ダイナモンキーのケーブル
ギルド本部の前で、レナはマフラーを巻き直していた。
腕の中の資料の束が、少しだけ滑った。抱え直す。表紙の文字が一瞬めくれて、また落ち着いた。
【迷宮都市第十七管区 自然遺産保護提案】
昨日の応接室に置きっぱなしにしたのを、夜のうちに取りに戻った束。
父に出すために作った表紙。今日のための表紙ではない。
(……プレゼンする相手は、違うけど)
レナはそれ以上考えなかった。考える気力がなかった。
ノートだけ抱え直した。一番上のページに、ボールペンの几帳面な字で二行。
『私は、誰だろう』
『電線は、残せるはずだ』
二行目だけ、指でなぞった。
それから扉を押した。
***
執務室。
ギルマスは机の向こうで義肢の指を組んでいた。レナが入ると軽く目を上げた。
「来たか」
「……はい」
「ヘルマンから聞いてる」
レナの肩が、ぴく、と跳ねた。
(……ヘルマンさん)
ギルマスは、しばらくレナの顔を見ていた。
「顔色が悪ぃな」
「だ、大丈夫です」
「ふぅん」
ギルマスはそれ以上聞かなかった。机の上に広げていた書類を脇に寄せて、場所を空けた。義肢の指でとん、と机の中央を叩く。
「やれ」
レナは頷いた。資料を机に広げた。
投影器を差し込む。リレーがカチ、と鳴った。
***
応接室の壁に、最初の映像が映った。
一枚目。市場の通り。
屋台のおじさんが野菜くずをぽいっと放る。電線からするすると毛むくじゃらの小さな手が降りてくる。尻尾の先で、ぽわっ、と青いLEDが灯る。
レナは、口を開いた。
「……これは、市場の風景です」
「ふむ」
「……ダイナモンキーは、迷宮都市の市民から愛されています」
「ふむ」
「……共存関係が、二百年以上、続いています」
ギルマスは頷いた。何も言わなかった。
レナは、自分の声がまったくノっていないことに気づいた。
昨日、出張所のデスクで何度も練習したときの、あの上ずる勢いがない。
声もぼそぼそと頼りない、元気がない。
それでも、次の盤に進めた。
二枚目。ゴミ捨て場。
一頭が壊れた扇風機を引きずり出して、外装を外し、銅線を尻尾に巻きつけている。
「……彼らは、人間が捨てた家電を、再利用しています」
「ふむ」
「……リサイクル文化、です」
声が映像に置いて行かれている。けれど止まれない。
三枚目。電線天蓋の上。
抜け落ちた尻尾を繋ぎ合わせる作業。
レナは深呼吸した。できるだけ明るい声を作ろうとした。
「わぁ……ほら……みてください……」
「ふむ」
「圧着……してます……」
「ふむ」
「テープも……巻いてる……しっかりと……えらい」
ギルマスは、食い入るように画面を見ていた。
「続けろ」
四枚目。森の入り口。
母ダイナモンキーが一頭、小さな子モンキーをお腹にしがみつかせている。母の尻尾の先のLEDが、ぽわっ、と青く灯っている。子モンキーの尻尾はまだ短く、光らない。母はゆっくり電線の上を進んでいく。
撮影時のレナの声が映像にかぶった。
『ああっ、可愛い! 可愛い、可愛い、可愛い! 見て、子供がお母さんにしがみついてる! 尻尾、光らないんですね、子供は! ああっ、可愛い!』
無邪気な、立ち聞き前の声。
執務室の壁に、それが流れた。
レナは、画面を見ていた。
母モンキーが、ゆっくり電線の上を進んでいく。子モンキーがお腹にしがみついている。LEDが青く灯っている。
レナの目の縁が、熱くなった。
「あ……」
声が出なかった。
ギルマスがちらりとレナを見た。何も言わなかった。義肢の指で机を軽く叩いた。カチ、カチ。
レナは画面を見続けた。母モンキーが子モンキーを抱えたまま、電線の角を曲がっていく。光が見えなくなった。
涙が、頬を伝った。
(……お母さん)
レナは慌てて頬を拭った。映像はまだ続いている。撮影時の自分の声が、無邪気に響いている。可愛い、可愛い。
ギルマスは、黙って机の引き出しからハンカチを取り出した。レナの前に置いた。何も言わなかった。
レナはハンカチを受け取った。
「……すみません」
「いい」
「……続けて、いいですか」
「いい」
レナは声を整えた。次の盤に進めた。
***
五枚目。森の奥の扇風機ぐでーん。
レナの声は、もう、ほとんど囁き声だった。
「……夏は、こうやって、扇風機を回しています」
「ふむ」
「冬は、イルミネーションを灯します」
「ふむ」
「……彼らは、文化を、持っています」
「ふむ」
レナは、結論を述べた。声は震えていた。
「ダイナモンキーを、自然遺産として、保護してください……」
「ふむ」
「ギルマスの権限で、彼らの生息域と、利用している電線網を、文化財として指定してください……」
「ふむ」
「『盗電』という扱いも、見直してください……」
「ふむ」
「……このままでは、ダイナモンキーたちが、『盗電の正当性』を、失います」
部屋がしん、と静まった。
ギルマスはしばらくレナの顔を見ていた。それからゆっくり義肢の指で机を叩いた。
「『盗電の正当性』ってのは、初めて聞く言葉だな」
「……お父さんも、同じことを言いました」
「はっ」
ギルマスは、軽く笑った。
「なるほど、親子だな。よく似ている」
「……」
レナは、その言葉を受け止めきれなかった。
『親子』。父との関係も、もう自分の中で整理がついていない。
ハンカチを握り直した。指先が冷たかった。
***
「ダイナモンキーが、ケーブルをつないでいる所、もう一度見せてくれ」
レナは、三枚目の映像盤をもう一度差しなおした。
電線天蓋の上。
ダイナモンキーが工具を使って、電線に器用にケーブルをつないでいる姿が映し出されている。
レナは、あっとなった。
工具に人の名前がマジックで書かれていた。
ひょっとしたら、盗んだものかもしれない。まずい。討伐される。
「お前、昨日、おやじにこれを見せたんだろ」
「……はい」
「親父、なんて言った」
「……『お前が芸を仕込んだんじゃないよな』って」
「はっ」
ギルマスは軽く笑った。
「あれを仕込んだのは、ヘルマンの爺さんだろうな」
「……え」
「俺が新人だった頃には、もう、ああやって線を繋いでた」
ギルマスの目は、穏やかになっていた。
「どこまであいつらの引いたケーブルなのか、もう誰にも区別がつかん」
レナは画面を見ていた。けれど頭の中は別の場所に行っていた。
(……ヘルマンさんの、爺さん)




