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電線ジャングル迷宮都市の電線はなくならない  作者: 桜山うす(J.I.A)
電線ジャングル迷宮都市の冒険者たち
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19/51

着雪

 朝、宿の窓を開けた瞬間に、レナは、空気がいつもと違うことに気づいた。


 初雪の朝の刺すような冷たさとは、別物だった。冷たさが湿っている。鼻の奥に水気がふわっと入ってくる。


 レナは、毛布を肩にかけたまま、しばらく、外を見た。

 電線天蓋の上に、雪がまた積もっていた。けれど、初雪のときのぱりぱりと乾いた粉雪ではない。

 今朝の雪は、白い塊として、電線の上にぼたぼたと重たく載っている。


 (……これ、なんか、重そう)


 レナは、毛布をもう少し肩に引き寄せた。


「フェネク」


『はい、レナ』


「今朝の雪、昨日までと、違うね」


『データによると、湿雪が電線重量の数倍を電線に乗せる現象を、着雪、と言います、レナ』


「……着雪」


『はい、レナ』


「それ、危なくないの?」


『危ないです、レナ』


 レナは、ノートを机から取り出した。

 今朝の最初の一行に書く。


 湿雪・着雪・危ない


 それから、エプロンの上からマフラーを巻いて、保存容器を抱えた。

 麦の雪と、温めた山羊乳の入った水筒。傷病兵舎へ毎朝運ぶ。


 この配達がレナの一日の最初の予定に組み込まれて、もう数日が経っていた。


 宿を出る。


 靴底が雪を、ぐしゃ、と踏む。湿った雪は、踏むと靴底に貼り付く。

 初雪の朝の、しゃり、しゃりとは、まったく違う音。


 レナは、立ち止まって上を見上げた。


 電線天蓋の、いつもの低い唸り。

 けれど、今朝はその唸りに、もう一つ音が混じっている。

 電線が、わずかに軋んでいる。雪の重みでたわんでいる。


「フェネク、これ、電線、たわんでない?」


『たわんでいます、レナ』


「……どれくらい、危ないの?」


『データによると、湿雪は、本来の電線重量の、三倍から五倍を、線に乗せます』


「……五倍」


『許容範囲内ではありますが、上限に近づいています』


 レナは、もう一度上を見た。


 電線天蓋のはるか上の方で、革のロングコート姿の二人組が、長い鉤棒を持って歩いている。

 電線の上に積もった雪塊を、慎重に一つずつ、落として歩いている。


 普段は雨の日の早朝にしか見ない、線守ギルドの装束。

 それが、今朝は雪の朝にも出ている。


 一人が上を見ながら、相方に低い声で何かを言うのが、レナの耳をかすめる。


「今日はマズいぜ」


 レナは、ペンを、ノートの隅で、止めた。


「フェネク」


『はい、レナ』


「行こう。傷病兵舎、急ぎたい」


『了解しました、レナ」


 ***


 傷病兵舎の食堂は、いつものように漂白剤と、魔石の焦げた匂いと、薬草の匂いで満たされていた。


 配膳の隅で、レナは、ミユンの皿を用意した。


 深い皿に、フレークをたっぷり盛る。水筒の山羊乳を、湯気が立つように、慎重に回しかける。

 ぱりぱりの黄金色のフレークが、ゆっくり山羊乳を吸い始める。

 麦の雪の完成だ。


 レナは、皿を両手で持って、奥の窓際のミユンの席へ運んだ。


 ミユンは、もう起きていた。

 ベッドに腰かけたまま、窓のほうを向いて、肩のリハビリの、ゆっくりとした運動をしている。


 右肩は、まだ固定されている。けれど、肩甲骨の周りの動きは、初日に比べると少しだけ滑らかになっている……ような気がする。


「ミユンさん、おはようございます」


「あら、レナさん。おはようございます」


 ミユンは、運動の手を止めて、振り返った。澄んだ、けれど長期療養の疲れの残る声。


「今朝も、ありがとう」


「いえ、いっぱい食べてください」


 レナは、皿をミユンの前の、小さな机に置いた。

 ミユンは、皿をしばらく見つめた。それから、ふっ、と、視線を窓の外に向けた。


 窓の外の、電線天蓋の隙間から、湿った雪がちらちらと、また降っている。


 ミユンは、ぽつりと言った。


「……今日の雪、嫌な雪ね」


 レナは、皿を置いた手を止めた。


「そうなんですか」


「乾いた雪の日は、綺麗で済むの」


 ミユンは、左手でスプーンを、ゆっくり取る。


「けれど、湿った雪の日は、必ず、どこかで、線が切れる」


 言いながら、ミユンは、麦の雪にスプーンを伸ばす。

 ふやけた一口を運ぶ。よく噛む。


(……必ず、切れる)


 ミユンは、麦の雪をもう一口運んでから、続けた。


「今夜、ヴァイスさん、忙しいわよ」


「えっ、親方、ですか」


「切れたら、呼ばれるもの。あの人は、二十年、そうしてきたから」


 レナは、ミユンの顔をちらっと見た。


 窓の外を見ている。


 それから、ぽつりと付け足した。


「……お父様の代から、そう」


 レナの、皿を運び終えた手が、わずかに止まる。


「……お父様」


「ええ」


 ミユンは、振り返らない。窓の外を見ながら、麦の雪を、もう一口運ぶ。


「……ご存じなんですか」


「お会いしたことは、ある、というだけ」


「……」


「ヴァイスさんの、奥様にも」


「えっ」


 レナは、大きく目を見開いた。


「ええっ、親方、結婚してたんですか? ずっと独り身だと思ってました」


「お産で、王都の病院に、入院したと聞いたわ」


「子供もいるんだ」


「その後は、知らない」


 ミユンは、それ以上は説明しない。スプーンを、麦の雪に伸ばし続ける。


 レナは、しばらくミユンの横顔を見ていた。


(……何年、迷宮都市に、通ってる人なんだろう)


(……「お父様の代から」、って)


(……でも、なんで、その話を、私にしたんだろう?)


 その話が自分に関係があるようには、レナには思えなかった。

 声には、出さない。

 ノートを開く気にもならない。

 レナは、エプロンの裾を軽く整えて、それから、ミユンの皿に二杯目の山羊乳を注ぎ足した。


「お代わり、いつでも、ありますから」


「ええ、いただきます」


 ミユンは、にっこり笑った。

 レナは、頭を軽く下げて、配膳の隅に戻った。


(……毎年、線が切れたら、呼ばれる)


 レナは、頭の中で思い出していた。


 短く三回鳴る魔導通信機。「三番街の電線断線」。

 レナは、工房で留守番をしていただけだった。

 けれども、三日間工房をあけていたヘルマンが戻って来た時の、疲れた表情は知っている。


 冬の夜のヘルマンを、レナは、まだ、知らない。

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