
ガロンの足が、リズムを取り始めていた。
「(ガロン先輩、踊ってるっす)」
「(脳筋は、リズム感、ある、っすね)」
ライナーが、すでに斧を構えていた。無表情。けれど、義脚の金属音が、リズムに合っている。
ヨナスが、ふっと息を吐いた。
「作戦」
「うす」
踊りながらガロンが答える。
「ライナー、レコード、頼む」
ライナーが無言で頷いた。
「メイ、ノラ、援護、頼む」
「(うす!)」
二人の声が、ハモる。
「ガロン、バンジージャンパイアの棺を、ファイアーで焼け」
「うす!」
「俺はコウモリ。ミラ、後衛、待機」
「了解」
ヨナスは、最後にレナを見た。
「お嬢さん」
「は、はい!」
「お前は、絶対、前に出るな」
「はい……」
レナは、ノートをしまった。
代わりに、借り物の棍棒を両手でぎゅっと握った。安全ヘルメットの紐を、ぎゅっと結び直す。
(……前に、出ない)
(……前に、出ない)
ずん、ずん、ずん、ずん——
けれども音楽を聴いているうちに、足が勝手に動き出していた。
(……ま、まずい)
ヨナスが長弓を構えた。矢をつがえる。弦が、低く軋む。
ぴゅん——
パルクール・バットの一匹が、空中で撃墜された。岩壁にぶつかる前に、地面に落ちる。
残り、七匹。
ライナーが、地面を蹴った。
義脚の金属音が、低く響いた。次の瞬間、ライナーの身体は、岩棚の上、ディスコボルトDJの目の前まで跳んでいた。
「(え、跳んだ、っす!?)」
メイが、両手剣を構えたまま、頭だけ上を向く。
「(脚、機械、っすからね)」
ノラが盾を構え直す。
ライナーは無言で、斧を振り下ろした。ディスコボルトDJのターンテーブルが、真っ二つに割れた。
音楽が、止んだ。
その瞬間、宙に舞っていたパルクール・バットたちが、全員、距離感を失った。
ベシャッ、ベシャッ、ベシャッ、と岩壁にぶつかる。一匹は天井に頭から突っ込んだ。
「(なんすか、これ)」
メイが、両手剣で近くの一匹を斬る。
「(音楽消えた瞬間、地形把握、失ったっす)」
ノラが、盾で別の一匹の進路を塞いで、メイスで叩いた。骨の砕ける音。
ガロンが、ぴたっと踊るのを止めた。ノリノリ効果から、解放されている。
「(あ、戻ったっす)」
「ガロン、棺!」
ミラが、声を張る。
「うす!」
ガロンが杖を構えた。
両足を肩幅に開く。杖を両手で押し下げるように握る。息を吸う。
「ファイアー!」
杖をものすごい高速で突き出した。
空気摩擦で、杖の先端にぱっと火が起こった。
「ストーム!」
魔法使いのマントを、ものすごい高速ではためかせた。有圧換気扇のような、低い唸り。強風が、坑道の閉じた空間で巻き起こる。
「ファイアー! ……ストーム! ……ファイアー! ……ストーム!」
そして、ガロンは炎と風、二つの自然現象を合体させた。
「……ファイアー・ストーム!」




