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電線ジャングル迷宮都市の電線はなくならない  作者: 桜山うす(J.I.A)
電線ジャングル迷宮都市の冒険者たち
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21/51

トリー

 一件目は、傷病兵舎の近く。

 バルトの背中に乗って、夜の街を進んでいく。

 レナとフェネクは、バルトの肩のあたりにしっかりとしがみついていた。

 湿雪が、レナの肩にぼたぼたと落ちてくる。


 電線天蓋の下で、街はいつもより静かだった。

 普段の夕食どきの屋台の声も、酒場の声も、今夜はひっそりとしている。

 街の住人が、自分の家で息をひそめて、夜が過ぎるのを待っている。


 現場に、着いた。


 傷病兵舎のすぐ近く。電線がいつもより、深くたわんでいる。


 けれど。


 電線そのものは、切れていない。


 線守ギルドの二人組が、もう先に来ていた。

 革のロングコートの肩に雪を積もらせて、長い鉤棒で、電線の上の雪塊を慎重に落としている。

 鉤棒の先が雪塊の根元に入って、ぼたっと雪が落ちる。


 年配のほうの線守が、バルトの足音に振り向いた。


「ヴァイスさん、今夜も呼ばれましたかい」


「状況はどうだ」


 ヘルマンは、バルトをその場に座らせる。レナは、肩からゆっくり滑り降りる。


「通信は鳴ったが、切れちゃいねえな」、と年配の線守が言う。


「たわんで誤検知だ」、と若いほうの線守が、上を見ながら言う。


 レナは、かじかんだ手でノートを開いた。


 切れていない/誤検知


 年配の線守が、ヘルマンの後ろに立つレナに、目を向けた。


「ヴァイスさん、新しい弟子さんですかい」


「会社の人だ」


「ふぅん」


 年配の線守は、それ以上は、聞かない。

 レナは、軽く頭を下げる。


「あの、ヴァイスさんがつけて回っている新しい装置って、これですか?」と、若いほうの線守が、地面に置かれたヘルマンの道具箱のリアクトルを指さす。


「ああ」


「この区画は、これ入ってますね」、と若いほうの線守が、上の電線を、見上げて、言う。


「ああ」


「今のところ、調子いいですよ。応急でこれをつけたところでは、一本も切れてないんで」


「ふぅん」


 ヘルマンは、それだけ、言った。

 レナは、後ろでノートに書き加える。

 装着区画/切れない


(……なんで?)


 声には、出さない。

 コイルの焼損事故を防ぐために開発したリアクトルを、どうして電線に着けて回っているのかも謎だった。

 ヘルマンが聞かれても、「こうすると、調子いい」と言うだけだ。

 もうレナは、知っている。

 この職人は、電気という物を指先でつまむように、感覚で掴んでいるのだ。


 レナはペンを止めて、上の電線を見上げた。


 湿雪が、ぼたぼたと、上から落ちてくる。線守の長い鉤棒が、慎重に、慎重に、雪塊の根元を掘っている。


 一件目は、それで、終わりだった。


「次、行くぞ」と、ヘルマンは、バルトに合図をする。


 ***


 二件目は、職人街の外れ。


 古い住宅区画。木造の家と煉瓦の家が混ざった、細い路地の奥。


 現場に着く。

 電線が完全に切れて、地面に落ちていた。


 被覆の断面から、ばち、ばち、と、まだ微小な放電が走っている。

 湿った雪に、青白い火花が、ぱち、と当たる。


「下がってろ」と、ヘルマンが、レナとフェネクに短く言う。


 ヘルマンは、線守と視線で合図する。

 線守が近くの上流の遮断器の場所まで走る。

 何秒か経って、ばち、ばち、という放電音が止まる。


「落ちた」と、線守の声。


 ヘルマンは、バルトを近づける。バルトが太い腕で、地面に落ちた電線の切れた端を、重量物ハンドリングの動作で、慎重に持ち上げる。

 新聞紙のページをめくるような繊細さ。


 バルトは、電線の切れた端を、自分の腰の高さに保持する。


 即席の作業台。

 ヘルマンは、ちらっと振り返ってレナを呼ぶ。


「お嬢さん」


「は、はい」


「こっち来い、見ろ」


 レナは、近づく。

 ヘルマンは、切れた電線の断面を、レナの目の前に持ち上げる。

 職人の指先が、被覆の縁を、ぴ、とめくる。


「ここだ」


「……」


「被覆の内側、見ろ」


 レナは、断面を覗き込んだ。


 被覆の内側。


 普段、外からは絶対に見えない場所。


 そこに。

 樹の枝のような、微細な『放電痕』が走っていた。


 黒く、細く、ひびのような枝分かれ。

 一本ではない。何本も、何十本も。

 被覆の内部のある一点から、放射状に広がっている。


 レナは、息を止めた。


「……これ、なんですか。なんでこんなに、破れているの?」


「わからん、トリー、っていう。電線は何年もかけてこいつが広がっていく」


「トリー」


「いつ切れるか、誰もわからん」


 ヘルマンは、断面をレナの目の前から外す。

 バルトに合図して、電線をもう少しこっちへ、と、姿勢を調整させる。


 それから、ジャケットの腰のポーチから、新しい電線を引き出す。


 電工ナイフで、被覆を剥く。


 しゅ、しゅ。


 レナが初めて間近で見る、ヘルマンの被覆剥き。

 一秒もかけない。

 被覆だけが、すっ、と円筒形に抜けていく。


 芯線を撚る。端子に通す。半田鏝を当てる。じゅっ、とわずかな煙。


 結線。


 レナは、ノートに書く。


 トリー/微細放電痕/被覆内部


(……被覆の中で、何かが、長い時間、起きてた)


(……何かが)


 声には出さない。

 ヘルマンは、結線を終える。バルトに電線を元の高さに戻させる。線守が、上流の遮断器を入れ直す。


 微かに、ぶうん、と、電線天蓋の唸りが戻る。


 ヘルマンは、新しい接続点をしばらく見ていた。それから、ぽつりと言った。


「ひとまず応急処置だ、ここは電線を張りなおしてから、リアクトルを入れる」


 レナは、ペンを止めた。


 年配の線守が、ヘルマンに片手を上げる。


「ありがとさんで」


「ああ」


 ヘルマンは、バルトに合図する。


「三件目だ」


 ***


 三件目は、リアクトル未装着の、もっと古い区画。

 煉瓦の壁が、ところどころ崩れかけている。窓は薄い板で塞いである家もある。職人街の、いちばん奥。住人の数も少ない。

現場に着く。


 レナは最初、何が起きているのか分からなかった。

 地面に電線が二本落ちていた。


 二本同時に。


 上の電線天蓋の隣り合う二本が、両方千切れて、路地の真ん中に、ぼたっと落ちている。

 湿った雪の上で、微小な放電が、ばち、ばち、と走っている。


 線守の、別の二人組がもう来ていた。

 若いほうの線守がヘルマンを見て、肩の力を抜いた。


「親方」


「おう」


「これ、たぶん、ギャロッピングです」


「ふぅん」


「隣り合う電線が、上下に揺れて、お互いにぶつかって、擦れて、被覆がやられて、両方落ちた」


「ふぅん」


 レナは、地面の電線を見た。


 路地の真ん中に落ちている。

 幸い、誰もいない。


 けれど、いてもおかしくない通りだった。

 普段は職人街の、人の出入りがある生活道路。


 もし、今夜ここを、誰かが歩いていたら。


 レナは、それ以上は考えない。考えると、ペンが動かない。


 ヘルマンは、しばらく二本の電線を見ていた。


 線守が、ヘルマンの背中に声をかける。


「親方、ここ、まだ、入ってないですよね」


「入ってない」


「……入れたほうが、よくないですか」


 ヘルマンは、答えない。


 電線を、もう少し、見ている。

 それから、ぽつりと、言う。


「……ここも明日だな。順番を変える。切れた所優先だ」


 レナは、後ろでノートに書いた。

 二本同時/ギャロッピング/振動で擦れた


 レナは、書きかけのページを閉じた。

 ヘルマンと線守たちが、修理を始める。


 バルトが二本の電線を、慎重に地面から持ち上げる。ヘルマンが被覆を剥く。芯線を撚る。半田を当てる。じゅっ、と煙。


 レナはその作業の隣で、しばらく立っていた。

 湿った雪が、レナの肩にぼたぼたと落ち続けていた。


 ***


 三件を片付け終わったのは、夜の十一時を回ったころだった。

 バルトの背中の上で、ヘルマンは空を見ていた。


 レナは、その隣で一緒に空を見ていた。

 雪はまだ降り続けている。


 けれど、湿雪から、また乾いた雪に変わっている。

 空気が刺すように冷たい。

 コロナ放電の、ぱち、ぱち、という音が、ゆっくりと戻ってくる。

 電線天蓋の薄紫の光が、今度は初雪の朝のときと同じ、穏やかなリズムで灯っている。


「親方」


「ん」


「……リアクトル、入れた所、本当に、切れませんでしたね」


「今夜は、な」


 ヘルマンは、それ以上は何も言わない。

 レナは、上を見上げる。


 電線天蓋の、薄紫の光。波打つ電線。ぱち、ぱち、と、コロナ放電。

 頭の中で、今夜、見たものが、まだ、ばらばらに、浮かんでいた。


 レナは、フェネクの白い装甲に積もる雪を、手の甲で軽く払った。

 フェネクは、ぴ、と、一度、光学センサーを点滅させた。


「フェネク、寒くない?」


『私の装甲は、防水仕様です、レナ』


「うん、知ってる」


『ですが、レナの体温が、低下しています』


「うん」


『工房まで、急ぎましょう』


「うん」


 レナは、マフラーを、もう一段、首に、巻き直した。


 ***


 工房に戻る。

 バルトを定位置に座らせる。床が低く、一度揺れる。それから静かになる。

 ヘルマンは、革ジャケットを脱がずに、作業椅子にどさっと座った。

 三件分の現場の疲労が、肩からゆっくり、降りてくる。革ジャケットの肩に積もった雪が、工房の暖気で、しゅわっ、と溶けて、床に小さな水溜まりを作った。


 レナは、エプロンの上からジャケットを脱いだ。それからコンロに火を入れた。

 鍋に、水筒の残りの山羊乳を注ぐ。湯気がゆっくりと立ち上がる。

 深皿に、フレークを二人分盛る。

 湯気の立つ山羊乳を、ゆっくり注ぐ。ぱりぱりのフレークが、しゅわっ、としゅんでいく。


 レナは、皿をヘルマンの前のテーブルに置いた。


「親方、食べてください」


「ふぅん」


 ヘルマンは、皿を受け取る。スプーンを取って、一口運ぶ。


「冬の夜は、これだな」


「……はい」


 レナは、横に座って、自分の麦の雪に、スプーンを伸ばす。

 外では、また雪が降っている。

 コロナ放電の、ぱち、ぱち、という音が、工房の外壁を伝って、低く聞こえている。

 温かい山羊乳が、レナの体の芯までゆっくりと降りていく。

 冷えていた指先が温まる。マフラーを巻きすぎて、こわばっていた首がほぐれる。

 冷えていた頭が、ほぐれていく。


「親方」


「ん」


「……原因がわかった、かも、しれないです」


 ヘルマンは、スプーンを、止めない。


「ふぅん」


「トリーが、なんで、育つか」


「……ほう」


「高調波、です」


 ヘルマンの、麦の雪を運ぶ手が、わずかに止まった。

 けれど、すぐにまた動き出した。


「……続けろ」


 レナは、ノートを、開かない。

 今、頭の中で、見えているものを、そのまま口に乗せる。


「E2Mのリレーから、高調波が出てるじゃないですか」


「ああ」


「あれが原因です、高調波は、通常の電流に比べて、ピークになる回数が多いんです」


「……」


「被覆って、完璧な絶縁体じゃない。製造のときの、ちっちゃい気泡とか、傷とかが必ずあって」


「ふぅん」


「そこに、高調波が、ぴり、ぴり、と、ずっと、当たってる」


「……」


「気泡の中で、ちっちゃい、ちっちゃい放電が、見えない速さで、ずっと、起き続けてる」


「……」


「それが何年もかけて、被覆の中を削っていく」


「……」


「それで、あんな風に電線の内側から破れてしまうんだと思います」


 ヘルマンは、麦の雪を、もう一口運んだ。


「今夜、ギャロッピングや湿雪で、最後の一押しになった、ってことです」


「……」


「でも、その前から、ずっと削れてた。何年も前から」


 レナは、息を、整える。


「リアクトルを入れた区画は」


「……」


「入り口で高調波を抑えてるから。被覆の中で、放電がほとんどない。だから、トリーが育たない。だから切れなかった」


「……」


「コイルが熱くなるのを防いでるのは、ついでです」


「……」


「本当に、守ってたのは――」


 レナは、視線を温かい山羊乳の湯気のほうに向けた。


「――電線網そのものの、寿命を守っている」


 工房が、しん、と静かになる。

 プラントの低い唸りと、外のコロナ放電の音だけが残る。

 バルトが定位置で、リレーの低い音を立てている。


 ヘルマンは、皿を、テーブルに、置いた。

 スプーンを、皿の縁に揃えて置いた。

 それから、ゆっくり、革ジャケットの内ポケットから、硬い飴を、取り出して、口に、放り込んだ。長く、噛む。

 しばらく、何も言わない。


「お嬢さん」


「はい」


「お前さんが来たせいで、俺の仕事が減りそうだ」


「えっ」


「減ったぶん、別のことを、考えるか」


「……はい」


 ヘルマンは、それ以上は、何も、言わない。


 工房の天井で、作業灯がぶうん、と、低く唸っている。バルトは定位置でリレーの低い音を立てている。

 ヘルマンは、皿の最後の一口を運んでからぽつりと言った。


「長いな、今夜は」


「……はい」


 レナは、もう一口、自分の麦の雪を運んだ。

 外では、雪が降り続けている。

 電線天蓋の薄紫の光が、ぱち、ぱち、と、低く灯っている。

 ヘルマンの作業台の上の巻きかけのコイルは、今夜も夜の間、ずっとそのまま置かれていた。

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