エルフ
ミユンは皿に視線を戻し、もう一口運んだ。
「肉は、食べないんです、エルフは」
「あ、はい」
「こちらに来ると、いつも、麦の粥と果物で凌いでいるのですが」
「……」
「今回は、長引いていて」
レナはミユンの右肩の包帯を、ちらっと見た。
「よく、いらっしゃるんですか、迷宮都市に」
「ええ、まあ」
ミユンはわずかに微笑んだ。
「……人間の、お友達に、引っ張られて、ね」
「冒険者の?」
「……今は、そうですね」
ミユンは視線を窓の外に戻した。
それから、フレークをもう一口運ぶ。さっきよりも明らかに、食べる速度が上がっている。
半分ほど食べ終えたところで、皿の縁を両手で軽く押さえた。
レナは訊いてみた。
「お仕事で、迷宮都市に?」
「……お仕事では、ないんです」
「じゃあ、何で」
ミユンはスプーンをいったん置いて、こちらを見た。澄んだ、けれどどこか悪戯っぽい光が、目の奥にある。
「研究を、しています。個人的な」
「研究」
「ええ。迷宮都市で」
「……どんな?」
ミユンは答える前に、フレークをもう一口運ぶ。よく噛む。それから、にっこり言った。
「……迷宮都市で、どこからが人間で、どこからがモンスターなのか、を」
レナの手が、止まった。
「……?」
フェネクの光学センサーが、いつもより長く点灯した。ぴ、ぴ、ぴ。
『……?』
ミユンはレナの顔をにこにこ見ている。フレークをもう一口運ぶ。しゃくしゃく音を立ててよく噛んでいる。
(……え? どこからが、人間で)
(……どこからが、モンスター、なのかを?)
(……? エルフって、見分けが、つかない?)
レナの中で、唐突に、繋がりかけたものがある。
「……あ、あの、ミユンさん」
「はい」
「ひょっとして」
「……はい」
「エルフの人たちって」
「……ええ」
「人間と、モンスターの、見分けが、つかなかったり、します?」
ミユンはフレークを一口、運ぶ。よく噛んで、飲み込む。
「……たまに、そう」
「たまに!?」
「ええ、たまに」
レナはつい、前のめりになった。
「あの、いままで、何人くらい」
「ええ」
「その、間違って、撃ったりとか」
「ふふ」
「撃たなかったり、とか」
ミユンはまたフレークをもう一口、運ぶ。本当にもりもり食べている。
さっきまでの「ゆっくり噛む」が嘘のよう。皿の中身が、目に見えて減っていく。
「……とても、難しい、問題なんですよ、これが」
「難しい」
「ええ、とても」
ミユンは麦雪をもう一口。
「今、この瞬間も」
「……はい」
「わからない」
「……えっ」
ミユンは、レナの顔をじっと見ている。
口ではフレークをもぐもぐ噛みながら。目だけが観察していた。
レナはその視線に、わずかにたじろいだ。
(……えっ、今、私のこと、見てた?)
(……もしかして、私、判別、難しい側?)
(……いや、まさか)
レナの頬がわずかに紅潮した。
けれど、ミユンはにこにこ食べ続けている。
「……あの、私、たぶん、人間です」
「ふふ、そうかもしれませんね」
「いえ、たぶん、って、そういう意味ではなくて……」
「ふふ」
ミユンは答えない。代わりに、フレークの最後の一口を運んだ。皿が空になる。
「……あら、ぜんぶ食べてしまいました」
「……あ、お代わりなら、ありますよ?」
「いただきます」
***
レナは慌てて二杯目をよそいに行った。フェネクが後ろからついてくる。
配膳台の前で、レナはしばらく立ち止まった。
「……フェネク」
『はい、レナ』
「……ミユンさん、変な人だね」
『……エルフは長命です、レナ。我々と時間スケールが違うため、関心の置き所も独特になる可能性が、推測されます』
「……うん」
『ですが、私は、ミユン様を好ましく感じています、レナ』
「……ふふ、フェネクが、そんなこと言うの、珍しい」
『フレークを、もりもり食べてくださっています』
「うん」
『それが、私の判断基準です』
レナはふっと笑った。
(……ちょっと、変だけど、面白い人)
(……まあ、いいや、お代わり、お代わり)
レナは深皿に麦雪をたっぷり盛って、温めた山羊乳を注いだ。湯気が立つ。
配膳台に戻る。
ミユンは両手で皿を受け取った。今度はさっきよりも、迷いがない動作。
「ありがとうございます」
「いえ、たくさん、食べてください」
「ええ、いただきます」
ミユンは左手をまた、胸の前で軽く合わせた。食前の祈り。それから、もりもり食べ始める。
「……あの、ミユンさん」
「はい」
「明日も、お持ちします」
「……それは、嬉しい」
ミユンの「嬉しい」が、わずかに震えていた。
「お代わり、何杯でも、出ますから」
「……あら、何杯でも」
「はい、何杯でも」
ミユンはにっこり笑った。
「……レナさんに、祝福が、ありますように」
レナは頭を軽く下げた。それから、静かにその場を離れた。
配膳の隅まで戻ってから、息を吐く。なんだか、くすぐったい感じが残っていた。
「フェネク」
『はい、レナ』
「……ミユンさん、明日も、たくさん食べてくれるかな」
『統計的に、高確率です、レナ』
「……うん。良かった」
レナはノートを開いた。今朝宿で書いた「初雪/紫」の下に、もう一行を書き加える。
AGM-FP-001 → 麦の雪
ノートの右下の隅に、もう一行。
ミユンさん。エルフ。研究者。お代わりした
レナはノートを閉じた。
***
夜、工房に戻った。
ヘルマンはまだ、コイルを巻いている。バルトは定位置。プラントは片隅で、ごー、と低く回り続けている。
レナは作業椅子に座り、ヘルマンの隣に湯気の立つ皿を置いた。山羊乳に浸したフレーク、麦の雪だ。
「親方、行ってきました」
「どうだった」
「ギルマスさん、毎朝、頼みたいって」
「そうか」
「患者さんに、エルフの方がいて」
「ふぅん」
「ミユンさん、っていう方で」
「ふぅん」
「肉、食べないって。当たり前みたいですけど」
「そりゃ、エルフだしな」
「研究者の方みたいで」
「ふぅん」
「『迷宮都市で、どこからが人間で、どこからがモンスターか、研究してる』って」
ヘルマンの、コイルを巻く手が、止まった。
顔が蒼白になり、明らかに、止まった。
レナはその停止に気づかない。
スプーンを自分の麦の雪に伸ばしている。
ヘルマンはしばらく、手の中のコイルを見ていた。何巻き目だったか忘れた、というような止まり方。
それから、ぽつりと言った。
「……ふぅん」
「変わったエルフですよね」
「……そうだな」
「でも、麦の雪、もりもり食べてくれたんです。お代わりもしました」
ヘルマンはコイルを作業台の隅に置いた。巻きかけのまま。それから、自分の皿の麦雪にスプーンを伸ばす。一口、運ぶ。しばらく噛む。
「……名前は」
「ミユンさん、です」
「……ミユン、か」
「ご存じ?」
ヘルマンは答える前に、もう一口、麦の雪を運んだ。長く噛む。
「……名前は、聞いたことがある」
「どこで」
「ギルドの素材買取に、たまに顔出してたな。何年も前から」
「……」
「深層の魔石の純度の見分け方を、誰よりも知ってるエルフがいる、って」
「……」
「研究者だろ、たぶん」
レナは麦の雪の皿を見つめた。
(……ミユンさん、ついてきてた、だけじゃ、なかった)
(……自分の足で、深層の魔石を、見に来てた)
(……何度も)
ヘルマンは煙草の代わりの硬い飴を、革ジャケットの内ポケットから取り出した。口に放り込む。長く噛む。
それから、ぽつりと付け足す。
「……人間と、モンスターか」
「はい」
「変わったことを、研究してるな」
「ですよね」
「……」
ヘルマンはそれ以上、何も言わない。
スプーンを取って、麦の雪をもう一口運んだ。
レナは、ヘルマンがコイルを置いたまま戻していないことに、ようやく気づいた。
「親方、コイル、置きっぱなしですよ」
「……ああ」
ヘルマンはコイルをちらっと見た。けれど、取らない。
「……今日は、もういい」
「えっ、珍しい」
「そういう日もある」
「麦の雪、もう一杯、食べますか?」
「……もらおうか」
レナは立ち上がって、二杯目をよそいに行った。
外では、雪がまた、降り始めている。
電線天蓋の薄紫が、ちらちらと揺れていた。コロナ放電の音が、工房の外壁を伝って低く届く。ぱち、ぱち。
レナが二杯目を持って戻った。ヘルマンはもう、コイルを見ていなかった。窓の外の雪を見ている。
「お待たせしました」
「ふぅん」
ヘルマンは皿を受け取った。スプーンを取って、麦の雪を運ぶ。それから、ぽつりと言った。
「祝福、もらったか」
「……はい。ほんの挨拶程度のやつ、ですけど」
「それで、いい」
「はい」
ヘルマンはそれ以上、何も言わない。
レナは記録を書き足して、ノートを閉じた。両手を、膝の上で組む。
工房の天井で、作業灯がぶうん、と低く唸っている。バルトは定位置で、リレーの低い音を立てている。プラントは片隅で、ごー、と回り続けている。
ヘルマンは皿の最後の一口を運んで、ぽつりと言った。
「冬になったな」
「はい、冬です」
「長いぞ、ここの冬は」
「はい」
レナはもう一口、自分の麦の雪を運んだ。
ヘルマンの作業台の上で、巻きかけのコイルが、置かれていた。
外では、雪が降り続けている。




