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電線ジャングル迷宮都市の電線はなくならない  作者: 桜山うす(J.I.A)
電線ジャングル迷宮都市の冒険者たち
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17/51

麦の雪

 窓を、開けた。

 冷気が頬を刺した。


 レナは毛布を肩にかけたまま、しばらく外を見た。電線天蓋の被覆に、薄く白いものが積もっている。今朝、迷宮都市に初雪が降った。


 天蓋全体が、薄紫に光っている。雪と電線の被覆が触れて、コロナ放電を起こしているのだとフェネクが言う。ぱち、ぱち。断続的な放電音が窓ガラスを伝って届く。わずかにオゾン臭い。


「フェネク、これ、毎年こう?」


『データによると、迷宮都市の初雪の朝は、ほぼ毎年、この光景です、レナ』


「……綺麗」


『はい、レナ』


「雪が積もってるのは、危なくはないの?」


『乾いた雪は問題ありません。湿った雪が断線の主因です、レナ』


 レナは窓を閉めた。寒気が床まで降りてきた。

 机のノートを開く。隅に、ペンを走らせた。


 初雪/紫


 それだけ書いて、ノートを閉じた。


 ***


 宿を、出る。

 職人街の路地を工房に向かって歩いた。靴底が新雪を踏む。しゃり、しゃり。


 電線天蓋の継ぎ目でダイナモンキーが二、三匹、何かしている。レナは立ち止まった。

 一匹が電線の交差点に、薄い白いシート状のものを敷いている。雪除けの傘代わり。見覚えのある形。もう一匹は、自分の尻尾を慎重に電線の影に収めている。


(……冬支度)


 レナはしばらく眺めた。

 腰の後ろが、ぴ、と疼いた。尻尾は生えていない。生えていないはず。軽く首を振って、また歩き出した。


 両腕には保存容器を抱えている。昨日組み上げた量産プラントの、初日分のフレーク。容器の底からまだ熱が抜けきっていない。


 ***


 工房の扉を、押し開けた。


 バルトが定位置に座っている。リレーが低く鳴る。カチ、カチ。床の油の臭い。


 ヘルマンは作業椅子で、古いコイルを巻き直していた。


「親方、おはようございます」


「おう」


「あの、これ」


 レナは保存容器を作業台に置いた。蓋を開ける。黄金色のフレークが、ぱりっと積まれている。


「昨日のと、同じやつか」


「はい。あれから、ちょっと、考えてて」


「ああ」


「親方、乾いてるって、言ってましたよね」


 ヘルマンはコイルを巻く手を止めない。ふぅん、とだけ言う。


 レナは容器の隣に、水筒を置いた。

 山羊乳。

 郊外の放牧地で採れるらしく、市場で安価に売っていた。


「これなら、どうかなって」


「山羊乳か」


「はい」


「温めてみろ。この町の冬の朝はそれだ」


「はい」


 コンロに火を入れ、山羊乳を温める。湯気が立ち始める。獣臭と、麦の香ばしさが、片隅の量産プラントの放熱と混ざる。型番AGM-FP-001の試作三号機。ごー、と低く回り続けている。


 深めの皿にフレークを盛った。湯気の立つ山羊乳を、ゆっくり注ぐ。

 ぱりぱりが、山羊乳を吸い始める。しゅわっ。わずかにしゅんでいく音。

 レナはスプーンを口に運んだ。

 ――ぱりっとした端と、ふやけた中心。獣臭が、麦の香ばしさと、口の中で重なる。


「……あ」


『いかがですか、レナ』


「……これ、合う」


『合いますか』


「合う」


 レナはもう一口運んだ。コクがある。水で戻したのとは別物。動物性の脂が、フレークの内側まで染みていく。


「フェネク」


『はい、レナ』


「完成形、これかも」


『了解しました、レナ』


 ヘルマンがコイルを置いた。皿を覗き込む。


「ふぅん」


「親方、食べてみてください」


 ヘルマンはスプーンを取って、一口運んだ。しばらく噛む。


 ……


「これだな」


「やった」


「昨日のは、半分だった」


「半分」


「今日のが、完成だ」


「……はい」


 レナの頬が、すこし熱くなった。フェネクの光学センサーが、ぴ、ぴ、ぴ、と三度、長めに点灯した。

 ヘルマンは皿のフレークを、もう一口運んだ。しばらく噛んでから、ぽつりと言った。


「……山羊乳、もう一杯、温めてくれ」


「あ、はい」


 レナはコンロに向き直った。


 ***


 朝食の終わったあと、レナは皿をしばらく見つめていた。

 ガロンを見舞った夜の帰り道。遠目に見た傷病兵舎の窓の光。

 魔力を持っていないこれなら、肉を食べられない冒険者たちの新たな食料になるはず。


(……今なら、持っていける)


 レナはヘルマンを見た。フレークの皿は、もう空になっている。


「親方」


「ん」


「これ、傷病兵舎に、持っていっても、いいですか」


 ヘルマンは、しばらくレナを見た。


 ……


「ダメですか?」


「ギルマスに、話を通せ」


「あ、はい」


「直接、患者に配るな。先に、ギルマスだ」


「はい」


「お節介ってのはな」


「はい」


「順番を、間違えると、ただの押し付けになる」


 レナはノートに書いた。

 ギルマスに、先に、話を通す

 ヘルマンはそれだけ言って、コイルを取り直した。指先で、銅線が、しゅる、と音を立てた。


 ***


 午後、レナはフェネクと一緒にギルドへ向かった。

 保存容器、二つ。山羊乳の水筒。試食セット。

 ギルドの執務室。ギルマスは机の向こうで、義肢の指を机に当てている。カチ、カチ。ガロンの件以来の対面。


「ヴァイス工房の弟子か」


「あ、いえ、その、AGマギクラフトの――」


「ヴァイス工房の弟子だ」


「……はい」


 ギルマスは口角をわずかに上げた。

 レナは机に保存容器を置いた。山羊乳の水筒も並べる。深い皿を借りて、フレークを盛り、温めた山羊乳を注いだ。獣臭と麦の香りが、執務室に広がる。


「これ、私が作りました。肉は、入っていません」


 ギルマスはしばらく皿を見つめた。

 それから、スプーンを取った。

 一口。


 ……


 ギルマスがしばらく止まった。それから、もう一口運ぶ。


「いつから、作れる」


「えっ」


「量産だ。いつから、どのくらい、出せる」


「あ、その、工房にプラントがあって、一時間に家庭用オーブンの、三十倍だから——」


「今日から、傷病兵舎に、毎朝、頼みたい」


 レナは息を、止めた。


「……はい」


「価格はギルドの予算で、適正に出す。ヴァイスと後で詰める」


「あ、はい」


 ギルマスは皿の最後の一口を運んだ。義肢の指で、もう一度、机を叩く。カチ。


「ヴァイスは、知ってるな、この件」


「親方は、『ギルマスに先に話を通せ』と」


「順番を、知ってる弟子だ」


「……はい」


「よろしい」


 ***


 ギルマスは、その場で食事担当に伝令を出した。レナはギルマスに連れられて、傷病兵舎へ向かった。


 ガロンを見舞ったときと同じ建物だった。

 漂白剤、魔石の焦げた残り香、薬草。三つの匂いが入口で出迎える。


 ベッドの間隔は狭い。毛布は規格品。窓は高く、壁は飾り気がない。

 療養所というより、前線の応急処置施設の延長線上の設備だった。

 本当に重症な患者やお年寄りは、王都に送られるという。

 食事担当の中年の女性に、レナはフレークと山羊乳のセットを渡した。


「これ、温めた山羊乳に浸して、出してください」


 女性はしばらくフレークを見つめた。


「……麦のお菓子?」


「浸すと、おいしいんです」


 女性は半信半疑のまま、調理場に戻った。


 ***


 配膳の時間。

 患者たちの食堂のテーブル。ガロンの姿を探したが、もういない。数日前に退院した、と聞いた。


 代わりに、知らない冒険者たちが何人か、トレーを受け取っている。

 革鎧を脱いだ簡素な肌着姿の若い男。包帯を巻いた腕で、不器用にスプーンを動かす中年の戦士。スプーンの柄が皿の縁に、こつ、と当たる。

 レナは配膳の隅で、フェネクと並んで見守った。


 ***


 奥の窓際の席。配膳台からいちばん遠い場所。

 そこに一人、エルフの女性が座っている。


 長い淡い金の髪を、後ろで一つに束ねている。本来は艶があるのだろう髪が、長期療養でわずかにくたびれていた。

 耳の先がわずかに長い。年齢は人間で言えば、二十代後半に見える。エルフだとすれば、実年齢の見当はつかない。


 肩から胸にかけて、厚く包帯が巻かれている。

 右肩、深い傷。

 弓を引く側の腕が固定されていて、包帯の下の腕は痩せていない。


 戦士の腕。ただ、長く動かしていないせいで、わずかに緩んでいる。

 頬の輪郭はもともと細いみたいだけれど、目の下に影がある。


 レナの肩が、ぴく、とこわばった。


(……エルフ)


(……うわ、エルフだ)


(……えっ、なんで、ここに?)


 王都本社の研修棟で、何度か見かけたことはある。

 魔石工学科の留学生として、何人か来ていた。


 綺麗で遠い人たち。同じ研修室で半年過ごした女性のエルフが、最終日に「お疲れさまでした」と一言、それで全部だった。

 王都に来るエルフは、いる。学術のために。

 エルフは長命だから、人間の数十年単位の学問を悠々と修めていく。


 でも、迷宮都市に来るエルフは、見たことがない。


(……迷宮都市に、エルフが、来る理由?)


「フェネク」とレナは小声で囁いた。「エルフが冒険者をやる理由って、何かある?」


『個人的な理由は存じませんが、あの方は肩の負傷、治療の途上です。ですが回復が、想定より遅延しています、レナ』


「えっ」


『エルフは生まれつき魔力量が極めて高い種族です。治療魔法の魔力が、患部の魔力に押し返されます。ヒールが、効きにくい』


「……」


『さらに、エルフは肉を食べません』


「……あ、そっか」


 王都の研修棟の食堂が、一瞬、蘇った。

 エルフの留学生たちは、いつもサラダとパンと果物だけをトレーに乗せていた。

 当時のレナは、深く考えずに流していた。


『迷宮都市の食事の大半は、モンスター肉ベースです、レナ』


「……うん、食べられるものがないんだ」


『そのため、自然回復も遅れているようです』


 レナは皿を見つめた。


(……治癒魔法が、効きにくい)


(……食べられるものも、限られてる)


 その人が、トレーを受け取った。両手で受け取る動作がゆっくりだった。皿の中の、白い山羊乳に浸された、黄金色のフレーク。

 しばらく皿を見つめている。


 そして、ぽつりと言った。


「……あら。麦の雪、みたいですね」


 声は低く、澄んでいた。長期入院で少し掠れているけれど、本来はよく通る声だろう、と分かる響き。

 レナのノートを開く手が、止まった。


(……麦の雪)


(……麦雪。名前、決まったかも知れない)


 フェネクの光学センサーが、いつもより長く点灯した。ぴ、ぴ、ぴ。


 エルフの女性はスプーンを取る前に、左手を胸の前で軽く合わせた。祈り。ほんの一秒。


『エルフの食前の祈りです、レナ』とフェネクが小声で補足する。


「……知ってる」


『研修棟の食堂で、留学生の方たちが、毎食、行っていました』


「……うん。あれが、これだったんだね」


 三年経って、ようやく目の前で繋がる。

 エルフの女性は左手でスプーンをゆっくり取った。右肩をかばう動き。ふやけたフレークを一口、運ぶ。口の中で、ゆっくり噛む。


 噛みながら、目を閉じた。

 それから、もう一口。もう一口。急がない。一口ごとに、何かを確かめている。

 四口目で、スプーンが止まった。


「これ、どなたが?」


「あ、はい、その、私が作りました」


「……そう、ですか」


 エルフの女性はしばらく、レナの顔を見た。


「お名前を、伺っても?」


「あ、レナ、と申します」


「レナさん」


 エルフの女性は、その名前を口の中でゆっくり転がした。


「私は、ミユン、と申します」


「ミユンさん」


「……ご親切に、ありがとうございます」

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