↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
35/51

ダンジョンへ

 工房の中は、まだ暗い。

 ヘルマンは作業台に向かって座っていた。指先が端子盤の配線を送り出している。三十八スケアから五・五スケアまでの各種IS電線、被覆は深緑、スライム絶縁被覆。手の動きは止まらない。けれど目は、何度か入口の方を向いていた。


 外で、雪が降っていた。湿った雪ではない。電線天蓋の隙間から、細かい粒がちらちらと落ちてくる。コロナ放電の紫が、雪片の輪郭をうっすらと縁取っている。

 バルトは定位置に伏せていた。胸の魔石核が、ぼう、と青く光っている。低い唸りが、地鳴りのように床を伝ってくる。

 ヘルマンは電線を置いた。


「……あいつ、来ねえな」


 バルトが、ぼう、と唸る。

 このところ毎朝、レナは来ていた。雪を払いながら、扉を押して入ってくる。「おはようございます」と言う。フェネクが『おはようございます、親方』と続ける。

 今朝は、来ない。

 ヘルマンは立ち上がった。バルトの前に回り込んで、胸の整備パネルを開ける。油圧シリンダーの圧、よし。リレー接点の磨き、よし。擬似精霊石の調子、よし。


(……いつも通り)


(……いつも通りなんだ、こいつは)


 カチ、と接点を閉じる音が、工房の天井に小さく跳ね返る。

 ヘルマンはパネルを閉じた。


「バルト」


 ぼう、と低い返事。


「たぶん、今日、出番だ」


 バルトの胸の核が、わずかに強く光った。

 ヘルマンは作業台に戻って、引き出しを開けた。中から革のコートを取り出して、肩に羽織る。古い、何度も縫い直した跡のあるやつ。袖口の革が黒ずんで光っている。

 机の上に、つなぎかけの電線が残っていた。ヘルマンはそれを布で包んで、棚の隅に置いた。


(……戻ったら、続きをやる)


 戻ったら、と思った瞬間、舌打ちが漏れた。


「ちっ」


 戻る前提で考える癖が、まだ抜けねえ。

 ヘルマンはバルトの背中に、ぽん、と乗った。革のコートの裾が、バルトの装甲の上で広がる。


「行くぞ」


 バルトが、ゆっくり立ち上がる。油圧シリンダーが、しゅう、と短く鳴る。


 工房の大扉に向かって、ヘルマンは手をかけた。ぎい、と重い音。

 外の冷気が、ぶわっと入ってくる。

 雪と、電線の天蓋と、コロナの紫。いつもの朝。

 ヘルマンは扉の縁を、指で軽く叩いた。


「……行ってくる」


 返事をする者は、いない。

 バルトが、外へ一歩、踏み出した。装甲の足が、雪に沈んで、軽く擦れる音を立てた。


 ***


 地下水路の入口は、迷宮都市の最下層にあった。

 レナはフェネクを肩に乗せて、入口の前に立っていた。石組みの坑道が、口を開けて闇に続いている。廃水の管が壁を這って、奥へ消えていく。湿った空気が、足元から這い上がってきた。


 革の防寒着。ノート。ペン。計算機。素材標本。線守ギルドから借りた安全ヘルメット。それから、ヨナスが昨日「念のため」と寄越した借り物の棍棒。


 戦闘装備は、ない。レナは冒険者ではない。


『レナ、心拍数が、上がっています、レナ』


「……うん、緊張してる」


『昨夜、ヘルマンに、ご連絡されましたか』


「フェネク、それは、いいの」


『了解しました、レナ』


 入口の奥から、廃水の滴る音がした。ぴち、ぴち、と一定のリズム。レナはノートを開いて閉じた。開いて、閉じた。


(……前に出ない)


(……ヨナスさんに従う)


 そのとき。


「お嬢さん」


 低い声。レナは振り返った。


 ヨナスが立っていた。長弓を肩から下げ、革鎧の上に外套。古い傷跡のある左頬が、坑道の暗がりで影に沈んでいる。


 その横に、もう一人。


 ライナーだった。ギルドでしょっちゅう見かけるサイボーグの元冒険者。義脚の関節が、軽い金属音を立てる。義眼が、薄暗がりでわずかに光る。


「お、おはようございます」


「ああ」


「あの、ライナーさんも、来てくださったんですね」


「コーリュウ討伐に誘ったら、来た」


 ライナーは無言で、軽く頷くだけだった。


 ヨナスがレナの装備に目をやった。視線が、棍棒で止まる。安全ヘルメット。ノート。それから、戦闘装備がないことを確認するように、肩から腰まで一度撫でるように見る。


 軽く、頷いた。


「お嬢さん」


「は、はい」


「今日の依頼は、お前の企画だ」


「……はい」


「だから、お前がリーダーだ。俺は戦闘のコンサル。戦闘の判断は、俺がする。だが、企画の判断は、お前だ」


「……はい」


 レナは頷いた。ノートを握り直した。安全ヘルメットの紐を、ぎゅっと結び直した。


(……リーダー)


(……ダイナモンキー保護の会の)


 ライナーが、義脚の関節を一度鳴らした。低い金属音。

 入口の奥から、足音が近づいてきた。複数。


「すみませーん、遅れましたー!」


 ガロンだった。魔法使いのローブをはためかせながら、走ってくる。ミラ、メイ、ノラがその後ろからついてくる。


「ガロン先輩が遅刻した、っす」


 メイが両手剣を肩に担ぎ直しながら言う。


「(またミラに寝坊見つかってたっす)」


 ノラが、こっそり付け加える。


「すまんすまん、っす」


 ミラは、白衣の上から防寒着を着ていた。腰に、回復道具のベルト。新調された革のベルトだった。留め金がぴかぴかで、まだ革が硬い。歩くたびに、革の擦れる音がする。


「ガロン、魔法使い初心者なんだから、まだ無茶しないで。具合が悪くなったら私のとこに来なさい」


「は、はいっす……」


 メイとノラが装甲の留め具を確認していた。メイは両手剣、ノラは盾とメイス。盾の表面に、新しい引っかき傷が一本入っている。


 ヨナスが全員を見渡した。


「揃ったな」


「っす!」


「コーリュウ討伐だ。地下水路の最深部に向かう」


 ヨナスは続けた。


「目撃は二十年以上ない。実在するか、進化がどこまで進んだか、現在の出力はいくらか。全部、わからん」


「(改めて聞くと、結構、怖いっすね)」


 メイが両手剣の柄を握り直す。


「(ロマン枠を超えてる)」


 ノラがメイスを背中に回す。

 ヨナスは構わず続ける。


「俺とライナーが前衛。ガロンは援護魔法、後衛。ミラは医療、後衛。スライム狩り娘たちは中衛、側面警戒」


 それから、レナを見た。


「お嬢さんは、隊の真ん中。ミラのすぐ前。戦闘には入るな」


「……はい」


「もしコウリュウが出たら、お前はミラと一緒に後退しろ」


「はい」


 ヨナスは最後に、付け加えた。


「コーリュウはドラゴンの初期形態だ。だが、それでも災害級寄りだ。逃げる判断は、俺がする。全員、俺の判断に従え」


「了解、っす」


 四人の声が、ハモる。


「……はい」


 レナも頷いた。

 ヨナスは入口の闇の方を向いた。長弓を持ち直す。


「行くぞ」


 ヨナスが歩き出した。ライナーが続く。義脚の金属音が、坑道の壁に低く跳ね返る。

 レナは一歩、踏み出した。大きめのヘルメットの中で、自分の呼吸の音が、思ったよりも大きく聞こえた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。