ギャロッピング
傷病兵舎を出る。
帰り道、レナは見知らぬ街を見るような気持ちで歩いた。
電線天蓋の、はるか上の方。線守ギルドの革のロングコートの二人組が、長い鉤棒を慎重に振っている。
雪塊が、ぼたっ、と路地の脇の安全な場所に落ちる。
落ちた場所には、すでに目印の旗が立っている。線守ギルドが、事前に人の通らない場所を指定している。
路地の角。
別の工房の見習いらしき若い男が、革ジャケットの肩に雪を積もらせて立っている。
手に依頼書らしき紙の束。ヴァイス工房への、誰かからの頼みごと。
「親方は、午後から、お戻りです」と、レナは声をかけそうになって、引っ込める。今日はヘルマンがいつ戻るか分からない。
通りの向こうから、湯気の出る屋台の方に、三人組が歩いてくる。
装甲にダンジョン帰りらしい泥と、雪。
腰の検査証に、黄色いシール。
迷宮都市の冒険者の風景。
三人組の一人が、屋台のおばちゃんに何か言って、おばちゃんが何か言い返して笑う。
レナは、しばらく立ち止まって、その光景を見ていた。
電線天蓋の上の、線守。
路地の角の、依頼を持って待っている、職人の見習い。
屋台に並ぶ、冒険者。
三つのギルドが、それぞれのリズムで、冬の朝を、回している。
レナは、王都本社の開発部の一階の廊下を、ぼんやり思い出した。
朝、レナが出社すると、エレベーターの前に、開発部の同じスーツの、同じ歩幅の同じ顔ぶれが並んでいる。
みんな、コーヒーを片手に同じ階に上がっていく。同じ会議室に同じ時間に入っていく。
(……あそこにあったのは、一つの、リズムだけだった)
レナは、フェネクのほうを、見た。
「フェネク、迷宮都市って、面白い街だね」
『はい、レナ』
『面白いです、レナ』
レナは、ふっ、と笑った。
それから、また歩き出した。靴底が、湿った雪を、ぐしゃ、ぐしゃ、と踏んだ。
***
工房の大扉は、いつもよりしっかり開いていた。
半分ではなく、両側に大きく。
レナが顔を覗かせると、奥でヘルマンが、バルトの足元にしゃがみ込んでいた。
手元に、何かのチェックリストの紙。床に、いろいろなものが並べられている。
「親方、おはようございます」
「ふぅん」
ヘルマンは、振り返らない。チェックリストに、ペンで何かを書き入れている。
レナは近づいて、床に並べられたものを見た。
足場用の冬装備。革のオーバージャケットと、ロープ用のハーネス。
防水加工された、長いロープ。
加熱式の半田鏝。普段、工房の中で使うものよりも、ひとまわり大きい。屋外用だろうか。
電線の、替えの束。何種類かの太さで、まとめて紐で縛ってある。
ウンゴリアントの毒液を染み込ませた布の小袋。職人街では、絶縁補強剤として当たり前に使われている。
そして、その隣に。
木箱が一つ置いてあった。
レナは、その木箱の中身を見て、息を止めた。
お手製のリアクトルが、十数個並んでいた。
この前、レナがヘルマンに正式に発注した、AGM-RR-001の試作系列。
鉄心の周りにエナメル銅線を、丁寧にぐるぐると巻きつけた、ヘルマンの手癖の塊。
「親方、これ……」
「今夜の分だ」
「今夜?」
「切れる。切れたら、こいつを付けに行く」
ヘルマンは、チェックリストをまた見下ろした。ペンを進めた。
レナは、木箱のリアクトルを、しばらく、見ていた。
(……これ、私が、頼んだもの)
(……これが、今夜、現場で、使われる)
胸の奥が、わずかに熱くなる。それから、すぐに別の感情が追いつく。
(……これが現場で使われる、って、どういうこと)
(……どこに、使われてるんだろう)
***
「親方」
「ん」
「これ、もう、どこかに、ついてるんですか」
ヘルマンは、ペンを止めた。立ち上がって、革ジャケットの背を、ぴんと伸ばした。
「来い」
レナは、ついていった。
工房の奥の壁。
普段、レナがあまり近寄らない薄暗い場所。
そこに大きな迷宮都市の電線網略図が貼ってあった。
街全体の、線。
職人街、市場、駅前、傷病兵舎、冒険者ギルド本部、国営の系統、転移塔の終端。
レナは、地図をしばらく眺めた。
赤い点が、街のあちこちに打ってある。
十数箇所。
「これ、ですか」
「ああ」
レナは、赤い点を目で追った。
傷病兵舎の系統。
ヴァイス工房を含む、職人街の数ブロック。
冒険者ギルド本部の系統。
テレビのおばあちゃんの、住む区画。
それから何箇所か、レナが知らない場所。
「先に、入れた。困る順に」
「……困る順」
「ダメになると、誰かが死ぬ順だ」
レナは、ペンを止めた。
ノートには、まだ何も書いていない。けれど、ペンを握る指がわずかに止まる。
(……困る順)
(……死ぬ順)
本社の企画書の書き出しを思い出す。
「市場性のある順」「収益性の高い順」「ブランド露出の最適化」。
レナは三年間、その順番でものを並べてきた。
目の前の地図の赤い点の並びは、それとはまったく違う論理だった。
レナは、地図の空白の場所を見た。赤い点が打たれていない大きな区画。
「他は?」
「国営の系統だ」
「……入れない、んですか」
「冒険者ギルドは手を出せねぇ」
ヘルマンの口調に、嘲りはない。
事実を事実として述べる声。
レナは、その口調をしばらく頭の中で反芻した。
本社にいたころ、開発部長が決算報告のときに、似た口調で何かを言っていた、気がする。けれど思い出せない。
ヘルマンは、地図から目を離して、また装備のほうへ戻っていった。
レナは、しばらく地図の前に立っていた。
(……ヘルマンさんは、リアクトルの試作を、私から頼まれて)
(……商品化前の、自分で作った試作を街に、配ってる)
(……毎日、自分の手で、巻いて)
(……一個ずつ)
レナは、ノートに何も書かなかった。書く言葉が見つからない。
代わりに、もう一度、地図の赤い点の並びを、目でなぞった。
***
日没。
レナが、ジャンク棚の整理を終えたころ、工房の窓の外が、急に薄紫色に染まり始めた。
レナは、窓に近づいた。
電線天蓋全体が、コロナ放電で、ぱち、ぱち、と、薄紫の光を、立ち上げていた。
初雪の朝に、レナが初めて見た景色と似ている。
けれど今夜は何かが違う。
電線が、上下にゆっくり波打っている。
湿雪の重みで、電線そのものがたわんで、それが風と温度差の影響で、上下に揺れている。
一本ではない。何本も、何十本も。空全体が波打っているように見える。
「……フェネク、これ、なんて、いうの」
『データによると、《ギャロッピング》、と呼ばれる現象です、レナ』
「ギャロッピング」
『はい、レナ』
「……綺麗だけど、不気味」
『同意します、レナ』
レナの後ろで、ヘルマンが装備の最終チェックを終えていた。
革ジャケットの内ポケットに、硬い飴を、いつもより多めに詰めている。
そのとき。
工房の魔導通信機が、鳴った。
短く、三回。
間を、置かずに、もう一度、三回。
さらに、もう一度、三回。
レナの、ペンを握る指が、止まる。
先日、ヘルマンが出動したあの音。
あのときは、一度きりだった。今夜は、続けて三件。
ヘルマンは、革ジャケットを羽織った。襟を整えた。
バルトの定位置に近づいて、起動用の魔石に手を触れた。
バルトの胸の深い場所で、ぶうん、と低い唸りが生まれる。
胸の核が、ゆっくりと光を強める。
ヘルマンは、レナのほうを振り返った。
「お嬢さん」
「はい」
「今夜は、来い」
レナの心臓が、軽く跳ねた。
「現場を見ろ」
「……はい」
「フェネクも連れて来い」
「はい」
レナは、エプロンの上から、もう一枚、厚手のジャケットを羽織って、ノートとペンを、内ポケットに収めた。
マフラーを、首にしっかり巻き直した。
バルトが、ゆっくりと立ち上がった。床が低く揺れた。
工房の大扉が、ぎい、と開いた。
外は、湿った雪と、薄紫のコロナ放電と、波打つ電線天蓋の夜だった。




