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電線ジャングル迷宮都市の電線はなくならない  作者: 桜山うす(J.I.A)
電線ジャングル迷宮都市の冒険者たち
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22/51

冒険者の領分

 朝、レナはいつものように、フレークの保存容器と、温めた山羊乳の水筒を抱えて、宿を出た。


 雪は今朝も降っている。けれど、昨夜のような湿った重たい雪ではなく、ぱりぱりと乾いたいつもの粉雪に戻っていた。

 靴底が、しゃり、しゃりと軽い音を立てる。電線天蓋の薄紫光が、朝の薄暗がりの中で、ぱち、ぱち、と控えめに明滅していた。


 傷病兵舎の廊下を、レナはもう何日もそうしているように、迷いなく歩いた。

 配膳室で皿にフレークを盛り、山羊乳を回しかける。

 湯気の立つそれを、両手でミユンの病室まで運ぶ。


 扉をノックする。


「ミユンさん、おはようございます」


「どうぞ」


 扉を開ける。


 レナは皿を持ったまま、しばらく入口で止まった。


 ミユンは、起きていた。けれどいつもの療養着ではなかった。

 革のジャケットを羽織っている。

 長い金髪は後ろで一つに結われていて、ベッドの脇には見たことのない長い杖と、革の弓のケースが立てかけてあった。

 右肩の包帯は、もう外れている。


「ミユンさん、どこか、行くんですか?」


 レナは、皿を机に置きながら訊いた。


 ミユンは、軽く笑った。


「ダイナモンキーの、大規模討伐依頼が、出されたの」


 レナは、湯気の立つ麦の雪の皿を、両手で持ったまま止まった。


 ダイナモンキーの、大討伐。

 頭の中で、ぱっ、と、いくつかの像が立ち上がった。


 ――市場の片隅で屋台のおじさんが、地面に落ちた野菜くずを、ぽいっと放り投げる。電線の上からするすると降りてきた、毛むくじゃらの小さな手が、それを、ひょい、と、拾っていく。尻尾の先で、ぽわっと青いLEDが灯る。屋台のおじさんは振り返らない。


 ――市場の通りの上空で、二匹のダイナモンキーが、お互いの尻尾を、グルーミングするように、絶縁テープで巻きあっている。下を歩く人間は、誰も見上げない。


 ――朝、自分の腰の後ろから生えていた、毛深く長い、ケーブルのような尻尾。


「……ダイナモンキー」


「ええ」


「……あの、市場の?」


「ええ」


「……可愛い、お猿さんの?」


 ミユンは、ふふ、と、笑った。


「そう、可愛い、お猿さんの」


 レナはしばらく、ミユンの顔を見た。


「……本当に、討伐するんですか」


「さあ、それは、現場で、決まることね」


 ミユンは、麦の雪の皿を、机から受け取りながら、軽く肩をすくめた。


「私は、討伐に、参加するわけでは、ないの」


「え」


「『研究』しに、行くの」


「研究」


「ええ。『人間と、モンスターの、境界』を。こういう日は、面白いものが、見られる」


 レナは、ミユンの言葉を頭の中で、二回繰り返した。


 人間と、モンスターの、境界。


 面白いもの。


 ミユンは、スプーンで麦の雪を、一口運んだ。何でもないことのように、ゆっくり口の中で味わった。


「今夜は、戻らないかも、しれない」


「……お気をつけて」


「ええ」


 レナは、汗ばんだ自分の手のひらを、しばらく見ていた。それから、ふと、もう片方の手で、無意識に自分の腰の後ろを押さえた。


 レナは自分に尻尾が生えたあの朝から、時々、そこを、押さえる癖が、ついている。


 ミユンが、その動作を見ている。視界の隅で確かに、見ている。けれど何も言わない。


 やがて、レナが扉に向かおうとして、振り返った時。ミユンがぽつりと、付け加えた。


「ああ、レナ」


「はい」


「……念のため、聞くけれど」


「はい」


「あなた、ダイナモンキー、では、ないわよね?」


 レナの、肩が、ぴく、と跳ねた。


「わっ」


「ふふ」


「ち、違います! 私は、人間です! ダイナモンキーじゃ、ありませんよ!?」


 ミユンは、軽く、笑って、それ以上は何も言わなかった。


 レナは頬をふくらませながら、病室を出た。扉を閉めてから、もう一度、無意識に腰の後ろを押さえた。


(……あの事件、誰にも、言ってないのに)


(……ミユンさん、何か、知ってる?)


 レナは、首を、傾げながら、廊下を、歩いた。


(……「人間と、モンスターの、境界」)


(……「面白いもの」)


 ミユンの言葉が、頭の隅で、ちらちらとしていた。

 けれどそれ以上は、追わなかった。

 そこから先は、冒険者の管轄だ。


 外では雪がまた、ちらちらと、降り始めていた。


 ***


 工房に戻ると、ヘルマンはいつものように、作業台でコイルを巻いていた。

 バルトは定位置。プラントは片隅で、ごー、と回り続けている。


「ただいま戻りました」


「おう、おかえり」


 レナは書類鞄を下ろして、量産プラントの点検を始めた。

 給粉ホッパーの残量、ローラーの隙間、温度計の数値。一つずつノートに書き込んでいく。


 工房の隅の、魔導通信機が鳴った。


 長く、二回。


 レナは、ペンを止めた。断線のときに初めて聞いた『出動要請』の信号は、短く三回だった。今のは、それとは違う。


 ヘルマンが、コイルを巻く手を止めずに、ぽつりと言った。


「『周知のみ』だ」


「……周知」


「全工房に、知らせるだけ。出動は、しなくていい」


「何の、知らせですか」


 ヘルマンは、コイルを巻きながら、続けた。


「今夜、ダイナモンキーの、大規模討伐だそうだ」


「……ミユンさんから、聞きました。本当にやるんですか」


「お前は、家に帰る時間に、気をつけろ」


「え?」


「冒険者が街中を移動する日だ。変な奴も出る」


「……あ、はい」


 ヘルマンは、それ以上は何も言わなかった。

 レナは、ノートに何かを書きかけて、止めた。


(……ヘルマンさん、今日は、いつも通り、なんだ)


(……冒険者の、仕事、だから)


 ヘルマンの作業台の上で、巻きかけのコイルが、いつもの速度で巻かれていく。

 バルトはリレーの低い音を、定位置で立てている。プラントは、ごー、と、回り続けている。


 工房の中の何もかもが、『いつも通り』、だった。


 レナは、ペンをノートに戻して、量産プラントの点検の続きを始めた。


 外では、雪がちらちらと、降り続けていた。

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